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紫苑に露  作者: 花信風描
第六章 暗雲
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第五十二話

「父上、もうかなり遅いですよ、まだ寝ないのですか?」


「あぁ、少し気になることがあるんだ。先に寝ていなさい」


「………明日も早朝から巡察でしょう?」

怜がそう眉間に皺を寄せると、蓮司はその顔が少し面白かったのか、ハハハと軽く笑った。


「大丈夫、私も一応医者だ。体を壊すまで無茶はしない」


そう言う蓮司の目の下にクマがあることを怜は見逃さなかったが、そんなことを言ったところで寝てくれないだろうから、そのまま黙っていることにした。


「分かりました、約束ですよ?」


怜は蓮司の背中に羽織を一枚かけてから戸に手をかけた。

羽織といっても質の良い代物ではないから大して暖かくはならないのだが。


そうだ、と蓮司が声をかけた。


「怜、珀くんと何かあったのか?」


「え、」

戸にかけた手の力が思わず強まる。


「………何って、」


「いや、この前の巡察。珀くんも一緒だっただろう?なんだか二人ともどこかぎこちなかったし、あまり話している様子もなかったから」


蓮司はかろうじて怜を見ないで話しているが、読んでいたであろう書物は閉じてしまっている。


何もなかった。何もなかったと頭で理解しているし、珀とも普段通り接していたはずだけど、なんでどう誤魔化そうかと考えているのだろう?と、怜の頭の中はごちゃごちゃになって、言葉がなかなか出てこない。


「……怜?」

蓮司の方を見ると、すっかり書物から目を離して怜の方を見ていた。


「べ、別に!!珀とは本当に何にもなかったですよ?長いこと歩いたので二人とも少し疲れていただけで、そんな……珀とやましいことなんて何も、だって私たちは友達ですし、あるわけないじゃないですか!?父上ったら、変なこと聞かないでくださいよ!!」



「え、あ……そうかそうか、なら良いんだ」



そのキョトンとした表情を見て、怜は自分が何を口走ったのかを一気に理解し、恥ずかしさから身体が燃えるぐらい熱くなるのを感じた。


「……そ、そうですよ。あ、あははは」


わざとらしく笑うしかなかったが、怜は今すぐにでも外へ出て、穴があったら入りたい衝動に駆られた。友人である二人に、蓮司がそんな意味で聞くわけないのに、と頭を抱えた。

蓮司はそんな様子の怜を見て、何か察したのかフフ、と小さく笑った。


「いや、少し心配していたんだ。実は珀くんには後ろめたさを感じていたから、父さんのせいで二人の仲が悪くなっていないかと」


「あ、そういえば私のいない時に会っていたみたいですね。後ろめたさって…珀からそんなことは聞いてませんけど、なにがあったのです?」


そう言うと、蓮司は頰をかいた。

「いや、彼が気にしていないなら良いんだ。あ、そうそう。これも聞いたかい?八年前だから…怜は十歳か。一時期同じ年頃の男の子がうちに住んでいたこと覚えているかい?」


「十歳……」


勉学以外の記憶力は大して良くない怜はグルグルと昔の記憶を辿ってみた。

父がわざわざ話題にあげたということは珀関連のことだろう。ならば、なんとしてでも思い出したい。


「………あ」

もうすでに消えかけていた記憶の中に、それまで見たことのないぐらい洗練された少年の顔が浮かぶ。その瞳はキラキラ輝いていて、怪我人なのに溌剌としていた。

その笑顔のまま、こう聞かれたんだった。




『_____君、名前は!?』



「………あっ!!いました、いましたね!私、その時初めて人を看病したんですよ」


蓮司はコクリと頷いた。

「私も彼から言われるまで気付かなかったんだが、その少年はどうやら珀くんだったみたいなんだ。彼はこの場所に来て思い出したみたいでね」


「え、嘘ッ!?あの子が珀……」

怜は思わず大きく目を見開いた。

そう聞いた途端、頭が記憶を消さないようにするためか、次々と色んなシーンが流れ出した。


衣を変えてあげたり、食事の世話もしていた覚えがある。

彼はなぜだか自分が接する時だけは頰を赤らめて照れていた気がする。父や近所の子どもといるときはそんなことなかったのに。

…………珀のことだ、どうせ自分を女子とでも思っていたのだろう。


「驚きですね、まさかこんな巡り合わせがあるなんて。でも、あの少年はなんて言うんでしょう、私たちとは着てる衣服も全然違いましたし、纏っている雰囲気も特別な感じがあって……接するのも緊張した覚えがあります。」

