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紫苑に露  作者: 花信風描
第四章 追憶
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第三十三話

その頃、王宮の外は未知の病の発生で不穏な空気に満ちていた。

その病はまずある郊外から始まった。最初は一家族だけだったのに、一つの集落、一つの町、しまいには多くの人が住まう中心街にまで広がった。

最初は頭が朦朧とするほどの高熱や咳、鼻水などの風邪のようなものなのだが、恐ろしいことに、最終的には顔面から身体全体に赤い発疹が発生し始めるらしい。発疹に埋め尽くされた姿は、見る者を震え上がらせるには十分すぎるほどだ。

すでに多くの人間が死に、亡くなる人が多すぎて埋葬もままならない状態が続いた。言葉に出すのも憚られるが、人目につかないような茂み、また悲惨なことに道端にまで罹患して亡くなった人間が積み上げられていた。


どこもかしくもそんな状態だから、街の人はいつ自分の番だろうかと震え上がり、家に籠るようになる者、更にはあまりの恐怖に精神を病む者まで現れ始めていた。以前までの賑やかで、煌びやかな中心街の大通りはまるで死んだように人一人すらいなかった。



「………父さん、ただいま。」

「おう、遅かったな。……どうだったか?」

「予想通り駄目だったよ、残念だけどこの辺よりかなり酷くて、隔離場の人数もかなりいっぱいになってきてた。……しかし、何が原因かが分からないのが厄介だね。薬も効かないし、対処のしようがない。」

秀は、口の覆いを外しながら眉間にしわを寄せてそう告げた。

「覆いの予備はそこにある。」

「あぁ、ありがとう。」

いくら家族とはいえ油断はできず、皆家の中でも外でも口に覆いをして過ごしていた。

「……役所からの知らせは?」

「いや、何もない。何もないどころか、今日役所行ってみたら誰もいないじゃないか。……普段、あんなに傲慢なのにどこに逃げたのか。王宮のお偉いさんたちも、平和な時に役所巡察だとかいって様子を見に来るんじゃなくて、こういう時に来て手立てを打って欲しいんだがね。流石にこれは我々だけではどうにもできん」

秀は新しい覆いを手にしながら虚な目で王宮のある方角を見た。

「…………蓮司や鳳雅さんは知ってるのかな?」

「さあな。蓮司くんはそもそも王宮の外から出られないし、鳳雅も忙しいのか最近全く姿を見ない。そもそもこの状況が王宮に伝わっているのかも疑問が残る。まあ、二人がもし知ったとしても一医官が政務には関わるなど御法度だ。知らない方が良いだろう。」

「………そっか、そうだよね。」

「うちの地域の隔離場も、もうそろそろ満杯になる。新しい場所を設営せねばならん。少し休憩したら手伝ってくれ。」

「うん、分かった。」

秀は粗末な椅子に腰を掛け、額に手を当て大きな溜息をついた。


蓮司と別れて以降、秀も自分なりに前進していた。

いつしか教えられる側から教える側になり、行平の医学塾で教鞭をとり始めたのだ。

蓮司と秀の噂は街で評判だったから、その秀が教鞭をとり始めたと聞いて学びに来る学生もいて、そんな様子に創立者の行平は若干不貞腐れつつも、息子も立派になったと誇らしく思っていた。

講義がない日は人々の健康状態を診るために積極的に辺鄙な場所を巡回し、最初は身体を診られることに抵抗がある人も多くてなかなか心も開いてくれなかったが、そのおかげで健康に過ごせることが分かると歓迎してくれるようにもなった。


だけど、以前から苦慮していた問題は全く前進できていなかった。

巡回している中には酷い健康状態の者もやはりいて、そもそも清潔な居住環境がない故のものも多く、いくら秀が頑張って足を運んでもどうしようのない者も多かった。

それに、軽微な怪我や病気ならばその場ですぐに治すこともできるが、重症の者は医院にいかせるしかないが、そう伝えると必ず「そんな金などない」と言われてしまうのだ。

秀も秀で自分の生活がある。贅沢な暮らしなど全くしていないが、それでも医学塾だけの収入で医療にかかれない者の肩代わりなど不可能だ。

だから、そう言われてしまうとどう返して良いか分からずじまいだった。

結局、そのまま亡くなった者を嫌というほど見てきた。


これからやっとこの問題をどうにかしたいと思っていたところだったのだ。

望みは低いし、そんならことをすれば自らの命も危ぶまれるが思い切って国に請願してみよう、国中の医者を集めて問題を共有してみよう、そう色々考えをめぐしていたのだ。

そんなところに未知の病が勃発した。

もう上手く進んでいたことも、上手く進んでいなかったものも全てぐちゃぐちゃになってしまった。

国中の医者や、医学生までもが総動員で、四六時中働いた。利益を追求する医者までもがそんなことなど言っていられず、無賃で働き、終いには自らの資産を切り崩すしかなかった。行平の塾も隔離場になり、それでも全ての感染者を把握することなど到底できずにいた。医者自身も多くが亡くなり、秀の教え子も半分が亡くなった。

