第三十八話
蓮司は死んでなどいなかった。
いや、死体同然ではあるが、息はし続けているし、足を動かして歩くこともできている。
でもただそれだけで、それが生きている人間だと言えるのかは分からない。
あれから、どう戻ったかの記憶は無いが、蓮司は二人の遺体を運び、埋葬の時まで立ち会った。自分が泣き喚いていた数日のせいで、二人の遺体の腐敗はあれからまた進んでいた。
「………邪魔だ」
二人の顔に群がる蛆虫を全て払い除けた。
腐敗ばかり進んでいくのに、顔の表情はあの日から全く変わっていない。
動き出してはくれないだろうか、全て冗談だったと、全て自分を驚かせるための罠だったと悪戯に笑い出してくれないだろうか。
そう思って、すぐ蓮司は自分の頬を叩いた。
自分になんの権利があって二人にそんなことを願えるのだろうか?
苦しんで、絶望して亡くなった二人に、まだ自分は我儘を言うのか?裏切ったのは、高い志で皆を救うために尽力した二人を、こんな最期にして、こんな容貌になるまで放置したのは自分だというのに。
どこまで自分は浅ましい人間なのだろうか。
蓮司は道端に咲いていた一輪の花を見つめた。
紫色の花びらを持ち、花芯は鮮やかな黄色のこの花の名は何というのだろう。
元気よく咲きつつも、どこか哀愁漂うその花を握りしめ、蓮司は静かに涙を零した。
「ごめんなさい…………ごめんなさい」
どんなに謝ったって、どんなに言葉をかけたってもう二人には届かない。二人は生き返ったりしない。
そんなことは分かっているけど、蓮司はただただそう言い続けた。
どれだけ恨まれても構わない、優しい言葉をかけてほしいだなんて全く望んでいない。
ただただ、生前苦しんだ二人が安らかに、ゆっくりと眠ってくれることを願った。
「おい、お前!いつまでそうしているつもりだ!こっちも暇じゃないんだ、埋葬するから早くそこをどいてくれ!!」
埋葬を任された地方官だろうか?こっちもまた面倒な仕事を押し付けられて面倒だといった様子で、いつまでも傍を離れない蓮司にイライラした様子で怒鳴りつけた。
蓮司はその怒号にビクッと身体をはねさせた。
「も……申し訳ありません」
急かされ感情の整理がつかないまま、震える手で紫の花を二人の胸元に添えた。
あんなに与えてもらったのに、結局自分が二人にして与えられるのは、こんな小さな花一つだけなんて。
二人の身体に土がかけられていく。
大好きで、大切な存在が秋の冷たい土に覆われていく。いくら動かなくたって、腐っていたって、その身体があれば会えているような感覚になれた。
手に触れれば、顔に触れれば、いくら冷たくなっていても存在を、生きていたことを感じられた。
一度土に還ってしまえば、もう本当に二度と会えない、顔も見れなくなる。存在していたという、確かに生きていたという事実が、自分の記憶の中だけに頼らなくてはならなくなる。
こんな時に秀の、自分に向けてくれた顔が脳裏に浮かんで、かけてくれた言葉が耳に届き、手の温もりが蘇ってくる。
それが全て無くなるのだ、顔も、手も一瞬で消える。
その瞬間、なぜか急に怖くなり、土の中に消えていく事実を前に居ても立っても居られなくなってしまった。
「やめてっ………やめてくれ!!!秀、やだ…!!行かないで……置いていかないでくれ!!」
別れをしたはずなのに、安らかに眠ってほしいと願ったはずなのに、蓮司は自らの衝動を抑えきれず、もうほとんど土を被っている秀のもとに駆け寄った。
地方官は驚き、急いで他の者に蓮司を取り押さえさせた。
「おいっ!!!急になんだ!?邪魔をするなっ!!!」
「やだッ………駄目だ!!お願いだ行かないで……一人にしないで、いなくならないで……!!」
両脇をきつく掴まれているが、あまりの蓮司の抵抗ぶりに掴んでいる者も必死になって押さえつけた。
「黙らないかッ!!!!もう死んでるんだ!!こうしないと此奴らも救われないだろッ!!!何だお前は此奴らが腐りきって虫の餌になるのが見たいっていうのか!?」
