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紫苑に露  作者: 花信風描
第五章 恋情
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第四十四話

「いいですか?珀。私たちに病が移ったら元も子もないですからね、きちんと口に覆いをしてください。」


怜の家で準備を整えた。

凛がいるだろうから何だか気まずいと思いながら入ったのだが、家の中に凛はいなかった。

あんな怪我でどこに行ったというのだろうか?本当に落ち着きのない子どもだ、と琥珀は大きなため息をついた。


怜から真っ白で清潔な覆い用の布を渡されたが、どうも付け方が分からない。

暫く格闘して何とか付けたがどうやら違ったみたいで、振り返った怜に吹き出されてしまった。


「珀、貴方って人は…!できないこともあるんですね。ほら、貸して下さい」

そう言って怜は琥珀の背後に回った。


王子である琥珀は、正装をする時はいつも望月に何から何まで着せてもらっているのだから、何ら特別なことではないのに。

その相手が怜だと思うだけで、背後に回られているのが何だかこそばゆくて恥ずかしい。


怜の手が少し自分に触れるだけで、ビクリと身体が跳ねる。怜に気付かれたら恥ずかしいから平然でいたいのに、触れられたところが異様に熱くなる。


………先刻、触れるどころか熱い抱擁を交わしたが。

今冷静に考えるとなんて事をしてしまったんだという気持ちと、怜が抵抗しないで抱きしめ返してくれたことの嬉しさで混乱して茹で上がりそうだった。


遊び人である自分は言葉に出せないほどのあらゆる事を経験済みで、抱擁なんて朝飯前だというのに、恋慕している相手だというだけでこんなになってしまうのか?

百戦錬磨の男も初心な青年にしてしまうなんて、恋情とは何て恐ろしい感情だろうか。




「でも、どうして私と一緒に来たいと?地方には珀の好きなようなものは何もありませんよ」


「えっ……!あ、えと。しゃ…社会勉強、かな?ホラ、俺っていろんな所に行くけど、あんまり地方には行かないからさ!色んなところを知っておいた方が今後のためになるかなって。大丈夫大丈夫!怜達の邪魔はしないから!」


予想外にも怜が急に話しかけてくるものだから焦ってしまった。何だよ、社会勉強て。


でも本当だ。

実のところ、琥珀は本当に地方に出向いたことがないのだ。

貧しい暮らしをしているというのも、街の人間が酒場で話しているのを聞いただけなのだ。


____兄にまであんな大口を叩いておいて、流石にそれでは駄目だろう。




「いえ、嬉しいですよ。珀がいてくれるだけで心強いです」


琥珀の心の内を何も知らない怜はニコリと笑ってくれた。このふわりとした笑顔が本当に好きなのだ、可愛くてしょうがない。




「できましたよ、では行きましょう」


怜とずっと一緒にいたいから。そんな邪な気持ちでついて行くと言ったわけでは決してないが、それでも思いがけず一緒にいられることができて、琥珀は嬉しくてたまらなかった。


ずっと会いたくて仕方なかった人がすぐそばにいる嬉しさは何にも代え難い。

怜の黒髪がふわりと風に吹かれて、自分の瞳に映る。

それだけで、北風は冷たく寒いのに、頬が熱くなるのを感じる。


「見てください、珀。紅葉が綺麗ですよ、もう終わりがけでしょうが」

「……………ほんとだな」


琥珀はそう言われ、怜から目を移して頭上を見上げた。

さっきまで、枯れた葉を付けた木々が淋しげに感じたのに、怜と一緒に見ている今は、同じ枯れ葉でも朱色や橙色、褐色など様々な色があることに気付く。どれ一つ同じ色などなく、その色はそれぞれが自らの生命の終わりが近づく中、最後まで自らを灯し続けようとしているようだ。


「…………本当に、綺麗だな。」


もう何も考えず、このまま怜と二人で居られたら。

巡る季節をこうしてただただ慈しんでいられたら。

春は花見をして、夏はまた怜を海に連れて行きたい。秋は今のように紅葉の中を歩いて、冬は寒いから暖かい布団にくるまっていたい。


怜は、そして自分自身だって、そんな悠長なことはできないと分かっているのに、そんな未来があったらな、と少し思ってしまう。




それからどれだけ歩いただろうか、一刻ぐらいは余裕で歩いた気がする。

王子である琥珀は勿論こんなにも歩いたことがなくて、明日の自分の足が心配になってきた。

それなのに、自分よりもはるかに細い足をしているだろう怜はなんてことなしに歩き続けている。


少し休憩しないか?と言いかけて止めた。

怜は薬が無くなったからといって帰って来たんだ。きっと早く蓮司のもとに行きたいに違いない。勝手についてきただけの自分が足を引っ張ってはいけない。

それに、怜に体力の無い男だとは思われたくなかった。

そう考えること自体、恰好がつかないのだが。




ふう、と少し前を歩いていた怜が小さく溜息をついた。


「珀、少し休みますか?もうかなり田舎なので茶屋などはないですが。あの木陰で少し休憩しましょう」




「ああ、俺もそう思ってたところだ」

こんなにも怜が天女に見えたことはない。




「結構遠くまで来たな。なあ、怜。蓮司さんの所まではあとどれくらいだ?」


辺りを見回しながらそう呟いた。

どれだけ見渡しても山と耕されていない田畑ばかりで、人が住んでいる気配もない。

静かすぎて逆に怖いくらいだ。このまま歩いていけばいずれ人が現れるというのか?


