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紫苑に露  作者: 花信風描
第五章 恋情
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第四十一話

青藍に会うのはいつぶりだろうか?

最後にきちんと会って会話をしたのは、青藍の誕生日の祝いの席だったと思う。


青藍と琥珀の仲は決して悪くない。

それどころか王家の兄弟だと考えればその仲は良すぎるぐらいで、琥珀よりも五つも年上だからか、とても可愛がってくれるのだ。


それでも最後に会った時がおぼろげになるぐらいになってしまうのは、やはり青藍の身体が弱いからで、琥珀は頻繁に街に遊びに出かけているから何か流行病でも移してしまったら大変だ。街に出なければいいじゃないかという突っ込みは置いといて、会いに行ったら優しい青藍のことだ。歓迎したいと色々気を遣わせてしまうだろうから、あまり会いに行かないのは琥珀なりの気遣いなのだ。

今まで青藍に自殿に来てほしいなど言われたことが無いのに、今日は何かあったのだろうかと怖いぐらいだ。


本当に、本当に久しぶりに身支度をきちんと整えた気がする。





『別に父上に会うわけでもないのに、こんなにきちんとする必要があるのか?』

『私も今さっき青藍殿の者から伝え聞いたのですが…面持ちを見るに、おそらくですが非常に大事な話をされるかと。なので、いつもの”ボロ”が出てしまわないように、せめて身なりを整えるのです』

『おい、今なんて言った?俺にボロなんて無いぞ?』





そう言われて随分と着こまされてここまで来た。正直衣が重い。

いつもの楽な身なりがすでに恋しくなっている。


青藍殿に着いて、自分のものとはあまりにも違う外観を見て琥珀は何となくやるせない気持ちになった。

もし青藍が健康な身体を持っていたなら、琥珀に負けないぐらいの素敵な殿を造り上げるだろう。

殺風景なのは、そんなことに気を遣えないことの表れだ。興味がゼロの猛龍とはわけが違う。



殿に入るなり、待っていた官吏たちに深々とお礼をされるものだから、このような仰々しい場に慣れていない琥珀はぎこちなく礼を返した。

王子に礼を返されて官吏たちは驚きを隠せなかったのだろう、後ろに控えている望月に困惑した目線を送ったが、望月はまるで分別のつかない子の親のように恥ずかしそうに俯いた。


緊張した面持ちで青藍の自室の前に着いたが、このように兄の元を訪ねるのはあまりにも久々すぎてどうしたら良いのか分からない。

兄の調子はどうなのだろうか?起き上がって話ができるのだろうか?

自分はしばらく街に出ていないから、何か変な病を持ち込む恐れはないが大丈夫だろうか?


