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紫苑に露  作者: 花信風描
第四章 追憶
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第二十五話

それから蓮司と秀は常に互いを高め合ってきた。

元々蓮司は秀よりもだいぶ遅れをとっていたから、本来好敵手になるはずもなかったのだが、文字を一年で習得するほど優れた能力を持っている蓮司は秀の額に何度も冷や汗をかかせてきた。

ある春は桜の木の下で、夏は川辺の岩の上、秋は紅葉の絨毯の上、冬は囲炉裏を囲って、二人はいつも一緒にいた。何冊も積まれた書物を腰掛けにしてお互いがお互いに負けまいと切磋琢磨してきたのだ。


___そうして6年。

蓮司は17歳になった。

出会った時は年端もいかぬ子どもだった二人はすっかり青年になり、発する声は低く、背丈はすっかり青年男性ともいえるほどの高さになった。


「なあ、蓮司。蓮司はさ、医官になりたいって言ってたけど、医官ってどうやったらなれるんだ?」

そう聞かれ、蓮司はキョトンとしてしまった。

「そういえば……どうやってなるんだろう?」

言い終わらないうちに秀がブッと吹き出して笑った。

「ちょ…ちょっと蓮司!知らないのかよ……!?てっきり知ってて目指してるのかと思ってたのに……!」

隣でゲラゲラ笑う秀をよそに蓮司は腕を組みながら考え込んでいた。

この6年間は一人前の医者になるために目の前のことに必死になって、脇目もふらず常に全力疾走しているような感覚だった。そのおかげか、今の蓮司と秀は簡単な治療を行えるまで医者として成長した。

だからと言っては言い訳かもしれないが、肝心な目標の叶え方については完全に盲点だった。

「街に医官募集の張り紙なんて見たことがないし、どうやってなるんだろう………?」

「いやいや蓮司、蓮司には鳳雅さんがいるじゃぁないか!?なんで敢えてそんな遠回りしようとしてるんだ?」

「違うんだ、鳳雅さんは…」


鳳雅は2年ほど前頃からほとんど家に帰ってこなくなった。一月に一、二回帰ってこれば良いところだ。

蓮司ももうその時には何もできない子どもではなくなっていたから、日常の家事全般は難なくこなすことができたのだが、寂しさはどうしても募り、たまに帰ってきた時には真面目な話なんかするよりも、ただ一緒にいたいと思ってしまうのだった。

帰ってこられなくなった理由を聞いてみようとしたこともあったのだが、治療が忙しい以外何もないのは誰でも分かることで、だから何も言わずただただ鳳雅の帰りを待っていた。


「いや、そうだね。今度鳳雅さんが帰ってきたら聞いてみることにするよ。そういう秀は?これからどうしていくつもりなんだ?」

フフンッと秀は鼻を鳴らした。

「俺は蓮司よりちょっとだけ前に進んだよ。この前街を離れて郊外に行ってみたんだ。今まで噂でしか聞いたことがなかったからさ、やっぱり自分の目で確かめてみないとって。」

「……どうだった?」

そう聞くと秀の顔は少し曇りがかった。

「お世辞にも健康状態が良いとは言えないね。…食べられる物も圧倒的に少ないし、居住環境も良いとは言えない。」

「………それらを改善しないことには、どうにもならないってこと?」

秀は天を仰いで大きく溜息をついた。

「別に諦めるとかじゃないけどさ。ちょっと落胆したんだよ。俺はさ、医術を極めて父さんみたいに医学塾を作って、尚且つ自分も医者として郊外に出向けば夢に近づけると思ったんだ。もちろんそれでも改善はするだろうけど、あくまで改善であって解決じゃない……。」

そう言って秀は黙り込んでしまった。蓮司も返す言葉が見つからず、なんとか言葉を絞り出した。

「……でもそれって、私たちに何ができるんだろう。」

「………………。」




それから一週間もしないうちに、鳳雅が家に帰ってきた。出会った時から九年も経っているが、鳳雅の容貌は出会ったときと全く変わらず気品に溢れている。ただ、激務ゆえなのか、歳だからなのか以前よりも皺は増え、目には疲れが見て取れるようになった。


蓮司は鳳雅に会えた嬉しさのあまり勢いよく立ち上がりすぎて少しフラついてしまった。

鳳雅はそんな蓮司を見て慌てて受け止めようとしたが、もうそんな歳ではないとハッとして少し頰を染めた。

でも、蓮司はそんな鳳雅の優しいところが大好きだと改めて思った。

「鳳雅さん!!おかえり!」

「あぁ、ただいま。すまない、今回は一月も家を空けてしまった。不便はなかったか?」

「大丈夫だよ、新しい料理を覚えたんだ、今度鳳雅さんにも作るよ!!」

「そうかそうか、楽しみにしてるよ。」

今晩は鳳雅も蓮司も夕食を済ませてしまっていたから、二人で茶を飲むことにした。


蓮司は一月ぶりに鳳雅に会えたことが嬉しく、いつも通り他愛もない話をしていた。いつも秀がまた珍しい虫を見つけただの、こんな患者がいただの同じような話の繰り返しなのだが、そんな話ばかりでも鳳雅は優しい眼差しでいつも聞いてくれるのだ。


しかし、蓮司はふと秀に言われたことを思い出した。

『そうだ、聞かないと…』

そう思い出した途端、蓮司は急に緊張してしまった。

何を聞いても鳳雅は嫌な顔などしないのは分かってはいるのだが、この年頃特有の恥じらいなのか、真面目な話をしようとすると少し勇気が必要なのだ。

しかし、自分も鳳雅や行平には到底及ばないが一人前の医者になったのだし、秀に遅れをとるわけにはいかない、と唾を飲み込んだ。


「あの、鳳雅さん…」

「どうしたんだ?そんな改まって…」

「僕がなんで医者を目指したか…覚えてる?」

そう言うと、蓮司は誇らしいそうにニッと笑った。

「覚えているとも。私がそれを聞いてどれだけ嬉しかったことか。……いや、違うな。初めて聞いた時は子どもらしくて可愛いとだけ思っていた。私に憧れてくれて、今こうして一人前の医者になったことに対して、私がどれだけ誇らしく思っていることか。…蓮司、自分の境遇に卑屈になることなく、本当によく頑張ったな。」

それを聞いて、蓮司にはどうにも名前のつけ難い感情と涙が込み上げてきた。

自分の境遇に卑屈にならなかったのは、鳳雅がいてくれたからだ。

褒められてほしくて頑張ってきたわけでは決してないが、それでも大好きな人、目標としている人から褒められることがこんなにも嬉しいことだというのを蓮司は生まれて初めて知った。

でも、泣くのはやっぱり恥ずかしくて、蓮司は少し顔を伏せて、目を擦るふりをした。

「そうだ、それで医官のことだが。私も、もうそろそろ蓮司に話そうと考えていたんだ。」

鳳雅は改めて蓮司に向き直った。

それに気付き、先刻の涙もなんとか誤魔化し切った蓮司も顔を上げて鳳雅に向き直った。


「蓮司、君には王子専属の医官になってもらおうと考えている。」

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