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紫苑に露  作者: 花信風描
第六章 暗雲
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第六十二話

______三年前。


「お爺様はいつも何をお考えなのですか?」


「ほう……何を。とは?」


「いえ、いつも難しい顔をしていらっしゃるので少し気になったまでです。聞いたところで、お爺様ほどの頭がない私は理解できないでしょうが」


「そんなことありませんよ、青藍様。貴方様は実に聡明な王子様ですから」


「まあ、お爺様は褒めるのがお上手で」


清氏はいつも青藍と話すときは細心の注意を払っていた。

先代や猛龍、琥珀は実に単純で、自分が何か一つ提案すればそれを喜んで受け入れる。その提案の裏に、どんな思惑や狙いが隠されているかなんて何一つ疑わず。 だから娘の寧々を猛龍の妃にさせることができて、我が一族の悲願を達成させることもできた。


対して青藍は非常に疑い深い人物で、清氏はまだ青藍が少年だった頃から血の繋がった孫とはいえ唯一この王宮で侮れない人物だと感じていた。

おそらく、弱い身体故に身に着けた青藍なりの防御なのだろうが、直接政務に関わらないといっても清氏にとってはその防御能力が心底煩わしかった。


「お爺様はこの国の行く末をどうお考えでしょうか?私はこんな身体ですから次期王は琥珀になりましょうが、あの子はちょっと変わった考えを持っていますでしょう?お爺様はそれをお止めになりますか?」


清氏は小さく溜息をついた。

「琥珀様がおっしゃっていること…………人間は皆平等ということでしょうか。もし琥珀様が王様になられて、そう国の在り方を変えられるのであれば一臣下である私にはどうすることもできません。けれど、本当にそうなれば逆に乱世が訪れるでしょうがね」


「………流石お爺様ですね、それについては私も同感です」


「けれど疑問ですね、」


青藍はやせ細った身体を背もたれにゆっくり預けた。

大人の男が少しでも触れたら骨が折れてしまいそうだ。


「お爺様はそれが分かっていても、本当にお止めにならないのですか?」


青藍が真っすぐ瞳を向けてきた。

身体とは対照的にその目線は鋭く強く、どこにそんな力が残っているのだろうか。


清氏は敢えて微笑んで見せた。

「……………青藍様。私に何を言わせたいのです?」


青藍も微笑み返した。

「ハハハ……冗談はお止めください!私に尋問などという趣味はありません!!……………ただ、父上に頼めないことを頼みたいだけです。おそらく私はあの子の即位の瞬間に立ち会えませんから。お爺様、琥珀をよろしくお願いしますね」


清氏はその場に平伏した。


「_____勿論、お任せください」




そういえば、かつて青藍からそんなことも言われていたな。


大臣らは青藍の快方ぶりが真実だったことに意気揚々とし、これからこの国はもっと良くなるだとか、恐怖に怯える生活から抜け出せるとか、空虚な会話を繰り広げていたが、清氏はそんな議論には交わらず一人で歩いていた。


清氏の野望は、もはや裏で政権を握るというところから飛躍していた。

いくら王が阿呆で、操り人形のように言いなりになるとはいえ、なぜそんな回りくどいことをしないといけない?いつからかそんなことを思うようになっていた。

けれどそう思うだけで、さすがにそんな畏れ多いことを本当に実行に移そうとは考えていなかった。自分の一族の勢力を拡げる意思はあったものの、王権転覆など、そんなことを企むようになるとは全く思ってはいなかったのだ。


清氏はピタリと足を止めた。

「……………」


決定的瞬間は、翡翠国の脅威が迫ってきているにも関わらず猛龍が譲位すると言い放った日。まさにあの時だった。情勢は刻一刻とまるで生き物のように変化を続け、一瞬でも気を抜けば足元をすくわれるというのに、猛龍はあんなにも簡単に王としての責任放棄を言い放った 。


そんな猛龍、病弱な青藍、自覚のない琥珀。

そして________



迷っている時間など無い。

臆する時間など無い。

ただ、やるべきことをやるだけだ。



清氏の足はとある離宮へ向かっていった。








「どうして!!?どうしてだ!!私の兄上が…私の兄上が崩れていく!!耐えられない!耐えられないッ…………」


離宮の様子はまるで盗人に荒らされたのかと思うほど悲惨であった。

松の木は素手で折ろうとしたからだろうか、折りきれなかった枝がだらしなくぶらりと垂れ下がっていて、幹には爪で引っ掻いたような跡まで刻まれている。


屋敷に目を向けると障子はビリビリに破れ、襖も外れ真っ二つに割られていた。


「はははははは………!きっと嘘だ…嘘に違いない!!そうだそうだ私は悪い夢を見ているんだ……なあ、そうだよな!?」


屋敷の主は……なんてことだろうか。言葉にしたくないぐらいに狂乱している。

庭園の池に衣のまま入り、なんと鯉を手掴みして会話をしているではないか。

水から引き上げられてしまった哀れな鯉は、なんとか逃げようと激しく尾びれを振っている。それなのに、あまりにも強い力で掴まれすぎているせいで全く水に戻れそうにない。


「…………」

清氏はもはや溜息も出てこなかった。絶句という言葉に相応しい場面はこれ以上ないだろう。

もはや諭す気にもなれないが、清氏も目的があって訪れている以上、このまま蜻蛉返りはできない。


「………黒蛇様。お止めください、お身体に障ります」


「兄上…兄上…………私の兄上…!!」



「黒蛇様ッ!!!!」

清氏は久方ぶりにこんな大声を出した。

なぜなら、鯉を猛龍だと錯覚した黒蛇が……いや、言葉にするのは控えよう。


「…………誰………ッ!!!」


黒蛇は狂った目を向けてきたが、訪れた者が清氏だと分かった瞬間、掴んでいた鯉を汚物のように投げ捨て、清氏の前に跪いた。鯉はビチャンと激しい音を立て水面に叩きつけられた。やっとのことで解放された鯉はしばらくぼうっと水に浮かんだが、すぐさま池の端まで逃げていった。


黒蛇が池から出てくる様は、まるで飢えた人間が食料を見つけた時のようで、そのもはや感情が読み取れない眼差しに清氏は初めて背筋が凍る思いをした。


「清殿ではないかッ!!!!よくぞ来てくれた!!なあ、兄上が譲位されるなんて嘘だよな!?なっ!!!?」


衣をぐいぐいと下から引っ張られる。

黒蛇は何故か笑っている。ただ、見ていて吐き気をもよおすほど、気味の悪い狂った笑みで清氏は自分が先ほどの鯉になった気分だった。


いつもだったらこんなになった黒蛇には絶対に近づかないのだが、自らの目的にはこの男が不可欠なのだ。だから清氏も引き下がることはできず、この狂人に付き合うしかない。


すうっと息を深く吸い込んだ。

「………黒蛇様、大事なお話があります。お身体が冷えますので、まずは衣を替えましょうか」

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