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紫苑に露  作者: 花信風描
第四章 追憶
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第二十四話

そのあまりの大きさに蓮司は尻もちをついてしまった。

飢えてきた時は正直虫でも良いから食べようとしていたぐらいなのに、随分と偉くなったものだと自分でも思った。

腰を抜かして立てなくなっていると、すぐ草むらから一人の子どもがガサガサッという音と共に勢いよく出てきた。

「ちょっと父さんッ!!!何してくれるのさ!大きい声出すからカマキリちゃんが飛んでっちゃったじゃないか!!!珍しいぐらい大きい子だったのに!!」

出てきた少年は蓮司と同じぐらいの歳に見えた。どこにでもいるような子どものようだが、その瞳は淀みがなく綺麗だった。

「どの口が言ってるんだッ!!!!阿呆なのかお前は!!!!幼子でもないのに服に泥をつけて遊ぶなッ!!!!」

「ハッ!?まだ子どもだし!?別に僕が何をしようと父さんに迷惑かけてないから良いじゃないか!!父さんこそお馬鹿だお馬鹿!!!!」

「うるさい!!」

二人はいたって真剣だが、遠くから眺めているだけの蓮司には、まるで萬歳のように見えて、思わずクスリと笑ってしまった。

蓮司が笑ったのに気づいた少年は、さっきのカマキリと同じぐらい勢いよく飛び跳ねてきて、蓮司の前でピタリと止まった。蓮司はその勢いに驚いて少し後ずさった。

「もしかして…!君が蓮司くん!?父さんから今日新しい子が来るって聞いてたんだ!!……わあ、すごい整った顔立ちの子だね父さん!僕とは大違いだ!」

動きだけじゃなく話し方や声にまで勢いのあるところが父親の行平そっくりだ。蓮司の目を食い入るように見ている。

同じ年代の少年、それ以前に人とあまり関わってきていない蓮司は、何か言葉を出そうとするが何を言えば良いのか分からず、言葉が喉の辺りで詰まってしまって、目を合わせることすらできなかった。

「こらッ!秀!!どれだけ恥を晒せば気が済むんだ!蓮司くん困ってるじゃないか!」

すると秀は「え?」と言って更に顔を覗き込んでくる。

蓮司は更に縮こまってしまう。

「君、もしかして人見知り?大丈夫!!僕にかかればそんなこと関係なしだ!!」

「秀!!!」

行平にどれだけ怒られても目の前の少年は溌剌と笑っている。

まるで真夏の太陽のような弾ける笑顔で、笑った時の口は絵に描きだせそうなほど綺麗な形をしている。

蓮司はチラリと秀の方を見て、また逸らした。

ただ、同年代の子どもと初めて会った蓮司は、仲良くしてみたいと淡い期待を抱いていた。


それから秀は呆れ怒り狂った行平にまるで猫のように首根っこを掴まれて講義室に連れて行かれた。

蓮司も、その様子にまたクスクスと笑いながら二人の後について行った。

講義が始まると、まず新参者の蓮司は皆の前で自己紹介をさせられた。

人とまともに関わったこともないのに急にこんな人前に立たされて、蓮司は目線をどこに向けて良いか分からずずっとキョロキョロとしていた。

ただ、ふと秀の方を見ると、『大丈夫!大丈夫!!』と口をパクパクさせて、蓮司を励ましてくれているようだった。それを見て、蓮司はにこりと笑い返した。

正直、蓮司は秀がこの講義室にいることに対して驚きを隠せなかった。虫と戯れるのが好きとかいうものだから、てっきり学生だとは思わなかったのだ。

行平の気遣いで、自己紹介を終えた蓮司は秀の隣に座らせてもらった。

何かボソボソと声がすると思って、秀の方をちらりと見ると、案の定、秀は蓮司の方を見て小声で何か話していた。

『蓮司くん、上出来だよ!』

蓮司は頰を赤くして、正面に向き直った。

『そうやってからかうの、やめて…』

秀は恥ずかしがる蓮司のことなんて全く気にしないで、言葉を返してくれたことが嬉しかったのか、目を見開いてニッと笑った。




一日目の講義が終わり、蓮司の頭は煙が出てきてしまいそうなほどパンクしていた。

足を一歩一歩踏み出すことすら億劫なほど疲れ切って、ここから家に帰るのが長旅のように感じられた。

鳳雅から事前にいくらか教えてはもらっていたのだが、当然それだけで初歩がわかるほど医学は簡単なものではなく、言われたこと、前に書かれたものを書き写すだけで精一杯だった。

隣を歩いている秀は手を頭の後ろで組み、ふんふんと鼻歌を歌って飄々としている。

秀は行平に「こら!どこへ行く!!」とまた怒られていたが「蓮司を送っていく〜!」と、ひらりと小言をかわしていた。

「秀さん……は頭が良いんだね、全然疲れてない。」

「秀で良いよ!」

「………え?」

「呼び方!」

「あ、ありがとう…。じゃあ、秀…」

秀はガッツポーズをして笑った。秀は人見知りの蓮司の心をこじ開けて行くのが楽しいようだ。

「僕のこと、まるで虫が恋人です、とか言いそうな虫学者とでも思ったでしょ?」

図星を突かれて蓮司は俯いて静かに「…うん。」と答えた。

「確かに虫たちは僕の大切な友達だよ!虫たちと戯れていると、いつの間にか時間が経っててね、だから父さんによく叱られるんだ。……でもね、こう見えて僕にはちゃんと夢があるんだ!」

