第四十二話
翌日、琥珀は街へ出てきていた。
昨日の夜は青藍の言葉がどうしても消化しきれず、生まれて初めて眠れずに朝を迎えた。
あの兄上が、自分はもう長くないと語ったこと。
だから、こんな自分が王になると言われたこと。
琥珀はどうしてもそれらを認めたくなかった。
あまりにも大きな二つの言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡って、どうすべきということでもないのに、何か解決策を見つけたくて、頭にかかるモヤを取り払いたくて、考えたところでどうしようもないのに、ずっと考え込んでいたのだ。
「この俺が王だって?……あり得ない、父上が聞いたら失神しかねないだろ。いや、父上だけじゃない。王宮の誰しもが顔を真っ赤にして怒るはず、まだ兄上の病を完治させるほうが遥かに現実的だ。」
「………だけど」
もう一つ兄に言われた言葉を思い出し、琥珀は足を止めた。
『それだけ強い想いがあるのなら、やってみればいい。』
それもそうだ。
自分は今の体制に反抗するだけ反抗して、一体何がしたいというのだろうか?
王宮の外で遊ぶための口実?
いや、そんなんじゃないはすだ。
でも、今のままじゃ、口で文句を好き放題言ってるだけで実際は何もやろうとしない、変えようとはしないのだから、そう思われたって仕方がない。
それって、すごくカッコ悪い。
本当に嫌だと、間違っていると思うならば、行動すべきじゃないのか?
それには、王という絶対的権威が必要で_____
そう思いかけたところで、ハッとして頬を強く叩いた。
「…………ダメだダメだ!!俺が王になるってことは兄上がいなくなるってことだ!そんなの、絶対に嫌だ!!無理だ無理!!兄上の方が俺より何百倍も優れてるんだ!兄上ならきっと全部うまくやれる!!そうだそうだ、俺は昨日のことがあったってまた街に出てきているような戯け者だ、今までもそしてこれからもだ!」
止めていた足を強く踏み出し、琥珀はまた歩き出した。
でも、ふとまた足を止めた。
「………あれ?俺、どこに向かってるんだ?」
そういえば、朝、煮え切った頭を冷ましたくて虚虚になりながら準備をして、外に出て、そこからも考え事をしながらフラフラ歩いていたものだから、自分が今どこにいるか分からなかった。
考え事に夢中な時は、周りの景色など全く目に入らないようだ。
ただ道に沿って足を動かしていただけで、どの方角に向かっていたのかでさえ定かではなかった。
「……でも、ここは見覚えがある」
中心街からは離れた田舎だが、いくつもの家が建っている。
「…………怜のところだっ!!!」
いや、決して意図して来たわけではない。
たまたまフラフラしていて行き着いた先が怜の家だった。
本当に偶然だ。
「まさか覚えていたとは…!やっぱり優秀だな、俺の足は!もしかして、怜が帰ってきているかもしれない………!!」
そう思った途端、心臓が高鳴るのを感じた。まるで跳ねるような心臓に釣られて、頰や吐息まで熱くなってきた。
それと同時に、自分の気持ちを自覚してから初めて怜に会うことになるのだ。会えたら何を話そうか?怜は笑ってくれるだろうか?
