第三十五話
久しぶりに見た王宮の外は大惨事なんてものではなくまるで昔、秀と夜中に興味本位で見た地獄絵図のようだ。
道端には本当に遺体が積み上げられていて、だからだろうか、室内でもないのにどこもかしくも死臭で溢れている。腐り果てていない遺体の顔を見ると、聞いた通り赤い発疹で埋め尽くされている。皆、もがき苦しみ果てた表情で、気持ちの問題なのだろうが、安全な環境でぬくぬくと過ごしていた蓮司を責め立てているように感じてしまう。
込み上げる吐き気を何とか抑えながら、蓮司は医学塾があった場所へ急いだ。道中、いくつか患者の隔離場のような場所を見たが、皆が忙しくしているのに人探しをするのは流石に気が引け、とりあえず医学塾まで向かうことにした。
旅立ってから三年も経っているが、足はその道をよく覚えている。
よく覚えてはいたが、蓮司がよく知っているあの場所はもうどこにもなく、医学塾の建物までも患者の隔離場となし、中からは王宮の医官と思われる人たちが出てきてはまた入り、右往左往している。
医学塾の広さでは足りなかったのだろう。初めて秀にあったあの背の高い茂みも、今は藁で埋め尽くされて生きているのか、死んでいるのか分からないぐらいの人たちが敷き詰められている。
「____」
蓮司は言葉を失った。
自分は今までなんて罰当たりなことをしていたのだろうか。この終末を前にして、王宮で健やかに過ごしていた自分が浅ましく、またなんて恩知らずなのだろうと自責の念が止まらない。
___周りがなんて言ったって、僕は君を誇らしく思ってる!!
いや、駄目だ。
そうだ、あの優しく、自分をまっすぐ信じてくれるあの目。陽だまりのような温かい手。ずっと自分を支えてくれた存在。
闇に吸い込まれ足が眩みそうだったが、蓮司は頭を左右に振り、嫌な感情を追い払った。グッと足に力を入れて再び強く地に足をつけた。
「秀…秀を探さないと」
「おい、そこのお前ッ!!!」
どこかにいるであろう秀を探しにその場を立ち去ろうとした時、元医学塾だった建物の中から乱暴に呼ばれ振り向くと、その服装はどう見ても医官だ。
「おい、お前。その衣は医官だろう!?手が空いているなら手伝えッ!!この状況が分からないのか!?」
「も…申し訳ございません…」
どうやら、猛龍についていた蓮司だとは気付いていないようだ。
「ったく……町医者はすぐ死にやがって使えねぇな。なんで俺たちがこんな場所にまで来ないといけないんだ?お前!!お前はそこに並べられた死体をこっから移せ。死臭が酷くてこっちが死にそうだ!」
"そこ"と聞いて後ろを見やれば、少し前まで生きていたであろう人間たちが、まるで使い古された物のようにここでもまた積み上げられていた。
「彼らを……どこに連れて行けば…?」
蓮司は決して"死体"などとは言いたくなかった。
死体であることに間違いはないのだが、罪悪感からか、彼らにせめてもの敬意を払いたかった。
こんな地獄に派遣されてイライラしている医官は、そんな蓮司の哀れむような目線に心底腹が立ったようで、はっきり聞こえるように舌打ちした。
「道端でも山でもどこでもいいから早く持っていけと言ってるんだッ!!トロい奴だなッ!!!!」
散々罵られ、終いには背中を押され彼らの前に立たされた。
「………ごめんなさい」
蓮司はそう言って静かに手を合わせてから、近くにあった荷台を運んできた。
彼ら彼女らの身体に触れると、もう既に硬直が始まっていて、荷台に移すだけでも多くの時間を費やすだろう。蓮司は躊躇うことなく触れた。
一人目はまだ十代ほどの少女だ。
容姿を気にするであろう年頃の少女の身体にも容赦なく病の跡がある。
その頰には涙の跡もあった。
その隣は少女の母親だろう。娘を抱きしめながら亡くなったのだろうか、彼女の腕は伸ばされたまま固まっている。
その次は中年男性、その次は産まれて数ヶ月ほどの赤子、年寄り。
町の人間という人間すべて亡くなったのではないかと思えるほど数が多く、どれだけ運んでも全然追いつかない。
こんな事態なのだから、さっきの荒々しい医官のように一人一人の顔も見ないで、機械的に動くべきなのだろうが、王宮の外で生まれ育った蓮司には、どうしてもそれができなかった。
荷台はすぐ一杯になり、また一つまた一つと荷台を運んできたが、それでも到底全てを移せそうにない。
気が遠くなりそうだったし、すぐにでも秀を探しに行きたかったが、秀もどこかで頑張っているだろうし、こうしていればきっといつか会えるだろうと思うことでしか、この非人道的な行為を行えなかった。
次の山に移り、一番上に積まれていた者に触れた。彼は他の者とは違い、王宮の医官よりは質素だが、今の蓮司と似たような服を着ていた。
「………医者か」
そういえば黒蛇もさっきの医官も町医者が多く亡くなったと言っていた。
病に精通した医者でさえ亡くなるのだから、今派遣されている医官たちや、自分も例外ではない。そりゃあ、外の世界から隔絶された王宮内の者にとったら、とんだとばっちりだろう。
蓮司はうつ伏せで置かれていたその医者も荷台まで運び、仰向けにさせゆっくりと降ろし、初めてその顔を見た。