「違う、違う……そんなんじゃない……そんなんじゃない………!!」
無慈悲にも土はどんどん二人の元に落とされ、終にはもうどこに埋まっているのか分からなくなってしまった。
全ての埋葬が終わり、地方官たちは蓮司を置いて自分の持ち場へ戻っていった。両脇を掴んでいた者たちもこれ以上蓮司が抵抗しないことが分かると、大きな溜息をついてやれやれ、と言いながら戻っていった。
しばらくすると雨が降った。
まるで蓮司に頭を覚ませ、現実を見ろと言わんばかりの激しく冷たい雨だ。
その時感じた無機質な雨の匂い、土の匂いを蓮司は一生忘れられないでいた。
それから三か月、自分は果たして何をしていただのだろうか。
確かに息をして、生きていたという記憶はある。
持ち場がないならここを手伝え、というあの感じの悪い医官に言われるがまま患者の治療にひたすらあたった。
王宮にいた頃は、奔放でよく怪我をする猛龍の傷の手当ばかりで、まともに病人の治療にあたっていなかったが、一度身につけた技術はそう簡単には衰えず、正常な感情が戻らない虚ろなままでも他の医官たちを驚愕させるほどの手際の良さで治療にあたった。
あいつはいったいどこの医官なんだ?と騒がれていたが、さすがに魂が抜けたようになっている蓮司に話しかけて聞き出そうとする者は誰もいなかった。
王宮から医官が派遣され始めてから、病の流行はだいぶ収束に向かい、新たに感染する者はほとんどいなくなった。
そして、しばらくすると王宮から派遣終了の知らせが届き、とんだとばっちりを受けたと思っていたであろう医官たちはそれはそれはもう大喜びで、浮足立って王宮へ帰る準備をしていた。
そんな医官たちも無傷では済まず、罹患してしまいそのまま王宮へ帰れない者、また命を落とした者もいたのだが、民間の犠牲に比べればその犠牲は塵ほどのものだ。
王宮へ戻るよう命令が下っても、当然蓮司は王宮へ帰る準備をしなかった。
「おい、お前。派遣はもう終わりだとよ。なんでまだ準備しないんだ?」
今まで蓮司に話しかけてこなかった者も、帰れると分かって気分が高揚していたのか、初めて蓮司に話しかけてきた。
「……まだこちらに幾らか患者が残っていますので、私は彼らが完治するまでは少しこちらに残ることとします。お気になさらず、事が片付いたら私も戻りますから。」
「ふうん、献身的な奴だな。じゃああとは頼むぞ」
すぐにでも帰りたい医官たちは、不審に思うこともなく、それ以上追及はしてこなかった。
___当然だ。
蓮司は王宮の医官の服を着てはいるが、王子の命令に逆らって抜け出してきた身だ。王宮に何食わぬ顔して帰れるわけがないだろう?いや、帰るつもりで出てきてなどいない。むしろ、猛龍が意地でも自分を探し出してきて罪人として手足を引きちぎらないだけ有難いぐらいだ。
そうして、元医学塾だった場所には、蓮司一人とあとは残り少ない患者だけになった。
患者と医官でごった返していた時はここが医学塾だったことを忘れていたが、今こうしてガランとしていると、ここが自分の思い出の場所だったことを嫌でも思い出す。もう三年以上経っているはずなのに、この場所はあの時のままだ。
使っていた机や椅子、戸から見える景色。全てがそのままだ。
そんなだから、どうしても秀との思い出が頭をよぎる。そしてその秀がもうどこにもいないという事実も一緒に押し寄せてくる。
秀が埋葬されたあの日以降、医官とともに患者の治療にあたれたことはむしろ幸運だったのかもしれない。あまりの忙しさに、この空虚な心を自覚しないで済んだからだ。
なのに、今こうして一難去ると、その忙しさで一杯になっていて紛らわされていた恐怖ともいうべきだろうか、不安というべきだろうか。暗雲が心の中を埋め尽くしていく。
さっきまで平然としていられたのに、急に寂しくなって怖くなって心が締め付けられて呼吸が苦しくなる。その場に立っていられなくなって、蓮司は戸を勢いよく開けて外に出た。そのままの勢いで建物の裏に行き、壁にもたれ掛かるようにぐしゃりと座り込んだ。
