第五十話
青藍の殿を離れ、猛龍は一人で王宮内を歩いていた。
猛龍は歩く時に足元なんて見たことがないのに、今はどうにもいつもの様に胸を張って歩けない。
もうあれから二十年は経っただろう。
そんなにも時間は経ったのに、蓮司との過去に対する自分の感情は未だに曇りがかったままだ。
あれはなんだったのか、どうしてああなったのか、何が正解だったのか?
最近は忘れかけていたあの時の心の喧騒が再び呼び起こされたような気がしてどうにも落ち着かない。
さっきも青藍に蓮司のことを聞かれて、顔が強張り心が萎縮した。
「………クソッ何なんだこれは!?」
猛龍は側にあった柱を大きな拳で打った。
しかし、いつものような覇気はなく、結んだ拳にキンとした嫌な痛みが走る。
_____蓮司を王宮に呼ぶ。
残る手はどう考えてもこれしかなくて、猛龍は覚悟を決めたはずだったのに、いざ事が決まると本当に実現するのだろうかと不安がよぎる。
そもそもの話だ。
あの流行病が猛威を振う中、王宮を抜け出したあの男は果たしてまだ生きているのだろうか?運良くあの惨禍から生き延びたとしても、まだ健在かどうかなんて王である自分には分かりっこない。そんなこと、なぜ考えなかったのだろうか?
_____それは、どこかで生きていてほしいという願いからか?
そう思ってからハッとし、猛龍は自らの頬を叩いた。
「いや、私に逆らった奴のことなど心配したことなどないっ!…………あんな大逆罪を犯しておいて、捕まえられ処刑されなかっただけでも感謝してほしいぐらいだ……!!今回のことはあの時の借りを返してもらうだけ。王であるこの私が頭を下げて頼み込む様なことではないッ!!」
そう声を張り上げ、いつもの猛龍らしく胸を張って大股で歩きだした。
「おや、王様ではありませんか?」
目の前に現れたのは清氏だった。深い紺色の衣に身を包んでいて、飾り気が無くてもその姿からは猛龍にはどう頑張っても醸し出せない品が感じられる。
「あぁ、清。久方ぶりだな」
辛うじて衣は変わるが、それ以外はいつ見ても変わらない彼を見て、猛龍はいつも誠に清は人間なのだろうかと思う。
「どうされました、私に何かついているのですか?」
あまりにもまじまじと見過ぎたせいで、あまり変わることない清氏の表情が少し動いた。
「いやッ!!別に何も」
静かに「そうなら良いのですが」といった清氏は少し気になったのか衣を少し整えた。
「しかし王様、あまり感心しませんよ。お一人でこのように出歩くのは」
猛龍は心臓がびくりと跳ねるのを感じた。帰り道も用心すべきだった。
………清には一言伝えておいた方が良いだろうか?