そんなことを考えだしてしまうから、どうも心は落ち着かず、期待と一種の不安で緊張した。
怜の家が目に入ってきて、唾をゴクリと飲み込み向かっていった。
「おいッ!!てめぇ、今なんて言ったか!?もう一度言ってみろよ!!」
そんな琥珀の淡い心に泥を投げつけるかのような罵声が急に耳を刺した。
「ハハハッそんなに言ってほしいなら言ってやるよっ!!!お前の家族はド〜ブね〜ずみっ!!!」
「お前らは汚〜い衣を着てゴミのような飯を食べてる!!臭い臭いっ!!近寄るな〜!!」
「……っざけんな…!誰のせいでこんな事になってると思ってやがる!?」
やれやれ、と琥珀は大きな溜息をついた。
眼前では、せいぜい10代半ばの男児たちがなんとも醜い小競り合いをしているではないか。
だが、そのガキたちに目を向けるとなんと七対一だ。これでは小競り合いというより弱いもの虐めといった方が妥当だ。
一側の少年は負けじと張り合っているが、数の力には勝てない。『ド〜ブね〜ずみ!ド〜ブね〜ずみッ!!』と大合唱されている始末だ。
自分は何も事情を知らない部外者だが、どうもこの構図には腹が立つ。少しばかり割り込もうとした矢先、
「…………あれ?」
怒りでわなわな震えている少年に見覚えがある気がした。人の心の臓を一刺しで貫くような目線、ゴロツキのような荒々しい言葉遣い。自分も向けられたことがある。
「………………!?怜の弟じゃないか!」
しかし、そう分かると、琥珀は少し頭を傾げた。
「………………待て、ということはだな?ドブねずみっていうのは、まさか怜と蓮司さんのことか?」
そう気付いた途端、琥珀は急に部外者ではなくなった。自分の大切な人を、何も知らない子ども達に目の前で侮辱されて、怒りの火種がパッと付けられた。
「………怜が、ドブねずみだと?」
信じられない。心底信じられないという感情が沸騰して、爆発しそうだ。
目の前では、怒りを抑えられず殴りかかった凛によって既に大乱闘が起きていた。
だけど、いくら凛がゴロツキ並みに強くても、やはり数の差は埋まらない。
すぐに劣勢になって、7人に袋叩き状態になってしまった。
再び大合唱が起こった。
「ド〜ブね〜ずみッ!ド〜ブね〜ずみ!!!」
「ドブにか〜〜えッ…………!なんだアンタ!?」
1人の少年は急に何者かによって後ろ襟を掴まれたから、驚いて声を張り上げた。
琥珀はもう我慢の限界だったのだ。
「____感心しないな。大勢で寄ってたかって一人を虐めて、恥ずかしくないのか?」
仲間の少年らも、一人が人質に取られて焦ったのか、慌てて声を荒げ出した。
「誰だよアンタ!!元太を離せよッ!」
「お前も痛い目に合わせてやる!!!」
「………ふうん、お前、元太っていうのか?いいか、元太。お前らから見たら確かに俺は部外者だ。そんな部外者の立場から言わせてもらおう。」
蹴られ叩かれボロボロになって倒れていた凛だったが、誰かの声が聞こえた瞬間急に叩かれなくなって不思議に思って少し起き上がった。起き上がった先の男を見て見覚えがあったのか、一瞬ぎょっとした表情になったが、今ならやり返せると機会をうかがうような目つきになった。
やれやれ懲りないな、と琥珀は小さく溜息をついた。
「今のお前たちは随分と情けないぞ。どうせやるなら一対一でやるべきだ。そうすればどちらが強いか一目瞭然!!強い奴は一生相手に逆らえない!俺はここで見ててあげるから、やってみたらどうだ?なあ、凛。お前はできるよな?」
凛は琥珀に名を呼ばれて身体をビクリとさせたが、自分に有利でしかない提案を持ち掛けられ、ニヤリと笑った。
その何ともおっかない笑みを見て、子どもたちの顔色は急に青くなりだした。傍から見ていても、それはそれは面白いぐらいに。
大勢いれば凛に勝つことができるけど、一人で勝てる自信のある者など誰もいないのだろう。
そりゃそうだ。勉学よりは武術に自信がある琥珀でさえ、凛とタイマンするのは少し御免だ。凛は身体もまだ成長途中で、背丈も琥珀に到底及ばないが、技の型すらなく予想のできない攻撃は、かえって戦いずらい。
子どもたちの口は恐ろしさのあまり固まり、しまいにはぞろぞろと皆でぎゅっと集まり出した。その腰は笑ってしまうぐらい引けている。
人質に取られた元太は何かを察したのか、「おい、お前ら、」と弱弱しい声で呟きだした。
「おい、どうした、やんないのか?あっちはやる気満々だけど。ほら、誰からやるんだ?」
