第五十三話
いつもは患者の診療をしている医院なのに、今はまるでどこか異世界のようだった。
空気がヒヤリとしていて、絶妙なバランスの中何とか成り立っているような張り詰めた空間。
誰も何も言葉を発さない。
いや、発せないと言った方が正しいかもしれない。
どうして、蓮司や怜が王に対して物が言えようか。
「まだ、生きていたとはな。あんな惨禍の中飛び出していって、とっくに死んでいるものだと思っていたが」
「……………恐れ多くも、ここまで生き延びてまいりました」
どうして、何のために猛龍が王宮の外、ましてやこんなところまで来たのか。
しかも一人きりで。
自分を罰しにきたのだろうか?なぜこんな今更?王宮の力を持ってすれば自分一人の居場所を突き止めるくらいこんな時間はかからないはずだろう?
蓮司の頭の中にはあらゆる疑問が湧いてきて、どう考えても理解ができないことばかりなのに、そんなこと聞けるわけがない。
「……………お前が大罪を犯してでも会いに行きたがっていた奴は結局生きていたのか?」
あの頃の猛龍の声も低くはあったものの、今は聞く者の背筋を凍らせるほどの圧というか、覇気がある。なのに、先の言葉を言う猛龍の声は幾分か小さかった。
その問いに対し、蓮司は表情一つ変えず、微動だにしなかった。
「……………その者は私が着いた時には既に帰らぬ人となっておりました。埋葬と供養にはなんとか間に合いましたが」
「そうか」
また暫く沈黙が続いた。
母屋を打ち付ける風の音ばかりが響いている。
「お前は私を恨んでいるか?」
「…………いいえ、私を今まで罰しないでいてくださったことに感謝こそすれど、王様を恨むなどそんな罰当たりなことはいたしません」
猛龍はフンと小さく鼻を鳴らし、そのまま近くにあった椅子にドスンと腰かけた。
「ま、そう言うしかないだろうな」
蓮司の椅子は当然のことながら丈夫ではなく、恵まれた体格の猛龍が座ると、ミシミシと悲痛な音を立てる。
「お前はこの私が今更処罰を与えにわざわざ来たと思っているだろうが、私はそんなに暇じゃない」
「…………」
蓮司は何も返さなかった。
こういう時は何も返さないのが正解だと、さすがに分かっている。
「だがお前が犯したのは大罪だ。私が一言でも捕まえろと言ったら、この地の果てでも追いかけられただろうな」
蓮司はおおよそ猛龍が何を言いたいのか理解した。
つまりは”借りを返せ”ということだろう。しかも、猛龍が一人で来ているということは王宮を介さずに極秘で、ということだ。
「…………寛大なお心に感謝いたします。私はその御恩に対し、どうお返しすればよろしいでしょうか」
察しが良い奴だな、と言って猛龍は嘲笑うように笑った。
椅子から立ち上がり、再び蓮司と怜の前に仁王立ちした。
「蓮司、お前には王子の専属医になってもらう。もちろん王宮の他の誰にも内緒でな」
「…………え」
それまで表情一つ変えなかったのに、思わず顔を挙げてしまった。
自分が何を言われたのか、全く理解できなかったからだ。
だが、猛龍は蓮司が顔を挙げたことに対して、何も咎めなかった。
それどころか、その表情は少し笑みを含んでいるぐらいだった。
「今、何と………」
「言葉の通りだ。王子、つまりは私の息子の病を治せ」
「わ、私は」
「ああ、大罪人だ。そんな者が王宮に立ち入る、ましてや王子の治療などありえない話だ」
「それを分かっていながらなぜ………そんなことをすれば王様は」
そう問うと、猛龍の表情はさっきまでの表情が嘘のように曇りがかった。
「………時間がないんだ。このまま何もしなければあの子は死んでしまう」
蓮司はその一言を聞いた途端、地面に着いた手の震えが抑えられなくなった。もう片方の手で必死に抑えようとするけれど意味はなかった。
「そ、そんな王宮の医官でも難しい病に対して私に何ができるというのです?第一私は今、こんな小さな医院で医者をしているだけで、王様のご期待に沿えるような医者ではありません」
その言葉を聞いた猛龍はガッと蓮司の胸ぐらを掴んだ。
怜は跪いたままでも父が危ないと察知し、すぐにでも止めに入りたかったがぐっとと我慢し、早く時が過ぎ去るのを願った。
「なんだお前、私の目が節穴だとでも言いたいのか!?それともなんだ?王子よりもそこらへんの人間の命を救う方が優先なのか!?」
更に強く掴み、猛龍自らの顔に近づけた。その様は、まるで暴走した虎だ。
「そ……そんなことを申している訳ではありませんが」
「それにお前なんだこの家は?本来、お前の技術であればこんな貧相な暮らしをしないでも生きていけるのではないか?何をどうすればこんな生活になる!?」
それに対して蓮司は何も言うことができなかった。
治療に見合ったお金を取っていないと猛龍が知れば、きっと大馬鹿者だと笑われるだろう。
「……………王宮に来る代わりに、そこにいるお前の子には何自由ない生活を与えてやろう。こんなボロ屋なんかに住むことなく、食事にも困らない生活をな」
「………………」
王からのこの上なく素晴らしい提案に対して、蓮司は何も言わなかった。
「………意固地な奴め」
猛龍は舌打ちをし、パッと手を離したため蓮司はそのまま地面に倒れこんだ。
「父上ッ!!」
流石の怜も我慢できず、すぐ蓮司のもとに駆け寄った。
