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紫苑に露  作者: 花信風描
第六章 暗雲
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第六十六話

その夜は春なのに、やけに肌寒かった。

不気味なぐらいの大きな月は朱に染まり、時に雲に隠れ、地の浅はかな人間を見下ろしているようだった。


「黒蛇様、今何と仰いましたか?」


「だから………やると言っている。以前其方が言っていた、あの蓮司を排除する方法を!!」


はあ、と清氏は半ば呆れたような溜息をついた。

王家の人間を前にして、いかにも無礼極まりないが黒蛇はそんな清氏の態度など全く気付いていない。


「……黒蛇様、お待ちください。あれは物語を読みすぎた老人の戯言だと言いましたよね」


清氏は自身の肩を粉々にしそうなほどの力で掴んでいる黒蛇の手首を掴んだ。


「うるさいッ!!!」

清氏のその手は黒蛇に勢いよく振り払われてしまった。

その手の勢いは茶を用意していた伴氏の身体にまで当たった。伴氏が手に持っていた茶器は床に落ちて、悲痛な音を立てて粉々に割れてしまった。


黒蛇はどう見ても普通の状態ではない。

目は血走り、息は飢えた獣のように荒い。


「言ったはず………私は兄上のためならなんでもするのだ!!早く毒をよこせ!!!!」


黒蛇は狂人のように頭を抱えて蹲った。

「蓮司がこの王宮にいると聞いた日から、もう全身が狂ったかのように痒くて仕方がない………!!ずっと頭の中で誰かも分からないような声が聞こえてくるんだ!!もう憎くて仕方ない………この手で捻り潰してやりたいぐらいに……!!」




「___左様ですか」

清氏は白い目で黒蛇を見下ろした。

駒としては申し分ないぐらい使い勝手が良いが、黒蛇は曲がりなりにも王家の人間。こんな者が支配階級に君臨する国に仕えているのかと思うと、清氏の身体の方が疼いてくる。


清氏は横目で伴氏に合図をした。伴氏はまるでこの瞬間を待っていたかのように「かしこまりました」と小さく呟くとすぐさま部屋を出て行った。

彼は茶を用意するように見せかけていただけで、実際は黒蛇が来ると知った時から自らが苦労して手に入れた”例のモノ“を出す気満々だったのだ。


「____黒蛇様」

そう呼ぶ清氏の声は、人間味がないぐらい無機質で、何の感情も読み取れない。


ああ、ああ、と言ってわなわな震えながら蹲る黒蛇に近づき、目の前でしゃがんだ。


「後悔は、なさいませんね?」


「あああ…あああ…」


「黒蛇様」

清氏は黒蛇の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。もはや今の黒蛇にこの無礼極まりない行動を咎める余裕などない。


「私は何も指示していません。貴方がやると言ったのです。そうですよね?」


いくら正気ではない黒蛇でも、髪を掴まれ無理やり顔を見合わせられたら、清氏の言葉を聞くしかない。

洗脳のような言葉だということに気付かずに。


「ああ…ああ!!私がやると言った………あの憎たらしい邪魔者を兄上から排除するんだ!!」


清氏は小さく微笑んだ。

「よく言えました」


パッと黒蛇から手を離し、グシャリと黒蛇はその場に崩れ落ちた。

その姿は、操り人形のように滑稽だ。




___コンコン


「清様、お待たせいたしました」


まるで打合せたかのようなタイミングで、伴氏が戻ってきた。


「ああ、ご苦労」


伴氏は清氏の前でゴミのように崩れている黒蛇を見て、珍しく顔をぎょっとさせた。


「ああ、大丈夫。ちょうど今話をつけたところだ」


一生忠誠を誓うと決めた自分の主だが、本当に侮れない恐ろしい男だと、伴氏はゴクリと唾を飲み込んだ。


「で、例の物は?」


伴氏はハッとしすぐに懐から小さな小包を取り出した。

「こちらになります」


ご苦労、と言って“例の物”を受け取った清氏は、訝しげにその小包を見た。


「これで誠に“できる”のか?」


黒蛇はコクリと静かに頷いた。


「その小包の中の、たとえひとつまみであったとしても効果は絶大です」


清氏はふうん、と呟いた。

「まさか、こんな恐ろしいものがこの国に存在するとはな」



「黒蛇様」

呼んでも返事はない。


清氏は黒蛇の髪を掴んで、無理やり起き上がらせた。


「っ!?」

伴氏は主のたかが外れたような行動に思わずぎょっとしたが、出過ぎた真似はしてはいけないと出しかけた手を引っ込めた。


「痛い……もう引っ張るな、」


「では、ちゃんと話を聞いてください。そんなで、これから私が言うことを実行できるとでも?」


「分かった!!分かったから手を離してくれ!」


黒蛇がちゃんと座り直してから、やっと清氏は黒蛇から手を離した。


清氏の手に握られている小包が黒蛇の視界に入った。

「これか!!?これなのか……!これであの蛆虫を排除できるのだな!!?」


黒蛇は早く寄越せと言わんばかりに、まるで餓死寸前の物乞いのような勢いで清氏の手から小包を奪おうとした。その様子は、あまりに気味悪く、目を背けたくなるほどだ。


しかし、清氏はひょい、と小包を持っている手を上に上げた。勢い余った黒蛇はまるで潰された蛙のような醜い声を出して、顔面から崩れた。

伴氏は正直、清氏と黒蛇、二人から目を背けたくなって、静かに目を瞑った。


「おいお前!!ふざけてるのか!早く毒を寄越せ!寄越せったら寄越せ!!」


そう言って起きあがろうとした黒蛇の頭を清氏は力尽くで地面に押しつけた。


「………………このクソジジイっ!!!」


「まあまあそう焦らずに。黒蛇様、貴方何の考えもなしに毒を盛るつもりでしょう?」


「ハアっ!?青藍に毒飲ませりゃいいんだろ!?ガキでもできる!!」


はあ、と清氏は黒蛇に聞こえるぐらい、わざと大きな溜息をついた。


「分かってはいると思いますが、考えなしに行動した瞬間、排除されるのは蓮司じゃなくて貴方ですからね。ちゃんと話を聞いてからじゃないとこんな劇薬、阿呆な貴方に渡せません」


清氏は黒蛇の頭を抑える手の力を更に強めた。

黒蛇の、人間とは思えない低い呻き声はさらに大きくなった。もう黒蛇は、清氏の無礼にさえ目が行かなくなっている。


「分かりましたね?」


清氏に抑えられている頭の痛みに耐えながら、黒蛇はその有無を言わせない恐ろしい声に全力で頷いた。

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