第二十三話
それからは急に怒涛の日々となった。
蓮司が口にした言葉を子どもの戯言だと聞き捨てなかった鳳雅によって、蓮司は医者への道を歩み始めたからだ。
しかし、貧しい家庭で暮らしてきた蓮司は勉学はおろか、文字すらまともに読んだことがなかったから、まずは文字の勉強から始まった。
鳳雅が王宮へ出仕している間、蓮司は夢中になって勉強し続けた。
蓮司とて、医官になりたいという言葉は勿論嘘ではなかったのだが、まさか鳳雅が本気にするとは思っておらず最初こそたじろいだのだが、今までだったら全く知ることができなかった世界を知っていくことは何よりも幸せに感じた。
その結果、文字の概念すら全く知らなかった子どもはわずか一年で難読な書物を読むほどまでに成長した。
書を読めるようになったため、やっと医学の勉強ができるようになった蓮司は鳳雅に教えてもらえると期待していた。しかし、現役医官の鳳雅にそんな余裕などあるはずもなく、鳳雅の知り合いがやっている医学塾へ行くことになった。
「私は一人で上手くやれるだろうか…。」
朝支度をしながら蓮司はふと不安になった。
衣は鳳雅が新調してくれた非常に綺麗なもので、蓮司はいつも通りで良いと遠慮したが、聞き入れてもらえなかった。
「……よし!」
支度を終え、期待と不安で高鳴る胸をなんとか落ち着かせながら家の戸を開けた。
少し外れにあるから迷わないようにと地図を渡されたが、本当に外れのようで地図の中には他の建物が何も描いていなかった。
医学塾に行くには中心街の大通りを抜けなければならないようで、蓮司は初めて繁華街に足を踏み入れた。
初めて来たこの場所はどこも賑わっており、溌剌とした商売人の客引き声、行き交う人々の楽しそうな笑い声で溢れていた。ここにいる人々は今住んでいる鳳雅の街や、自分がかつて住んでいた村にいる人々とは全く違って、誰もが洗練されていた。
両脇には見たこともないような高貴な装束品や衣、珍しい食料が永遠に並べられ、蓮司は正直好奇心よりも華やかすぎる世界に圧倒され怖気付いてしまい、そそくさと繁華街を後にした。
繁華街と医学塾は意外とすぐ近くにあった。
そうは言ってもその二つの雰囲気は似ても似つかず、医学塾の周りは一周見渡しても草木ばかりである。また、蓮司は立派な医学塾を想像していたのだが、辿り着いた先は蓮司が見ても山小屋だと思うほどだ。
「…しかし、地図は確かにここだと言っているし…。」
おそるおそる中を覗くと、鳳雅より少し下の年代かと思われる一人の男性が、卓に座って何やら読んでいた。
「…………帰ろうかな…」
鳳雅に救われてからも、家にいるだけの生活しか送ってこなかった少年にとって、外に出て新しい場所に行くこと、全く知らない人に話しかけることは初めての経験でどうしても緊張してしまう。
しかし鳳雅に救われなければ、おそらく自分は餓死していたし、生きていたとしてもこんな綺麗な衣を着て、文字を学んで医学の道に進むなど夢にも思わなかったことだ。その恩を無駄にするなど罰当たりだ。
「……だめだ!頑張らないと!」
蓮司は意を決して医学塾の戸を開け、中にいる男性に声を掛けた。
「あの……今日からここで学ばせてもらう蓮司と申します。お師匠様でしょうか?」
話しかけたはずだが、男からは何の反応も無い。自分の声が小さかったのだろうかと思った蓮司は今度は腹から声を出した。
「……あの!!」
今度は聞こえたようで、男はすぐに振り返り、おお、と小さく言って立ち上がり、蓮司を迎え入れてくれた。
「もしや君は蓮司くんか?私はこの医学塾で教鞭をとっている行平という!!鳳雅から話は聞いてある。ほら入った入った!」
入った場所は蓮司にとって見慣れないものであった。前には何やら難しい用語が書いてある大きな紙が吊り下げられていて、その後ろには長机が五つほど置かれ、椅子もいくつか並べてある。
蓮司があまりにも物珍しそうに辺りを見回していたため、行平はハハッと元気に笑った。
「そうかそうか、このような場所に来るのは初めてだろう?ここは講義をする場所だ!…ここはって言っても、ここ以外に部屋はないがなッ!!ハッハッハッ!」
行平は鳳雅の友人だと聞いてきたが、あまりに両者の性格が違うため、蓮司はどうしたらこの二人が友人になれたのだろうか、と心底疑問に思った。
「鳳ちゃんが子どもを引き取ったということ自体、目が飛び出るんじゃないかと思うぐらい驚いたが、まさかその子どもが医者になりたいと言い出すなんて、鳳ちゃんはとんだ優秀な医者の卵を引き当てたもんだ。……しかも君、たった一年で文字を覚えたということじゃないかッ!!」
褒められて、蓮司は少し頬を赤らめた。
「…はい、今までそんな機会すらなかったので、嬉しくて…。学ぶほど出来ることが増えていって、自分の世界が広がっていく感じに夢中になっていました……!」
行平は蓮司の境遇も鳳雅から聞いているのか、蓮司の言葉を聞いて切なそうな表情をしたが、それでも前向きな少年を前にして感嘆の声を漏らした。
「君のその健気さ、うちの坊主にも見習って欲しいぐらいだ……。おいッ!!秀!!お前、何時迄も虫と戯れているんじゃないッ!!」
行平の声は通常時でも大きいのに、更に大きい声を出すものだから、蓮司は思わず体をビクリとさせた。
「…外には誰もいなかったはずですが?」
「………いや、あの馬鹿は虫達と遊ぶには視線を彼らに合わせないと!とかふざけた事を言いよって、土に這いつくばっているからな!見えないだけですぐ近くにいるはずだ……!おいっ!秀!!!」
すると、本当にすぐ近くからガサガサと大きな音がした。
しかし、跳び出てきたのは三寸ほどの巨大なカマキリだった。
「ぎゃあああああああああっ!!!」