「…夢?」

蓮司は"夢"という言葉を初めて口にした。拾われた身の自分が口にするのもおこがましいと思っていたし、そんなことを考えたこともなかった。

「父さんとはいつも口喧嘩してるけどね、ある程度は尊敬してるんだ。ホラ、さっき父さん講義の中で『医術は魔法のようなものだ。』って言ってたでしょ?」

「うん、言ってた。」

蓮司は講義について行くのに必死になっていたが、その言葉だけは心に残っていた。

「医術は、病に奪われそうになっていた人生を取り戻すことができるでしょ?人に希望を与えることができる。」

「うん。」

「素晴らしいことだと思わないか!?…でも、医術を極めることができるのは、本当に一握りしかいない。人の命を扱うから、当然簡単じゃない。」

「………うん。」

それは今日他の誰よりも蓮司自身が痛感したことだ。

正直、まだ一日目なのに文字すら見たくなくなってしまった。

「この国には医者が十分にいないんだ。後継者もなかなかいなくて、優秀な人は全員王宮に行ってしまう。………こんなこと言っちゃいけないんだけど、平凡な僕らは満足に医者に診てもらえない。」

その言葉を聞いて、鳳雅のような医官になりたいと思っている蓮司は少し居心地が悪くなって下を向くしかなかった。

「だから父さんは、平凡な僕らでも診てくれるような優秀な医者を育てたいとあの医学塾を作ったんだ。皆が困ったとき、すぐに医者が近くにいるようにって。そのおかげか父さんが医学塾を始めてから、少なくともこの辺りの医者の数はだいぶ増えたんだ。」

秀の瞳はキラキラと輝いていて、希望に満ちていた。

「秀は……秀の夢は、お父さんの意志を継ぐこと?」

蓮司がそう言うと、秀は少し恥ずかしそうに鼻を掻いた。

「父さんには秘密だよ?言ったことなんてないんだから。……でも、そう。僕の夢は父さんの理想を実現すること。医者の数はだいぶ増えたけど、まだまだ郊外の人たちは本来助けられるはずの病で死んでしまうことが多いみたいなんだ。……そういう人たちは貧しいことが多いから…そこも問題ではあるんだけど。でも、まだどうしたら良いか分からないけど…その人たちも何とかして助けたいと思ってる……!」

同じ年頃なのに、自分と秀はあまりにも違いすぎて、どう返事をして良いか分からなくなってしまった。

自分はただ鳳雅がカッコよく見えて、半ば勢いで医者になりたいと言ってここにいるが、秀はこんなにも大きな野望を持ってここにいるのだ。

「蓮司は!?蓮司はなんで医者になりたいと思ったんだ?なんでわざわざ大変な道に?」

絶対聞かれると思っていたら、本当に聞かれてしまった。こんな模範解答のような夢を聞いた後には何を話してもちっぽけに聞こえてしまう。

しかも、蓮司がしようとしていることは彼とは真逆だ。

だからといって、夢を正直に語ってくれた人に対して嘘をつく方が遥かに罪悪感を抱くだろう。見捨てられるなら、早い方がいい。

「私は……その、親に捨てられた私を救ってくれた鳳雅さんが…その、医官で、王様や王子様たちを診ていると聞いて、カッコいいって思ったんだ。…だから、鳳雅さんみたいになりたくて医術を学びたいと思った。」

怒られると思ったし、嫌われると思った。

しかし、横で聞いていた秀は蓮司の話を頷きながら聞いてくれた。蓮司は秀にどう思われるか怖くて秀の方を見なくても、秀はしっかり蓮司を見ながら聞いてくれていた。

言い終わった後もやはり蓮司は俯いたまま顔を上げられなかった。


肩に秀の手がトンッと軽く乗った。

「まさか、蓮司。僕と夢が真逆だからってそんな怯えて話してるの?」

ズバリ言い当てられ、蓮司は驚きのあまり思わず秀の顔を見た。

蓮司の驚いた顔が面白かったのか、秀はハハッと吹き出すように笑った。

「もうー、止めてよ!これはあくまで僕と、まあ父さんの夢であって、これを他の人に強要する気なんて全くないんだから。僕らみたいな人ばっかりだったら逆に王家が滅んじゃうでしょ?……良いんだよ、僕は僕で、蓮司は蓮司。進みたい道は違っても、同じ医者を目指すもの同士。今日出会ったばかりだけどさ、これからも一緒に頑張ろう!」

思いがけない言葉が返ってきて、初めて蓮司はこんなに長いこと人の目を見つめ続けた。

秀は本当に同じ子どもなのだろうか?そうだとして、どうしたらこんなに広い心を持てるのだろう?

「……蓮司?友達になってくれないの?」

蓮司は考え込んでいて、目の前にいつの間にか差し出された手に全く気がついていなかった。

「ッ…!!ごめん!」

蓮司は秀の手をすぐさま掴んだ。

掴んだ秀の手は、日向のように温かくて、蓮司を優しく包み込んでくれるようだった。

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