第四十九話
「………そうか、今日も王宮にはいないのか」
外はかなり雨が降っているのだろうか。屋根に打ち付けられた雨音が大きく響く。
「左様です。望月に確認してまいりましたが、本日も朝早くから既に殿にはいなかったと….……。しかし青藍様、どうされたのですか?琥珀様が王宮にいないなど今に始まった話ではないでしょう?」
「いや、何もない。ただ気になっただけだ。しかし橘。いくら其方でも琥珀のことをそういう風には言って欲しくないな。」
「………失礼いたしました」
橘は青藍が幼子の時から側に仕えている初老ぐらいの官吏で、琥珀についている望月よりだいぶ落ち着いていて、的確だ。
側仕えの者は主の性格に似るのだろうか。
あぁ、そうだ。少し頼みたい。と言って、青藍は橘に手招きした。
橘は少し戸惑った様子を見せたが、命令だ。遠慮がちに近づいた。
青藍はいつも冷静な橘がそろ〜っと近づいてくるのが面白かったのか、小さく笑い、自分の側まで寄らせ、耳打ちした。
「……………!?青藍様、」
「理由は訊かないでくれ。そういうことだから、まずは明日早朝、父上にこれを直接渡してきてほしい。わざわざ其方に頼む理由が分かるな?………この文のことは内密に頼む。」
「かしこまりました」
橘は"内密に"と言われても臆することなく静かにそう言って、青藍から猛龍王宛の文を受け取った。
「では、早くお休みになられてください」
「あはは……君もそんな風に言うのかい?大丈夫だ。最近は幾分か調子が良い」
「貴方様はいつもそう言っては無茶をするでしょう?その度に寿命の縮むような思いをする我々のことも少しは………」
「ハイハイ分かった分かった!!休む休む!ほら、下がった下がった!!」
「………。」
橘は少し不服そうに出て行き、パタンと静かに扉が閉まった。
橘がいる間はにこやかな笑顔を保っていたが、一人になった途端、青藍は大きな溜息をつき肘掛けに肘をついて頭を抱えた。
「………どうしたものかな。なるべくこうはしたくなかったのだが………やむを得ない」
翌朝。
昨晩の雨はなんとかあがっていたが、空は雲で覆い尽くされている。
「何、青藍から文?なぜお前がわざわざ?しかもこんな徹底的に人払いをするなど偉くなったものだな」
「…………このように人払いをしたのは青藍様からこのことは内密にしてくれ、とのことでしたので。こうさせていただいたほうが王様のためにも良いのではないかと考えた故でございます。どうかお許しを。」
内密に、と聞いて、猛龍は文の中身がおおよそ見当がついた。
だから、橘の少しばかり行きすぎた行動もそれ以上追求しなかった。
「では、私はこれで失礼いたします」
「………待て」
「はい。王様」
「お前は青藍からこの文について本当に何も聞いていないのだな?」
そう問われると、橘は表情一つ変えずに深々とお辞儀し、殿を後にした。
「全く……掴みどころのない奴だ」
猛龍は橘から受け取った文をチラリと見て、何を言われようと意志は変わらないといった様子で鼻をフンッと鳴らした。
「…………ッ!!!」
だが文を開くなり大きな目を更に見開き、すぐに立ち上がった。
そして、すぐに衣を翻して誰にもバレないように再び裏口から殿を後にした。
『父上、急にこのような文をお送りいたしましたのは、先日お話しいただいた治療のことについて、父上のご厚意に甘えてさせていただきたいと思ったためでございます。このことは誰にも知られてはならぬゆえ、本日夜更けに私から参ります。夜分にお伺いすることをどうかお許しください。』
青藍からの文はこんな内容で、青藍は人目につかぬように夜に訪ねると言っているのに、この単細胞の王様はこんな朝日がまだ登りきっていないような時間に、犬でもできる「待て」ができずに王宮内を闊歩していた。
頭の中にあるのは青藍が治療を受けると言ってくれたという事実だけで、文の続きまではすっかり消えてしまっていたのだ。
だから、王宮内には当然官吏やら、女官らがそこら中にいて、彼ら彼女らの姿を見てやっと猛龍はこれが極秘であることを思い出した。
すぐ物陰に隠れて、そこからはまるで説話に出てくる忍のようにコソコソと豪快な見た目や性格に似合わない歩き方に変えた。そこで大人しく自殿に戻ろうとしないのがいかにも猛龍らしい。