「そうですね、あと半刻ぐらいでしょうか?いや、もう少しあるかもしれません」

「………怜はこんな人気のない道を一人で歩いてきたのか?」


「はい。ああ、でも寂しくはありませんよ!狸とか鹿とか……珍しいですがたまに狐も出てきてくれますし。歩いてて飽きませんから」


「は……はあ。」


自分だったら急にそんな獣が出てきたら腰を抜かして逃げ出してしまいそうだが。

怜はやはりどこか変わっている。


「あ、そうだ。珀、水飲みますか?」

怜は背負っていた重そうな包みから竹筒を一つ取り出した。


「いいのか?ありがとう」

いくら外が寒くても一刻歩けば喉も乾く。

乾いた喉に冷たい水はとても気持ち良かった。


だが、少し飲んでしまってから気が付いた。怜が水を飲む様子がない。

「………もしかして、これ一つなのか?」


「はい?そうですけど」


琥珀は水を吐き出しそうになってしまった。


「ちょっ………と!それ先に言ってよ!!だったら俺、その辺の湧水でも飲んだのに!!」


「いや、珀に湧水を飲ませるなんてできませんよ。第一、飲んで良い湧水なんてそんな都合よくあるわけないじゃないですか!」


「怜も飲まなきゃダメだって!これ返すから!」


そう言って怜の手に無理やり竹筒を返そうとしたが、今しがた自分が口を付けたことを思い出し、出した手を引っ込めた。


「………ごめん、今俺少し飲んだんだった。」


怜に水を飲ませたいのだが、自分が口を付けたものを渡すなんて、間接ではあるがまるで口づけの強要だ………!怜も反応に困るじゃないか!

琥珀はあまりにも恥ずかしすぎて俯くしかなった。


「いいんですか?じゃあ、少し貰いますね」

琥珀はそんなになっているのに、怜はひょいと琥珀の手から竹筒を取り、何の躊躇いもなく水を飲み始めてしまった。


あまりにも一瞬の出来事に琥珀は変わらず俯いていたが、後になって理解が追い付いた。


え、怜が?間接的とはいえ俺と口づけをした!?しかも、何の躊躇いもなしに!?


「えっ………ちょっと怜!それ、今俺が少し飲んで…」


驚き焦る琥珀を前に、当の本人はきょとんとしている。


「………?そうですよ、さっき私が珀にこれを渡したから」


「え、怜………意味分かって」


「意味?意味って何ですか?」


怜は琥珀を呆れて見ながら、また水を飲み始めた。怜のことを友以上の感情で見ている琥珀にとっては、自分の飲みかけを好きな子が飲むというのは、なんというか、恥ずかしくて直視ができなかった。この子はこんなに貞操観念が無い子だったか!?いや、これは単純に意味が分かっていないだけだろうけれど!!


これは自分が意識し過ぎなのだろうか?男女でもないから、別に大したことではないのか?普通なのか?



本人が気付いていないならば、敢えて言う必要もないか。

………待てよ、じゃあ、今度これを俺が飲むときは、怜と間接的に口づけをすることになるのか?



バチンッ

琥珀は両の頬を勢いよく叩いた。


「は……珀?どうしたの」

「…………何でもない。こんな俺のことは今すぐ忘れてくれ」

あまりにも自分が気色悪くて、想像しただけで興奮してしまった自分がそれはそれは気持ち悪い男みたいで耐えられなくなった。


相変わらず意味の分かっていない怜の頭には大きな”?”がついているが、それに構ってあげられるほど琥珀には余裕がなかった。




「よし!じゃあ、行きましょう」

「…………そうだな、先を急ごう」




自身を何とか落ち着かせることに成功して立ち上がろうとした矢先、後ろの茂みがガサガサッと動いた。



「なっ……なんだ!!!!!?」


獣だと思った琥珀は、それはそれは素晴らしい瞬発力で後ろに跳ねた。

そうしてしまってから、なんて格好がつかないことをしてしまったのだ!と後悔したのだが。




だが、茂みからぐしゃりと出てきたものを見て驚いた。

それは、獣でもなんでもない一人の人間だったからだ。

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