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紫苑に露  作者: 花信風描
第四章 追憶
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第二十九話

「目が覚めたのか!?」

蓮司の悪夢は一つの声で遮られた。

その溌溂とした少年の声には聞き覚えがない。秀の声はもう少し優しく丸みを帯びているし、他の医学生の声でもなさそうだ。


「あ……」

思い出した、眼前で翻る美しい深紅の衣。

蓮司は先刻まで痛みで起き上がれなかったのに、その声の主が分かった途端、痛みを忘れて布団から飛び起き、床に平伏した。

「な…なんで地面に座っているのだ!?其方、まだ傷が治っていないのだぞ!?」

蓮司は何も言葉が出てこなかった。自分が気安く話してよい存在ではないこと、また、自分のせいで先刻王子に何をさせてしまったかを鮮明に思い出してしまったからだ。

「なあ?顔を上げてくれないか?私は其方とそんな関係にはなりたくないのだ。」

そう言われても蓮司は顔を上げることはおろか、言葉を発することすらできない。

とんだ不敬を働いてしまったとわなわな震えるしかなかった。

その姿にムッとした王子は再び蓮司を抱き上げた。王子の予想外の行動に血の気が急に引いた。

「ッ!!!王子様!!おやめくださいッ!!!」

「フン、こうすれば嫌でも私の顔を見ざるをえないであろう。」

意外と王子は強引らしい。

よそよそしい蓮司の様子にムッとした様子の表情だ。

「見…見ますからッ!!降ろしてください!!私は女子でも子どもでもありません……」

「女子のように軽いがな。」

王子はふくれっ面のままそう言うと、先ほどの布団の上に蓮司をふわりと降ろした。

宣言通り、蓮司は王子の顔を見つめた。

先刻見た通り、王子の顔は同じ歳とは思えないほど完成されていて、実に男らしく凛々しい顔つきで、大きな瞳は見る者を吸い込んでしまいそうなほどだ。

先刻は眉を激しく釣り上げていたが、今は穏やかで王族の気品さも感じられた。

ずっとまじまじと見ていたが、やはり先刻のことが気に病んで、また蓮司は俯き、「申し訳ありませんでした」と心から謝罪した。


すると王子は鼻をフンと鳴らし、口をへの字に曲げた。

「あの糞医官どものことか?なぜ其方が謝るのだ、其方に非は何もない。本来ならばあいつ等の俸給をゼロにしたいぐらいだが、そんなことをしても其方は救われないであろう?」

蓮司はそう言われ、申し訳なさそうに微笑んだ。

「しかし、私のような者を庇ったせいで、王子様が皆からどう思われるか…」

蓮司が最後まで言い終わる前に、王子は蓮司の隣に勢いよく座った。柔い布団につられ、蓮司の身体もふわりと舞った。

「言いたいやつは言わせておけば良い。周りの奴がどう言おうと私は其方を手放すつもりはないからな」

王子は腕を組んでそうハッキリと宣言した。

その話ぶりは反論など許さないと言わんばかりに堂々としている。


蓮司は疑問に思った。

先刻、王子は自分の出自を知った上で、それでも受け入れ心待ちにしていたと言ってくれた。

医官でさえ平民を毛嫌いするのに、なぜ王子なのに身分を問題視しないのだろうか?


「あ…あの。」

「なんだっ!?」

蓮司がおそるおそる話しかけると、王子は驚きと、そして喜びが混ざったような表情を見せた。やはり王族だからか、一挙一動に覇気と勢いがあり、蓮司は思わず後ろに少し下がってしまった。

「……先程王子様は外の世界にご興味があると、外の世界を見てみたいとおっしゃっていました。上官らの態度を見るにつけ、彼らは私のような者は下賤だと思うようです。………史官でさえそうなのに、なぜ王子様はそう思われないのですか?」

そう問うと、王子はポカンとした顔をした。

「なぜって…私は友が欲しかったからだ。」

「………え?」

あまりにも単純な返答に、蓮司までポカンとしてしまった。

「私は外の世界に出て友が欲しかったのだ。」

「………はあ。」

「良き友になってくれるのであれば身分など全く関係ない。」

「………王宮には王子様と同じ年代の方はいらっしゃらないのですか?」

「いるさ。いるけども、どいつもこいつも私の地位を狙っているのがバレバレだ。だから一緒にいたって疲れるだけ。………私だって、なりたくて王子に生まれたわけではないのに。本当はこんな重い衣なんて脱いで、色んな世界を見てみたい。」

そう言う王子の瞳はどこか寂しそうで、蓮司は意外に思った。

初めて王宮に来たとき、蓮司が生きていた外の世界とは隔絶された、富に溢れ美しい桃源郷に心底羨ましく思ったのだ。王子としての生活はかつての蓮司のように衣食住に困ることはないし、権威もあり蔑まれることだって一生ないだろう。なぜ同じ人間でこうも違うのだろうかと不敬ながらに思っていたのだ。

でも、と蓮司は考えてみた。

考えてみると、一生を過ごすには狭すぎるこの王宮に縛り続けられるのは窮屈なのかもしれない。蓮司は行こうと思えばどこにでも行けたし、出会おうと思えばどんな人にだって会えた。実際、鳳雅と出会えたことで秀という一生涯の友に出会い、医学を学び、こうして存在すら知らなかった王宮に入り、こうして王子と話をしている。一つでも糸をかけ違えば良くも悪くもその運命は変わるし、蓮司のように良き縁に恵まれる人間の方が少ないことは百も承知だが、それでも運命の選択をする時は意外とあちこちに転がっている。

だけど王子はこの世に生まれた時からその糸がもうすでに立派な布になり、選択の余地すら認められないのかもしれない。

それは楽でもあり、辛くもある。

「私が王子であること、いずれは王になること、彼奴らが自覚を持てと、民を牽制し強い王になれという理屈も幾分かは分かっているつもりだ。分かってはいるが……でも私は夢にまでみて、やっと得られた機会を逃したくはないのだ。」


そう話す王子は自分や秀と変わらない、普通の17歳に見えた。

「………私は王子様のご期待に添えますでしょうか?」

そんなに待ち侘びた人間に今日初めて出会って、王子はどう思ったのだろうか。ガッカリしただろうか?恐れながらも蓮司は確かめたかったのだ。

すると王子は先刻まで蓮司の方を向いていたのに、そう問われた途端、真逆に向きを変えてしまった。



「………私が其方を助けたことがその答えだ。それと、王子様と呼ぶでない。私の名は猛龍だ。」

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