子どもたちの言いたいことは明白だが、しかしここではどんな言葉を発しても弱気に聞こえるから、やはり誰も何も言い出さない。
琥珀はわざとらしく大きな溜息をついた。
「じゃあしょうがない、凛。お前が指名しろ」
凛は心底人が悪そうにニヤリと笑った。まるで暴走寸前の野獣のように。
「……………分かった」
「き……今日のところはここまでにしてやるッ!!」
「汚いお前とタイマンでやりあうなんて嫌だ嫌だ!!!」
「覚えてろよッ!!!!」
子どもたちはまるで悪事がばれた盗人のようにあっけなく逃げて行った。あまりの焦りようにコケるもの、前の人の背中を押しよけて前に進もうとするせいで共倒れになり、その様は非常に滑稽だった。
琥珀に首根っこを掴まれていた元太は「おいッ!!!!」と去っていく仲間たちに向かって叫んだが、誰も彼の断末魔を聞く者などおらず、何か叫びながら去って行ってしまった。
元太も逃げようとしたけれど、大人の琥珀の力に叶うはずもなく、首根っこを掴まれたまま、脚だけ動かしていて、こちらもこちらでたいへん滑稽な有様だ。
「おい、元太。お前はどうする?」
琥珀は分かっていたが面白くなってそう聞いた。もう元太はべそをかいていて、もう命は無いと怯える兎のようだった。
「泣くならもうこんなことしないことだな。」
そう言って琥珀はぱっと元太を話した。勢い余って地面にべちゃっと崩れ落ちたが恐怖のあまりすぐ起き上がって足をふらつかせながら逃げて行った。
「やれやれ、あんなんじゃ女の子にモテないぞ~っと」
琥珀はそう軽く言い放ち、今だ立ち上がっていない凛に近づいた。
「大丈夫か?ほら、立って」
そう言って手を差し伸べたが、予想していた通り凛がその手を掴むことはない。
「……………別に一人で立てる」
ぶっきらぼうにそう言い放ってはいるが、さすがに蹴られたところが痛んだのだろう、なかなか足を踏み出さない。
「……………素直じゃないガキだなぁ」
「ちょ………!!てめえ、何すんだよッ!!!」
琥珀はこの生意気な小虎をひょいっと片手で持ち上げた。
持ち上げて驚いた。あんなに喧嘩っ早いのに、その身体はあまりにも軽くて、そして細すぎた。
そりゃそうだ、怜と同じように貧しく生きているのだから、筋骨隆々であるはずがない。
口の悪さや目線の鋭さは、彼が何とか強く生きていくために、今みたいになめられないように最大限武装した結果なのだろうか?
そう思うと琥珀は何というか、この少年に同情の念を抱かずにはいられなかった。
凛は口では抵抗しているものの、琥珀の腕から逃げれるほど力が残っていなかったのだろう。意外とおとなしく運ばれてくれた。
「家、勝手に入るぞ」
凛を脇に抱えたまま琥珀は彼の家の戸を開けた。
怜がいるのではないかと期待したが、あいにく家の中には誰もいなかった。
そりゃそうだ、もし怜がいたとしたら琥珀よりも先にさっきの騒ぎに気付いて止めに入っていただろう。
琥珀は好きな人の家に勝手に入っていると思うと一種の罪悪感も生まれたのだが、凛を無事家に帰すためだ、と心の中で何度も唱えた。
質素な寝床の上に凛をそっと降ろした。
「じゃ、下手に動かすんじゃないよ。多分痛めてるだろうし。後、あんなくだらない奴ら、相手にするな。相手にするからアイツらは調子に乗るんだ………怜は、お前の家族は、ドブねずみなんかじゃない。」
「…………おい、てめえ。」
戸に手をかけようとしたその時、意外にも凛に呼び止められた。
「…………俺の名は”てめえ”なんかじゃない。珀だ」
「……………珀」
意外にすんなり呼んでくれた。可愛いところもあるみたいだ。
「…………珀、お前は父さんと兄さんとどういう関係だ?なんで俺を助けたんだ?」
凛にどんな関係か聞かれて、琥珀は少しドキリとした。
いや、普通に怜の友だ。蓮司は昔の恩人で、友の父親だ。それ以上でもそれ以下でも何でもない。何もないのだが、少しばかり焦ってしまった。
「………と、友だ!怜の友達!!」
「……………兄さんに友人なんていたんだな」
「さ、最近仲よくなったんだ!っていうか、兄に失礼だろ!」
「…………フン」
少し話をしてみてもいいだろうか?凛に呼び止められて少しばかり嬉しかった人好きの琥珀は、様子を伺いながらもう少し話してみたいと思ってしまった。
「でもさ、凛…………少し意外だったよ。家族を馬鹿にされてあんなに怒るなんてさ。前、あんな感じだったし、てっきり……その、それぐらいには思っているもんだと思ってたから。」