____その顔を見て自分が何を思ったのか、思い出せない。いや、思い出したくもない。
その瞬間、全身の血の気が下がり瞳孔が開くのを感じ
た。自分の周りの時間は全て止まり、真っ白になった。忙しない音や、鼻が曲がるような死臭さえも消え、ただ自分と、目の前の腐った親友だけの空間になった。
「違う、違う………そんなはずはない」
足は滑稽なほど激しく震え、立っていられなくなり、まるで全身の骨が抜けたように崩れ落ちた。
座っていることすらできなくなり、潰してしまいそうなほどの力で頭を抱えた。
「違う違う違う絶対に違う………」
蓮司はまるで気が触れた人のように何度も同じ言葉を繰り返した。
どれだけ腐って虫が沸いていたとしても、その顔には見覚えしかないのに、すぐに誰なのか分かったのに、心はひたすらに否定してくる。
蓮司は急にハッとして起き上がり、錯乱した狂人のような動きで遺体の山を漁った。
漁らなくても、無いことを祈った者はすぐに姿を現した。
さっきの遺体と同じ医者の服を着た中年の男。
その顔はこの終末の世を嘆いているような、苦しみもがいた表情をしている。
「は………ぁ……」
蓮司は死体の山の目の前にぺたんと座った。
もはや思考を手放し、目の前で何が起こっているのかすら分からない。
そうだ、全部夢だ。悪い夢を見ていたんだ。
きっと起きたら自分は鳳雅のふわふわな布団で眠っていて、秀と会うために急いで身支度をするんだ。
秀と競うように勉強して、疲れたら秀の虫採取に連れて行かれるんだ。
そしてまた明日を約束して別れるんだ。
「そうだ、そうだ、全部夢だったんだ……」
蓮司は気がおかしくなったか、そう言う顔には笑みが溢れた。
それなら早く覚めてくれと自らの頰をちぎれそうなほど強く引っ張ったが、夢ではないのだから当然覚めてはくれない。
そうしている内にも陽はすっかり落ちてしまった。
途中、あの感じの悪い医官が自分に何か言って行ったような気がしなくもないが、当然蓮司には届きやしない。
水一口さえ飲まず、一睡もしないで、遺体の山の前でひたすらこの夢が覚めるのを待った。このおかしな状況を周りが見たら、蓮司はおそらく怪談話に出てくるような狂人だろう。
だけど、皮肉にも夜は明け、遺体が再び日差しに照らされた。
どんなに待っても、遺体に群がる蛆虫や腐敗が進むにつれ強くなる猛烈な死臭が蓮司に現実を叩きつけてくる。そのせいで、だんだんと心の中に目の前の事実が侵食してきて終いには平然を保つことができなくなり、蓮司は力の入らない足のまま、近くの雑木林の中に逃げ込んだ。
今更発疹と蛆虫の住処となってしまった大切な人が思い出されて、蓮司は込み上げる嘔気を我慢できなかった。
内臓まで出てきてしまいそうなほど全てを吐き出し、やっと全てを理解した蓮司は近くにあった幹に寄りかかった。
____彼は間違いなく秀だ。秀は死んだんだ。
自分に向けてくれたあの優しくて、溌剌とした瞳はきつく閉じられ、あの綺麗な弧を描く口は二度と動きはしない。温かい手は無機質な石と化し、なんの感情も伝わってこない。
離れ離れになった三年間、いつも蓮司の心の拠り所となってくれた人は死んだ。
その事実を突きつけられた瞬間、蓮司は自分が急に空虚な人間になったのを感じ、生きていることが急に怖くなってきた。もともと何の価値もなかったのに、秀に生かされていたも同然なのに、これからどうしていけばいいんだ?
もう秀はいない。もう二度と話すことはできず、触れることもできなくなってしまった。
その事実が全身を蝕み、蓮司はやっと涙を流した。
その涙がどのような感情なのかなんて分からない。
悲しみか?恐怖か?悔しさか?………それとも、そんなことなどつゆ知らず、秀を一人で死なせた自分への怒りか?
自分は一体今まで何をしていたのだろうか?
秀のことが大切なら、失ってこんなに辛く思うなら、なぜあの時秀と別れた?そもそも、そこから間違っていたのではないか?
自分はこの国最下層の人間で、鳳雅に救われなければ間違いなく死んでいて、医学を頑張れたのも秀や行平のおかげだっていうのに、何を勘違いして王宮へなんか行ったんだ?鳳雅の側にずっといたから自分まで偉くなったと勘違いしたのか?
なぜ秀と一緒に自分と同じ立場の人間を救おうとしなかった?
____そうしたら、自分も秀と一緒に……
「………は?」
自分は今、何を考えた?
なんてずるく、浅ましい人間なんだ。
そんな自分に呆れ、蓮司はぱたんと腕を下ろした。
この込み上げるヘドロのような感情をどうしたら良い?こんな感情なんて全て捨ててしまいたいのに、まるで地から手が伸びてきて強い力で引っ張ってくるように次々と毒々しい感情が顔を出す。
何をどうすれば秀は死なずに済んだ?
自分の声なのか疑いたくなるほどの呻き声が辺り一体に広がった。いつの間にか空まで蓮司を責めるように強い雨が地を刺し、終いには天の神までこの恩知らずに罰を与えるように怒号をあげ、稲光が町を襲った。男の呻き声は次第に悲鳴に変わり、その泣き叫ぶ声は何度夜を迎えても、何度朝日が昇っても消えることはなかった。
____いや、最初から全て間違っていたんだ。