普段は何も考えず本能のまま動く琥珀だが、今回ばかりはやけに考え込んでしまう。




戸の近くに控えていた者が青藍に琥珀の到着を伝えようとした瞬間、


「琥珀、そこにいるのだろう?中に入っておいで」


中から自分を呼ぶ優しい声が聞こえた。

琥珀よりもだいぶ大人だからだろうか随分と落ち着いた声で、その声で呼ばれると自然と身体が引き寄せられるようだ。


中に入ると、青藍はきちんと起き上がっており、文机で何かを書いている途中だったみたいだ。


「………お、お久しぶりです。兄上」


久方ぶりに見た兄は、やはりどうもこの世のものとは思えない。

美しい雪色の髪に、色素の薄い瞳。

琥珀は自分はかなりの色男だと自負しているが、この何にも穢されていない純白な兄にはどう足掻こうが叶わないといつも思うのだ。

あまりにも俗世離れしすぎて、女性が群がるか?と言われれば疑問だが。




「どうしたのだ、琥珀。そんなにかしこまらないで。さあ、こちらにおいで」


そう言って青藍は琥珀を手招きした。

その仕草ですら丁寧で、洗練されている。だけれど、琥珀はその伸ばされた腕の細さに、またもどかしさや一種の申し訳なさを感じた。


失礼します、といって、不格好な仕草でストンと座った。

こういう時、もっと所作の指導を受けておくべきだったと思うのだが、そんなことを思っても時が経てばすぐ遊びに行きたくなるのだから、この男、一生成長できないのだ。



「朝早くから急に呼び出してすまないね、今日は特に私用はなかったか?」

「は、はい!だ、大丈夫です」

そう言うと、青藍はクククと穏やかに笑った。



「良いんだよ、二人だけの時に慣れない敬語なんて使わなくても。咎める者なんていないし、昔のように振舞ってくれ」

「…………ごめんなさい」


あまりにも久しぶり過ぎて思わず敬語で話したが、黒蛇にもいつもの調子で話す琥珀が、急に敬語を上手く使えるわけもなく、青藍の広い心に甘えることにした。


「それで兄上、俺に話って………?」


「ああ、そうだね」と言って、青藍は乱れてもいないのに一度姿勢を正した。






「琥珀、君には王になる覚悟があるかい?」


「………へ?」

_____あまりにも予想していなかった問いかけに、琥珀の思考は一瞬で停止してしまった。



「あ、兄上………?何を言って……俺が王になるわけないでしょ?兄上がいるんだから」



青藍は首を横に数回振り、衣の袖をまくって琥珀の前に出した。

「琥珀、君はこんな身体の私に、王が務まると思っているのか?」


さっき腕を伸ばされた時にもちらりと見えたが、今度はしっかりと見せつけられて、琥珀は目を逸らしたくなった。

出された腕はあまりにも細い。最低限ついているべき肉すらついておらず、弱々しい血管がしっかりと見えるその腕は骨と皮のみと言っても過言ではない。

腕がこうならば、脚や身体もきっとこれぐらい痩せてしまっているだろう。実際、認めたくはなかったのだが、さっき久しぶりに顔を見た時も頭の中に残っていた青藍の姿よりもだいぶ痩せこけてしまっていた。



青藍の問いにどう答えるべきが迷って、琥珀は俯いた。

青藍の聡明な頭脳ならば、別に外出があまりできなくたって問題ないから務まると思うのだが、それはそれで青藍の病状を、そして一国の王の政務を軽く見ているように捉えられる。第一王子として生まれ育った青藍が、王の座を諦めるなど、そう簡単な決断でないことは流石の琥珀でも分かる。その決断を否定することにもなるのだ。


しかし、務まらないと言えば、もう完治は難しいということを認めたことになる。そんなことは絶対に言いたくない。


琥珀にとったら、どちらの回答も口にしたくはなかった。


それを汲み取ったのか、青藍は腕を戻した。


「答えずらいことを聞いてしまったね。すまない、困らせるつもりはなかったんだ」

「あ、兄上………」



「だけどね、琥珀。私は別に王になることを諦めたわけではなくて、琥珀こそが王にふさわしいと思っている。ただそれだけだ」


「そんな、ありえな、」

「琥珀、”天命”という言葉は知っているね?」


「う…うん、多少は」


「このように病に蝕まれた身体に生まれたということは、私は王になる器ではないという天命なのだと私は早々に受け入れてたんだ。それに対して、琥珀。父上や周りの者は君のその自分の気持ちに正直で、周りに流されない度胸を阿呆だと言うけれど、私はそんな君ならば新しい世を造っていけると思っているんだ」


「ちょ、兄上。さっきから何を言って………」


「琥珀、君はよく王宮を抜け出しては民に交じって遊んでいるみたいだね?」

琥珀はギクリとした。まさかあまり自殿の外に出ない青藍がそのことを知っているなんて!?


琥珀の顔が強張ったのが分かりやすかったのか、青藍はまたクスリと笑った。


「違うよ、私は君を咎めるつもりは毛頭ない。……………まあ、意識がなくなるまで飲酒したり、色んな女性と関係を持つことは流石に王家として以前に人として考え直した方が良いと思うけどね。」

「………………はい」


怜と出会ってからは多少マシになったと思うが、何も反論できない。いや、なぜ青藍はこんなに色々詳しいんだ?街での珍事件を全て見透かされているようで、あまりの恥ずかしさに首を垂れるしかない。


「まあ、君も年頃の男の子だ。王族の兄という立場から言わせてもらえば到底認められる行為ではないが、一人の人間という立場から言わせてもらえば、良い人生経験だ、自由にしなさいと言いたいところだけどね」

「…………もう何も言えません」


もう恥ずかしいから心底辞めてほしくなってきた。

なのに、そんな恥ずかしがる弟の姿がよほど面白いのか、青藍はとても楽しそうだ。


「ハハハ、少しからかいすぎたようだ。いや、私が言いたいのはそんなことじゃなくてね、君はそのように民と交わる中で私たち王家の人間が今まで持つことが無かった考えを持つようになっているんだね?」