「どのみち私から命令されればお前に拒否権はない。三日後のこの時間にまた来る。それまでにせいぜい”お世話になった人”に別れでも伝えておくんだな!!」
そのまま猛龍は勢いよく戸を開けて外へ出て行ってしまった。まるで嵐に荒らされた後のように、蓮司と怜の心はズタボロだった。
「…………ゴホッ!!」
「父上!!!」
蓮司はあまりの恐怖に耐えられなくなったのか、過呼吸状態になり息苦しそうに胸を叩いた。
「父上…今、水を持ってきますから」
蓮司は目線で怜に「すまない、」と伝えた。
水は外の井戸で汲んでくるしかなく、怜は急いで戸を開けた。
しかし、開けてすぐ思わず「あ…」と声を出した。
戸のすぐ前には寝ていたはずの凛がいたからだ。
「り、凛…まだ起きてたんだ」
「なぁ、さっきの話は本当か?」
「さ…さっき?」
そう怜が言うと、凛は分かりやすく舌打ちをした。
「ハッ誤魔化すつもりかよ」
そのまま怜を押し退けてズタズタと中に入っていく。
「ちょっと、凛!今父上は……」
「れ、怜。大丈夫だ、ありがとな」
凛が来たことに気付いたのか、蓮司はなんとか呼吸を整えて先ほど猛龍がまるで玉座のように座っていた椅子に腰かけていた。
「凛、全て聞いていたのだな」
「ハッ!あんなにデカい声で話されちゃ流石に起きるだろ?で、どういうことだ?父さんはなんで王なんかと親しいんだ??いや、親しくはないか。王は父さんのこと罪人とか言って恨んでた様子だしな!」
怜はまた凛が何か暴言を吐くのではないかとヒヤヒヤしていたが、今、凛が言った点については同感だった。
そんな話は今まで父から聞いたことがない。だけど、二人はただの顔見知りというにはあまりにも因縁がありそうに見えた。
町医者だと思っていた自分の父が王と面識があるなんて。ましてやあんな言われようをするなんて、自分たちが知らない父の過去があるというのか?
凛に皮肉を言われ、蓮司は暫く黙り込んでしまった。
蓮司自身も思わぬ来訪に状況を全く把握し切れていなかったのだ。
五分ほど経った後、蓮司は観念したかのように低く沈んだ声で話し出した。
「君たちには一生話すことはないと思っていた………いや、違うな。私はずるい人間だから、話したくなかっただけかもしれない」
そう言って、蓮司は自らの過去を全て明かした。
鳳雅との出会いから、猛龍の専属医官だったこと、そして最愛の友を失ったことまで。隠すことなく全てだ。
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蓮司が全て打ち明けた後、親子三人の間には沈黙が流れた。
何からどう返せば良いか分からなかったからだ。
怜と凛が知る蓮司は、母のいとと出会い、自分たちの父となり、母が亡くなってからは一人で医者をしながら自分たちを育てた、それだけだ。
それなのに、母と出会う前の蓮司の人生は、まるで作り話のように波瀾万丈で、一気に聞かされて『はい分かりました』と言えるほどの衝撃ではない。
しかし、口火を切ったのはやはり凛だった。
「………と、いうことは今父さんがやってることは友人の真似事ってことか。なら、王宮に行くのは本来の居場所に戻るってことだ。良かったじゃん」
その言葉を聞いて怜は思わず凛の肩を強く掴んで無理やり振り向かせた。
「……凛、今の話を聞いてどうしたらそんな言い方ができるの?いくらなんでも言葉が過ぎる」
無理矢理怜の方を向かされた凛は心底うざったそうに怜を睨んだ。
「だって、そうだろ?元々の父さんにそんな聖人君子的な思考はなかったんだから。流行病さえなきゃ、一生父さんは王宮の中で優雅に、それに自分の力をちゃんと活かせる場所で過ごしてたんだし。え、何。俺なんか間違ったこと言ってる?」
凛の肩を掴んだまま、怜はもう絶句してしまい、掴む力も気が抜けてしまった。
自分の弟ながら、もう何を言っても無駄な気がしてきた。
「怜、いいんだ。凛は間違っていない」
「父上ッ!!!」
「過去は私自身の愚かさゆえ起こったことだ。凛の言う通り、私は彼のように振る舞うことで罪滅ぼしをしているような気になっていただけなのかもしれないと最近思うようになってきたんだ」
怜は必死に首を横に振った。
「たとえ最初はそうだったとしても………父さんは誇りを持って人を救ってた!!私はずっと隣でその姿を見てきて、憧れて…だから、自分で自分のことそんな風に言わないで!!」
その言葉を聞いた凛が大きな溜息をついた。
「兄さん諦めなよ」
「………何って?」
「分からない?王から直々に言われたんだぜ?拒否権なんてあるわけないじゃん。それとも何?偽善を続けるために王命に背いて父さんが殺されてもいいわけ?」
もう怜は凛の顔を見たくなかった。
確かに全て間違ってはいないのかもしれないけど、蓮司の話を聞いてもそんな言葉しか出てこない自らの弟を心底理解できなかった。
「………私はただ、今まで私が見てきた父上を否定されなくなかっただけで、」
怜がそう言うと、蓮司は立ち上がり怜と凛、二人の肩にポンと手を置いた。
「怜、ありがとう。そう言ってくれるだけで父さんはもう十分だ。凛も、今まで随分と苦労をかけてしまったね」
怜は俯き何も言うことができなかったが、対して凛はフンと鼻を鳴らした。
もう外は僅かだが朝を迎える準備をしていて、空は美しかった。
けれど、怜はその景色をただぼうっと眺めることしかできなかった。