「…………黙れ、俺はあんな奴らに馬鹿にされるのが嫌なだけだ」
「…………………あういうことはよくあるのか?」
「…………黙れ」
少し調子に乗ってしまっただろうか。
「おい、珀」
「君ねえ、もう少し口の利き方ってもんが……」
「珀は父さんと兄さんのこと、馬鹿だと思う?」
凛はまっすぐに琥珀の目を見て問いてきた。どうやら、真剣に聞いてきているみたいだ。
琥珀は初めて凛としっかり顔を合わせた気がする。
その気性の荒さや表情のせいで今まで全く気が付かなかったが、本来の凛の顔をよく見ると、どことなく蓮司の面影がある。凛は蓮司似のようだ、本当に怜と血の繋がった家族なのだ。
「______馬鹿だと思ったことは一度もない。」
琥珀は自信をもってそうはっきりと告げた。
真剣な凛の眼差しに応えるように、しっかりと目を見て告げた。
蓮司がいくら自分の行いが正しかったのか分からないと言おうと、それでもやっぱり彼が間違っているなんて言いたくなかった。
「……………そうか」
凛はその返答を聞いて、ぐたっと頭を垂れた。
俯いたまま頭を掻いて、その口からは溜息が零れている。
「お前は二人が馬鹿だと思ってるのか?」
琥珀がその言葉を発した瞬間、凛の目はすぐにまた野犬のような目つきに変わった。
「だって馬鹿だろッ!!自分の身を犠牲にして助けた結果がドブねずみ呼ばわりだぜ!?これを馬鹿と言わないで何になる!?金が無くて医者にかかれないッ!?知るかよっ………俺は……他人なんて知ったこっちゃない!!!」
「…………凛ッ!!!お前……なんてことを、」
「………どうして」
「……は?」
「どうしてなんだ?父さんも兄さんも苦労して医者になったってのに、十分頑張ってきたのに………どうしてまだ自分のことよりも人のために尽くそうとするんだ?こんなこと自分が貧しくなってまでやることか……?医者なんて裕福な暮らしをしてる奴が大半だってのに、どうして……どうして自分のためにその才能を使わないんだ…?なんで父さんたちより無能な奴らに馬鹿にされないといけないんだ?父さんも兄さんも凄い医者なのに、もっと報われるべきだ……………こんなこと、間違ってる」
そう泣いて訴える凛の声はあまりにも悲痛すぎて、琥珀は目を背けたくなった。
琥珀は凛のことをかなり誤解していたようだ。てっきり、自分を貧しくした原因である父と、そしてそれに追従するような兄が嫌いなのだと思っていたけれど、それは真逆だった。
凛は本当は二人のことが大好きで、凄い人たちだと誇りに思っているんだ。それなのに、いつまで経っても報われることはおろか、馬鹿にまでされるのが悔しくて悔しくてたまらないのだろう。
でも、その天邪鬼な性格のせいで、自分の中で気持ちがごちゃごちゃになってしまって、どこにも向けようのない怒りやイライラが、二人に向いてしまっているのだ。
「なあ珀、お前も父さんたちと一緒なんだもんな……?やっぱり俺がおかしいのか?良く知りもしない奴なんて助けたくないって……自分たち家族さえ幸せになれればいいって思う俺は、人間じゃないのか?」
再び凛にまっすぐ目を見られて、琥珀は思わずたじろいでしまった。
その目の奥からは悔しさや怒りの感情がはっきりと見える。でも、その感情たちも大粒の涙で滲んで、さっきまでの荒々しさは全くない。
__________俺がおかしいのか?
その問いに、琥珀はどう応えてあげていいか分からなかった。
目の前で苦しんでいる一人の少年に何か言ってあげたいのに、それとは裏腹に言葉は一向に出てきてくれない。
それどころか、その問いが頭から離れず、ずっと反芻されている。
凛と琥珀の考え方は確かに真逆だ。
自分達だけ豊かであればいい、そんな考えは、琥珀は反吐が出るほど嫌い、今の今まで反発し続けているていることだ。到底認めたくない。
だけど、目の前の凛は今の琥珀と同じ苦しみの中にいる。
それを真っ向否定されることの残酷さは、他でもない琥珀自身が一番分かっていることだ。
それに、昨日の兄の言葉。
自分や、蓮司、怜たちが本当に正しいなんて保証はどこにもない、誰もしてくれない。
何が正しいかなんて、分からない。分かる日なんて、果たして来てくれるのだろうか?
じゃあ、何を信じていけばいいのだろう?このまま進んでいっていいのだろうか?
___________分からない
「おかしいかもしれないし、おかしくないかもしれないな…………俺たちも、お前も。」