さっきまで恥ずかしくて頬だけでなく体全体が熱くなっていたというのに、意表を突かれて身体が固まった。



「話してごらん?」


琥珀はゆっくりと顔を上げた。

話してもいいのだろうか?兄にまで阿呆と言われたら流石の琥珀でも立ち直れない。


「………大丈夫だ。決して父上には、いや王宮の誰にも言わないと約束する」


いや、話してもいいのかもしれない。兄になら



「兄上、ただ聞いてくれるだけでいいんだ、認めてほしいなんて決して思わないから」





琥珀はずっと靄がかかって、答えの出ない自分の考えについて、全て青藍に話した。

自分が不慮の事故で初めて王宮の外へ出ることになったことから、そこでみた本当の人々の姿まで。



「王宮の人間は皆高圧的で、民と違って自分たちは偉い、生まれながらに特別なんだと誇り高っている者ばかりだけど、王宮の外は、良い人たちばかりなんだ。そりゃ、中には変わった人もいるかもしれないけど、少なくともそれまで王宮で教わってきたこととは全く違ったんだ……」



「……それで、講義を受ける気がなくなったと?」



「……最初は黙って聞いていたんだ。だけど、次第に我慢ができなくなって、師に自分の考えを正直に言うようになった。王宮の外の人々はそんなんじゃないと、俺たちと同じなんだと。………そうしたら、気が触れた奴だと、阿呆だと周りから言われ始めた」


自分が話す一言一言を青藍は目を見て聞いてくれている。琥珀の言葉を聞いて、何を思っているかは分からないが、止められるまで話してしまおうと思った。


「俺は、こう思うんだ。講義で教えられることは、いかにして自分たちが築いてきた権力を維持して拡大していくか、無知な者たちを教え導くかってことばかりだけど、俺は……俺たちが権力を持つならばそれを皆のために使うべきだと思うんだ。皆同じ人間なのに、何も違わないのに、俺たちは衣食住困ることなく逆に余るくらいで、それなのに外では飢えて亡くなる人もいる。生まれながらにして上下関係があるなんて間違ってる……皆等しく生きていくべきだ……!」



自分の想いを人にぶつけたのは、蓮司に話して以降二度目だ。

また"現実"を見させられるのだろうか。また打ちひしがれるのだろうか。

そんな怖さもあってか、おそるおそる青藍を見た。

だけど、青藍は決して笑わないで、その拳を口に当て何かを考えているようだ。




「………兄上」

この間が辛くてそう呼びかけると、「あぁ、すまない」っいって琥珀に微笑みかけてくれた。


「……兄上も、やはり俺が可笑しな奴だと思う?」

青藍は首を横に振った。


「いいや、そんなことは思わないよ。新しい考え方だとは思うけれど、それを阿呆だという権利はいくら兄でも無い」




「____でもね、琥珀」

改めて名を呼ばれ、琥珀はしっかりと青藍の目を見た。初めて見た兄の真剣な眼差しに、琥珀の背筋は自然と伸びた。




「………私たち王家も一人の人間だ。飢えで苦しんだり、親のいない子どもがいると報告を受けて、何も考えてこなかったわけはない。だけど、本当に悲しいことだけど、この世に平等なんてものは永遠に訪れるはずないんだ。そもそも、生まれた時点で私たちは不平等じゃないか。生まれ持った体格や容姿、才などね。それで就ける仕事や婚姻する相手も変わってくる」


「そんなことは俺だって分かってる………だから俺たちがその差を埋めるべきだと……」


「琥珀。先代の世の時に未知の流行病が国中を恐怖に陥れたことは知っているね?」

「……………うん、聞いたことがある」


確かその話は、先代から直接聞かされた覚えがある。まだ猛龍が琥珀や青藍ほどの年齢の時だっただろうか?


「その時、先代は地方官から惨状を聞きつけて、王宮から医官を派遣するという苦渋の決断をしたんだ。勿論大臣から反対意見も出た。今まで王宮から民に”施し”を与えるなんてことはしたことが無かったからね」


「でも、そのおかげで確か病は収束したんだよね!?」


「そうだね、病はそれまでの感染が嘘のように急速に収まりを見せた。……………だけどね、琥珀。その後何一体が起こったかまで知っているかい?」


先代が怒り狂いながら何かを話しているのを聞いたことがあるような気がしたが、どうも思い出せない。


「多くの民がね、王宮に押し寄せたんだ。なぜもっと早く助けに来なかったのだ、と。」

「………………え?」

「それまで王家というのは民にとったらまるで神仙の類で、民も王に何かをしてもらうことなんて望んだことなどなかったのだ。それがたった一度、王の名で派遣を決めた途端、そのおかげで病は収束に向かったというのに、あと一歩のところで反乱になりかけたのだ。」