そう思いかけて心の中で大きく首を振った。
青藍と内密にするとの約束だ。自分より聡明な息子の言うことは遵守すべきだ。
「べ…別に良いであろう散歩ぐらい!其方だって今一人じゃないか!!私も偶には気楽にさせてくれ。」
「私は今一人ではありませんが?」
「は?どこに人が………」
「お初にお目にかかります、王様」
「う…………うわああああっ!!」
ぬるりと出てきたその男は全身黒づくめで、実物を見たことはないのだが、その姿はまるで忍だ。
無精髭を生やし、その瞳はジトリとしている。清潔感はあるのだが、なんだか本当に怪しく感じる。
「び………っくりするではないか!!清!!其奴は誰だ!?其方の一族にそんな男はいたか!?」
「………驚かしてしまい申し訳ありません。王様に紹介したことはありませんでしたが、この者はもう長く私の右腕として信頼を置いているものでございます。怪しい者ではありませんのでご安心を。」
「………本当に怪しくないのだろうな?私は少し怖いぞ」
そう言うと、珍しく清氏は軽く笑った。
「大丈夫ですよ、こう見えて妻子もいるような男ですので」
「………そ、そうか。よ、よろしく頼むぞ」
「有難きお言葉」
清氏から”伴”と紹介された男は、慣れた様子で礼儀正しくお辞儀をした。
王宮には似つかわしい顔つきの男ではあるが、清氏からそれなりの指導は受けているようだ。
「じゃ……じゃあ、私はもう自殿に帰るとする」
そう言うと、猛龍はすぐにその場を後にした。
あまり長話をすると、いつかボロが出てしまう。
清氏に対して秘密事をするのは、猛龍にとってはあまりにも危ない綱渡りのような行為だ。
今まで、何度自分の心の内を言い当てられてきたか。
_______今回ばかりは何としてもやり遂げたい。
できれば誰にもバレないように。
「…………私は何かおかしかったでしょうか」
伴は自分の衣をはたきながらそう言った。
「君の動きはいささか予想がつきにくい。私も何度か驚かされてきた。」
「………左様ですか、以後気を付けます。」
「いや、そのままで良い。私が君を傍に置いているのは、そのような性質故でもあるのだから」
「……………そんなことより」
清氏はゆっくりと背後を振り返り、猛龍の後ろ姿を見つめた。
大きな身体に、豪華な衣。
図体ばかり大きくなって、その精神はまだ成長途中の少年のようだ、と清氏は心の中で小さく溜息をついた。
「伴。新たな指令だ」
「何でしょうか」
”指令”
伴はの言葉を聞いた途端、その場に跪いた。その動きには一切無駄が無い。
「_______王は独りでに何かを企んでいるようだ。暫く動きを見張っておれ」
「………………ん」
自分の身体の上に、人肌と柔い唇を感じて琥珀は目が覚めた。
目を開けたら、そこにはすぐ怜の顔があった。
「……………ッ!!!!?」
「ごめんなさい…………起こしてしまいましたか?」
よくよく見ると、自分も怜も服を何も着ていないではないか!?
その事実に気付いた途端、琥珀は恥ずかしくなって横を向くしかなくなってしまった。
『あれ?確か怜は一人で横になって寝たんじゃなかったか!?それで俺が羽織をかけてやって……それなのに、なんで怜はこんな姿でこんなことを!!?』
「…………どうして横を向くのです?」
そう言う怜の声色は少しいじけたように、そしてどこで覚えてきたのだろうか、何となく色っぽくて、琥珀は余計に恥ずかしくなって目をぎゅっと閉じた。
「……………酷いです。ちゃんと私を見てください」
言うなり怜は琥珀の頬を掴んで無理やり自分の方へ向かせた。
細腕のくせに、なぜかその力は強くて琥珀は抵抗することができず、目を開けるしかなかった。
「やっと見てくれた」
ふわりと笑った怜は、そのまま琥珀の身体に自らの身体を重ね、その淡い桃色の唇を近づけてくる。
「ちょ………怜!!待って!待ってよ………どうしたの、」
琥珀は自らの両手で怜の口を覆った。
思いがけず制止された怜は心底不機嫌そうな顔になった。
「どうしたのって………珀、まさか昨晩のこと何も覚えていないのですか?」
「え、昨晩、何もって……俺、まさか我慢できずに、いや。そんなはずは………」
怜は琥珀の手を軽くかわした。
「ええそうです。珀は我慢できずに眠っていた私を………」
琥珀は頭が真っ白になってしまった。
自分は友人という線を越えただけでなく、まさかまさか絶対的に越えてはならない線までも越えたというのか!!!?
「……………その、珀にとっては何の意味はなくとも、私にとっては」
怜の頬が淡く色づきだした。
その姿はあまりにも煽情的すぎて、琥珀はめまいがしてきた。
「ほ、本当なのか……?本当に俺は、」
怜の瞳がちらりと琥珀を見た。
「………本当に何も覚えていないというのですか?…………酷い方です」
本当なのか?本当なら、なぜ俺は何も覚えていないのか?