もう涙は枯れてしまったのだろうか、全く出てこないが押し寄せるすべての感情を上手く制御できず、どこから手を付けてよいか分からない。口を押さえて必死に呼吸を整えようとするが、そうしようとすればするほどどんどん狂っていく。
「…………助けて、誰か、」
そう何とか声を出しても、誰もいない。誰も応えてくれない。
そんなこと分かっていることなのに______
「おいッ!!!!誰か医者は居ないのか!?」
男の怒鳴り声が聞こえる。
まだ感染症の患者が少しいるというのに、男は乱暴に戸を叩き出した。
今ここには自分しか動ける人間がいない。
人は不思議なもので、どうしようも避けようのない事態に陥ると、さっきまでの混乱がまるで嘘のように動けるらしい。
どうやってやったかは自分でも分からないが、蓮司は乱れた呼吸を整え立ち上がり、あまりにも激しく叩かれ悲痛な音を立てている戸まで、ふらつきながらも顔を出した。
「……ここにいる医者は私一人だけです。どうされましたか?」
戸口には中年ぐらいで、言ってはいけないがあまり清潔感のない太り気味の男が立っていた。医者でもないのに、その口には覆われている。
「やっと出てきやがったか!この女がよ、俺の村の道端で倒れていやがってさ!例の病じゃねえかって騒ぎになったから連れてきたんだ。ったく、此奴はな、随分と前から村の道端に居座って通行人に声をかけてはその………誘惑して金を取るようななんとも汚らしい奴でよ!!村の奴らが気味悪がってたから、ずっと追い出したいと思ってたんだ」
「お…女?どこに」
そう言いかけて蓮司はすぐぎょっとした。
男の背後に、まるで使い果たされた人形のようにぐったりと倒れこんでいる人のようなものが見えたからだ。
その棒のような片腕には罪人のように綱がまかれていて、すでに痣になっている。きっと、例の感染症だと疑った男によってきつく結ばれ、ここまで強制的に連れてこられたのだろう。
「ここは医院だろ?此奴には身寄りもないだろうし、ここに置いてくからな!!」
そう言って、男は自分が持っていた綱を蓮司の手にしっかり握らせ、そのままひょいと踵を返していってしまった。
「ちょッ………待ってください!!」
あまりにも乱暴な押し付けに、蓮司は綱を持ったまま男に声をかけたが、さっきまでの気だるそうな動きはどこへ行ってしまったのか、清々した様子ですっかり遠くまで去ってしまっていて、当然ながら蓮司の呼びかけには応えてくれなかった。
綱を持っている以上、その綱を持って走って追いかけるわけにはいかず、かといってまるで死人のようにぐしゃりとしている女をここに置いていくわけにもいかず、蓮司はそのままウロウロと足踏みするだけで何もそれ以上言葉も出ないで「えぇ…」と小さくつぶやくことしかできなかった。
そのまま辺りは静まり返り、その場には蓮司と女だけになった。
女と言っても、本当に生きている人間なのか?もしや子どもなのか?いや、頭の大きさから言って子どもではないはずだが、頭に対して身体があまりにも小さすぎて、なんというかバランスが悪い。それに、もう何日も洗っていないであろう乱れた黒髪のせいで、本当に申し訳ないが少し気味悪く感じてしまう。
だが、置いて行かれてしまった以上、そして自分も一応は医者である以上このまま放置しておくわけにはいかず、恐る恐る声をかけた。
「あ、えと…お嬢さん?とりあえず中に入りましょうか?」
「は……離して」
「……え?なんと?」
何か声を発したようだったが、あまりにも小さすぎて、か弱すぎて聞き取れない。
「……何と?」
「……………ゲホッ」
ビシャッと何かが地面にこぼれたような音がして目線を移すと、赤黒い血が地面の土を汚していた。
その吐き出された血を見て蓮司が目を大きく見開いたと同時に、少し起き上がりつつあった女はぐちゃりとその場に崩れ落ちて、完全に動かなくなってしまった。
「ちょ…ちょっと!お嬢さん!?」