「どうして………?」


「それでも多くの人が亡くなったからだ。あと一週間でも早く来てくれたら助かったかもしれないのに、とね。何事にも言えるが、全ての人に行き渡るものなどない。一度手を差し伸べたキリがないんだ。あちらこちらからどんどん苦しむ手が現れて、でも私たちも神ではないから、必ず取り残される人が現れる。その取り残された人は行き場のない気持ちをどこにぶつけると思う?………これは聞いた話だけど、異国の地では民による反乱で王が処刑されたり、政権が取って代わることがあるみたいだ。そのたびに国は乱れ、その隙に他国に侵略されることもある」


「……………そんな」

にわかに信じられない。

琥珀が関わってきた彼らが、鬼のような形相で王宮に押し寄せる姿なんて想像ができない。ましてや、王を処刑するなんて。


『彼らはそんなことしない』

そう言おうとしたが、過去実際にこの国で起きているというのだ。覚えていなかっただけで琥珀自身も先代からそう伝え聞いたのだ。



「…………私はね、悲しいことだけど人間は誰しも力や富を手に入れたらそれを簡単に手放せるほど善人ではないと思っているんだ。自分達にとって悲惨な結末が待っていると分かっていて、あえてそれをやろうとする人間がどこにいると思う?私たちの先祖だって、楽に今の地位を築き上げてきたわけじゃない。だから、私は今までの王家の考え方に対して異議を唱えたことはなかったし、私たちがすべきことは今の地位を維持して、更に拡大させていくことだと本気で思っている。」


「そ、そんな………でも、結局それって、自分たちのために民を無視しているだけじゃないか!!」

「ああ、情けないけれどその通りだ………だけど、これは私たち王家の言い訳に聞こえるかもしれないが、反乱が起きるたびに国が乱れて多くの血が流れるくらいならば、今の権力に従ったままいた方が、民にとっても平和で、望ましい世なのではないか?第一、私の知る限り反乱が起きたのは先代のその一件だけだ」



そう言われて言葉が出なかった。

蓮司が言っていたことと重なったからだ。

人のために尽くせば、自分の身、そして大切な家族の身を滅ぼす。助けられる数には限りがあるから、困っている全ての人を助けられるわけがない。


ならば、最初から手を出すべきではない。そういうことだろう。




______パンッ

いきなり手が叩かれた。


「…………?」

目の前の青藍を見ると、さっきまでの表情とは打って変わって、優しい眼差しに戻っていた。


「さあ、ここまではあくまで私と、先祖たちの考えだ。この話を受けても琥珀、君はどうしても自分の信念を諦められないね?」


意表を突かれて、思わずビクリとしてしまった。

確かに、言っていることは分かるのだが、「はい分かりました」と快く返事ができない自分がいる。


「私が君に王の資質があると思うのは”そういう”ところだ。どんなことを聞いても折れない信念を持てる人間もなかなかいない。それだけ強い想いがあるのなら、やってみればいい。でも、当然今の立場のままでは無理だということは分かるね?」


「あ……兄上、兄上はなんで俺を否定しないの?」

青藍はクスリと笑った。


「言っただろう?私だって一応人間だ良心だってある。皆が今より幸せに暮らせるのなら、当然その方が良い国だとは思っているんだ。私には自分の身を顧みないで人を助けたいと思えるほどの勇気はないだけで。だけど、琥珀。君にならできるかもしれないよ、君の理想とすることが」



「…………だけどッ兄上がいるのに俺が王なんて………この俺が言うのも何だけど前代未聞でしょ?それに、こんな俺を認めてくれる人なんて………兄上以外いない」


その言葉を聞いて、青藍は小さく溜息をついた。

「琥珀、よく聞いてくれ。自分のことだから分かるのだけど、私はもう決して長くないんだ。だから、皆がいくら反対したところで君は王にならないといけなくなる」


「……………兄上ッそんなこと言うのはやめてよ!!!」

琥珀は思わず立ち上がった。

自分の兄が自分で自分のことをもうすぐ死ぬと言って、こうならない弟がどこにいるだろうか?





だけど、青藍は冗談だと言って誤魔化してはくれなかった。

「ごめんね、琥珀。____でも、本当のことなんだ。」

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