「………………怜は、嫌だった、よね」
あまりにも情けないが、その語尾は弱々しく、小さくなった。
すると怜は、もう一度琥珀の頬にそっと自らの手を添えた。
そして、軽く触れるだけの口づけをした。
「……………これが、私の答えです」
怜の瞳の奥は、確実に燃えていた。
そこからは無意識で、琥珀は怜を押し倒した。
もう何も考えられなくなって、今すぐにでも怜の全てが欲しくなった。
「……………怜」
そう名を呼ぶと、怜はふふっと優しく笑ってくれた。
「珀、愛していま、」
「こ・は・く・さ・まッッッ!!!!!!!!!」
「ハッ……………!!……………………は?」
目を覚ましたら、そこにあるのは可愛い怜の顔ではなく、中年の油がたぎった男の顔だった。
琥珀は飛び起き、辺りを見回した。
望月は危うく琥珀と頭をぶつけそうになり、いつもにはない瞬発力でなんとか避けてみせた。
「も、望月………ここはどこだ?」
そう問われると、望月は大きな、それはそれは大きな溜息をついた。
「貴方様の寝室ですが何か?」
「れ、怜は………」
「怜?誰ですかそれは?それより琥珀様、貴方よくも外泊しましたね?それだけは守っていたのに、青藍様から何か大切なお話があったのではないのですか?なぜ貴方様には何も響かないのですか?もう私は情けなくて仕方がないです」
そんな望月の小言など、心底琥珀には届いていなかった。
「さっきのは………ゆ、夢だよな?そ、そうだよな!………いや、焦った焦った。俺はなんていう夢を………」
と言いつつ、夢だったのが少し残念な自分もいた。
『もう少しだったのに……………』
あの夜は本当に何も無かったのだ。
二人とも本当に疲れていたみたいで、気付いたら朝だった。
怜は意外にも単純な性格なのか、朝起きたら夜のことなど忘れたようにさっぱりとしていた。寝たら全て忘れるとでもいうのか?
道中も、今日は天気が良いとか、昼頃には父の元に着くとか、本当に当たり障りのない会話をいつも通り交わして、本当に昼頃には蓮司のもとに着いてしまった。蓮司とは少し口論になったあの夜以来だったから少し気まずく思っていたが、さすが相手は大人で、琥珀が気まずくないように気さくに接してくれた。
そこから怜と蓮司はひたすら治療に当たっていたから、その後琥珀と怜、二人きりで話すことは全くなく、優秀な医者の親子は村一体の患者を全て診きってしまった。
外の世界の惨状を自らの目で見ようと同行した琥珀は、すっかりそれどころでは無くなってしまった。
いや、それなりに収穫はあったが。あったが、こんな夢を見るぐらいには集中できていなかった。
怜にも、もう少し頬を赤らめるとか、気まずそうにするとか、そういう反応一つでもあるかと思っていたが、本当に何もなくて、琥珀は少し悲しく感じた。
怜にとっては、本当にただの事故で、蒸し返すのも嫌なぐらいなんだろうな。「嫌じゃない」あの言葉に、琥珀が期待するような意味合いは何もないんだな。もしかしたら聞き間違いかもしれないな。
そう思っては心が沈み、王宮への帰り道は何だか虚しい気持ちで、足取りが重かった。
そんなことばかり考えていたから、少しは神様が慰めようとしてあんな都合の良すぎる夢を見せてくれたんだな、と琥珀は小さく溜息をついた。
それだけで満足しよう。事故とは言っても、事実怜と口づけできたんだ、それだけで人生悔いなしだ。
それ以上はどう考えたって望むべきじゃない。
「こ・は・く・さ・ま!!!?聞いていますか?」
「ん?何か言っていたか?」
「だから貴方様はもうそろそろ王子としての自覚を持つべきだと…………」
「出るよ」
「……………え?」
これは、兄から話があったときから考えていたことだ。
そして今回怜に同行して、自分の弱さを克服した彼の姿を見て、意志を固めたことだ。
「今日からきちんと講義に出るよ」