息の詰まる思いでやっと青藍の殿まで辿り着いた猛龍は以前と同じように徹底的に人払いをした。内官たちは最初こそ驚いた顔を見せたが、言葉には出さなくても「ああ、またか」といった様子で静かに頭を下げた後、その場からスタスタと出ていった。
人払いを済ませて、やっといつも通りに振る舞えると固く緊張した肩の力を抜くと、なんと叩くことなくバンッと戸を開いた。
開いてしまってから、流石に無遠慮だったとハッとした。
「………ッ!!!?ち、父上!」
幸いにも青藍は文机で書を読んでいたから良かった。
青藍の顔を見たら、今まで我慢していた感情が溢れ出し、何も言わずそのまま青藍までドスドスと近づきその細くなってしまった身体をギュッと抱きしめた。
「ちょ、え…父上!どうされたのですか?」
「よく決意してくれた我が息子よ……!!必ず其方に健康な身体を与えてみせるからな!!」
猛龍は実は少し泣いていたが、抱きしめられて顔が見えない青藍にはそこまでは分からない。
『………細い、あまりにも細すぎる』
我が子ながら、今までこのように抱きしめたことがなく、猛龍は初めて青藍の病状の深刻さを嫌でも感じさせられた。
そして初めて青藍が今までそんな身体つきがバレてしまわないように衣を重ねて誤魔化していたことに気づき、猛龍の目からは更に涙が溢れてきた。
なんとなく猛龍が自身の骨骨しい身体に絶句しているのに気付いた青藍は優しく父の身体を離した。
「父上、一国の王をこのような地べたに座らせたままにしている私の気持ちをお考えください。」
こういう時の青藍のなんというか、相手を不快にさせることなくやんわりと伝える話術を、猛龍と琥珀は少し学んだほうがいい。
「お、そうだな。すまない」
無理やり涙を引っ込めた猛龍は従順な大型犬のようにストンと座った。
「父上、今晩私からお尋ねする予定でしたのに……申し訳ありません」
「……?そんなことあの文に書いてあったか?」
「えぇ、一番最後の行に」
「あぁそうなのか?すまない。あまりの衝撃に最後まできちんと読んでいなかった。
二人の間に「…………………」と時間が流れた。
青藍も言ってしまってから反省した。父の性格を考えたら、注意書きは大事なことの前に書かないといけなかった。
猛龍は大雑把にガハハと笑った。
「大丈夫だ!!堂々と王宮内を歩いてきたわけではないからな!誰にもバレてはいないはずだ」
青藍は大胆な性格の父が、その逞しい身体や存在感を本当に隠しきれたのか心底心配になったが、過ぎたことを憂いていても何も起こらないと自身を納得させた。
青藍はクスリと小さく笑った。
「しかしながら、やはり父上はお優しい方だ。ちゃんと私の意志を尊重して待っていてくださっていたのですから」
そう言われると、自身の性格についてあまり褒められ慣れていない猛龍は子どものように頰を赤く染めた。
「…………ふ、フンッ!そ、そりゃあ、同意のもと行った方が、治療も効果があるとかないとか……」
なんだかゴニョゴニョ喋っている。
逞しい身体や、凛々しい顔つきで隠しているが、猛龍はこんなに可愛らしいところがあるのだ。
青藍にとって猛龍は、父上であるが王のため一般的な親子ように振る舞うことはできない。だから、心の中で「可愛い」と呟いた。
「父上、その方はどのような医者なのです?」
大事なことなのに、意外とそのことを聞いていなかった。
けれど、青藍がそう尋ねた途端、猛龍の動きがピタリと止まり、顔つきまでもさっきまでとは打って変わってしまった。
一言で怒った、悲しんでいると表現できそうにはない表情。言うとすれば一気に全身が緊張したような。目線は遠く、まるで暗い過去を思い出すような、そして行く末を憂えるような目をしている。
そんなだから、青藍の問いかけに対して、猛龍はしばらく言葉を返せなかった。
猛龍は感情がすぐに顔に出るため、青藍は何かいけないことを聞いたみたいだと瞬時に勘付いた。
しかし、青藍にとってそれは重要事項だから、聞いておかないわけにはいかない。
そういえば、猛龍はあの夜に、今どこで何をしているか分からないと言っていた。
……本当に親しいのだろうか?まさか無理やり連れてくるようなことはしないだろうか?
「父う、」
「………………だ」
「え?父上……なんと」
猛龍の声は心なしか震えている。
「彼は…蓮司は………かつて私の専属医として王宮にいた男だ」