最初は遺体を前に眠れず一晩中泣いて、目が腫れたまま治療をすることもあった。あんなにも活き活きとした眼差しを向けてくれた目は精気を失い虚で、若々しく医者の卵として誇りに満ちた顔は発疹だらけ。終いに涙すら枯れて秀の心はどんどん黒く汚い闇で覆われていった。誰も悪くないのに、どこに向けて良いかわからない怒りは膨らむ一方であった。




_________蓮司、助けてくれ。

そんな届くはずもない言葉しかもう今の秀にはなかった。




そんな悲惨な状況は王宮にも一応は届いていた。

役所の役人が一つの報告書を提出していたのだ。


『原因不明の病が民の間で大流行しております。

役人は全て避難させましたが、王宮にまで拡がるのは時間の問題です。不本意ではございますが、何か対策を講じるべきでしょう。王様にすぐご報告ください』


これは内密に受理され、大臣たちの間で議論がなされていた。

「ああああ、やはり王宮の外は不潔だ。だからこんな病がはこびるのだ。」

「王様にはどうご報告いたしましょう?ただでさえ具合がよろしくないのに対策だなんて…まさか医官を派遣するだなんてことはしませんよね?」

「阿呆かお前は!そんなことをすれば王宮内に病が持ち込まれるだろう!?薬でもばら撒いておけばいい!」

「しかし、医者も大勢死んでるとか。何もしなければ全滅し、王宮に飛び火するのも時間の問題かと。」

「ダメだダメだ!!たかが民のために王宮を手薄にする気か!?」

ほとんどの大臣が集まって議論をしているが、全くと言っていいほど意見はまとまらず、議論というか、ただの言い合いだった。


「___皆さん、少し冷静になりましょう。」

切り出したのは清氏だ。三十代半ばでありながら大臣にまで登り詰めた若き者の言葉に、皆は何故だかいうことを聞かなければと思い、その場は先ほどまでが嘘のように静まり返った。

「このような事態は前代未聞です。我々が議論しても埒があきません。報告書にも王様にお伝えするように書いてあります。王様の指示を仰ぎましょう。」

「……しかしだな、王様は議場にお越しになれるのか?」

「この際体裁は気にしていられません。すぐさま王様に謁見するべきです。」

皆そうすべきだとは思ったが、とてもじゃないけど自分は嫌だとチラチラ周りを見やっていた。

清氏はその様子を見て目を閉じ、小さく溜息をついた。

「では、私が行って参ります。」




結果、王はこれを緊急事態だとし、王宮の医官や薬師、その他官吏たちを派遣することを決めた。

史官には王宮内の歴史書に前例はあるのか、何が効くのかを、学者には何が原因かを徹底的に調べさせた。

このように国が総力を上げたのは建国以降初めてで、大臣たちは内心面白そうではなかった。もちろん、王がこのような決断を下したのは放置していればいずれ王宮内へ侵入するから、という理由ではあるのだが。

王宮内が異様に騒がしくなり、まだ政務に関わらない猛龍の耳にも話が入ってきて、流石の猛龍もこんな時に稽古をしたいとは言い出さなかった。

「猛龍様、今日はお部屋で過ごされるのですか?」

「あぁ、流石の私も空気というものは読める。」

「何かあったのです?」

「それが……!あ…いや大丈夫だ、何もない。」

猛龍は嘘をついた。今頃、他の医官たちは王宮外派遣のことを知らされている最中だろうが、猛龍専属の蓮司は話をされるわけがない。


___もし蓮司が知ったら、意地でも派遣を希望するだろう。

猛龍は王のように持病があるわけではないし民に対して嫌悪感もないから、本来であればこのような緊急事態、自らの医官も差し出すべきだろう。

しかし、派遣だけならまだしも、王宮外では医師も大勢死んでいるというではないか。もし蓮司が病にかかり、死んでしまったら自分はどうすれば良いのだ?また、死にはしなくても再び外の世界に触れ、二度と戻ってこなかったら……と考えたら、嘘をついてでも伝えたくないと思ってしまった。たとえ後で知ったにしても、自分には絶対逆らえないという立場を利用してしまえばいい。



「蓮司、私は暫く外出しないから其方もここで過ごせ。寝食もここでだ。」




それから一週間が経った。

本当に猛龍は一歩も外を出なかった。

ひたすらに書物に目を通し、昼過ぎにはうつらうつらと頭を揺らしていた。

これは流石におかしすぎる。猛龍はこのように動かずに一日を過ごせる人ではない。

そして蓮司自身も、さすがに何日も缶詰になるのは辛かった。何か書物を読めるならまだしも、できることも大してないのだ。

「猛龍様、流石にこのまま身体を動かさないのは健康に悪いです。少し散歩でもしませんか?」

「いや、いい。大丈夫だ。」

「しかし…あ、では書庫に行ってきてもよろしいですか?以前、興味深い書物を見つけたのです」

「いや、駄目だ。」

あまりの頑固さに、そしてこう何日も陽の光を浴びていないからか、流石の蓮司も我慢の限界だった。

「……猛龍王、そう頑なに外出を拒むのは何故です?何か私に隠していることでもあるのですか?」

初めて蓮司の少し強めの口調を聞いた猛龍は少し驚いた顔を見せ、暫く唸った後大きな溜息をついた。

「…………よかろう。ただし、他の官吏たちに会っても、何も話さないこと。これだけは約束してくれ。」

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