それが珀だっだなんて、という言葉はしまっておいた。それはなんだか今の珀が俗っぽいと言っているような意味にとれてしまう気がしたからだ。


「あぁ、私もそう記憶しているよ」

そう言うと、蓮司は腕を組んで天井を見上げた。


「でもあの子が珀だということなら、なんだか納得しました。珀は今でもすることが派手ですし、商人って儲かるんですね」


「………そうみたいだね」

そう答えながら、蓮司の心の中は少しばかり違った。



____あの洗練された顔つき、身につけていた高貴な衣、そして彼が倒れていた場所。


うずくまっていた彼を見つけた時は、その重症さに何も考えず医院まで連れ帰ったが、あの後少し肝を冷やしたことを覚えている。


忘れるわけのない"あの"記憶。




「………いや、まさかね」


ならば、本当に"そう"ならば今彼がこうして外に出歩いて、しかも酒場や妓楼にまで行っていることの説明が全くつかない。

そんなこと、"彼"が許すはずがない。




「父上、どうかされました?」


「いいや、何でもない。あぁ……すまないね、かなり長く引き留めてしまったみたいだ。もう行っていいよ」


そう言うと、怜はニコリと笑った。


「父上。もう集中力も切れたでしょう、一緒に行きましょう?」


「な……まだ大丈夫だ」

蓮司は再び書物を開いてしまった。


「もう、父上!あまりにも頑固すぎますよ!?」


「子どもは早く寝なさい!」


「なっ……もう十八です!」




___________ゴンゴンッ



そんな厚い戸ではないのに、かなり強い音だ。


「……こんな深夜にどなたでしょうか?」


「急患だろう。怜、私は準備をするから症状だけでも聞いておいてくれ」


「分かりました」



怜はすぐに戸を開けた。ギギギと古びた音が鳴る。

「はい、こちら医院です。どうされましたか?」


しかし、そこに立っていたのはどう考えても病人ではなかった。

「…………え」


それどころか、怜は思わず後退りした。


目の前に立っているのは全身真っ黒の衣で覆われて、顔までも黒の布を被っている、今まで見たことのないぐらい大柄の人物だ。そんなだから、まるで人ならざるものかと思ってしまうぐらいには怖い。


怜はその人物をただただ見上げることしかできなかった。あまりにも怖くて、声も出せずにいた。


「怜、どうしたんだ?」


何も声がしないものだから、部屋の奥から蓮司が出てきた。


「……………ッ!?」


蓮司もまた目を大きく見開き、すぐさま怜の腕を引っ張り自らの後ろに隠した。


入り口を塞ぐ人物が居なくなったのをいいことに、その人物は中まで入ってきた。


親子は後退りをして、何としてでも息子を守りたい蓮司は近くにあった器具を手にした。

人を救うためのもので威嚇するなど不本意だが、そんなことは言っていられない。



「………………私にそのような物を向けるとは随分と偉くなったものだな」


その者が声を発した途端、力が入っていた蓮司の身体はピタリと固まった。


「蓮司」


カシャンと器具が地面に落ちる音が響く。

身体がガタガタと怜の目からも分かるぐらい震え出した。


「…………ち、父上?」


「ほう、その若造はお前の息子か。確かに、何となく昔のお前の面影があるな」


「父上………お知り合いですか?」


「………怜、今すぐ跪きなさい。理由は訊くな」

父親にそのような口調をされたのは初めてだった。

多分、本当に訊いてはいけなのだと理解し、怜は黙ってその場に跪いた。


その後、目の前の蓮司もまだ震えながらではあるが、すぐに跪いた。


蓮司が跪く様を見て、その人物の身体は少し動いた。

手が出かかったが、唇を噛みしめてすぐに引いた。



「ご無礼をお許しください。王様」


蓮司のその言葉を聞いた途端、怜の身体は石のように固まった。

王様?…………本当に存在しているとでも言うのか?本当に王様なら、なぜ父の名前を知っているのか?

顔を挙げたいという欲が沸々と湧き上がってきたが、もし本当にそうならば絶対に駄目だ。




”王様”と呼ばれたその人物はフンと軽く鼻を鳴らし、やっと黒衣を脱いだ。


______現れたその人物は、他でもない猛龍だった。

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