第二十二話
____寒い、お腹すいた。
手足が悴んで、ついに感覚もなくなってきた。
ものすごく空腹なのに、草でもいいから食べたいのに立ち上がれない。
もう何度夜を超えたんだろう。
母上はいつ戻って来てくれるんだろう?
喉が渇いてしょうがなくて、藁にもすがる思いで飲んだ水溜りの水は本当に不味かったよ?
でも母上がここで待っててねって言ったから、迎えに来てくれるまで待つつもりだけど、
「もう限界だよ……」
鋭い北風と一緒に雪までちらつき始めた。こんなに衰弱した体で雪の夜はとても越えられそうにない。
「……母上…」
少年はその瞳を静かに閉じた。
目が覚めると、自分は暖かい毛布に包まれている。
「……死んだと思ったのに」
目の前には囲炉裏があって、パチパチと音を立てて炭が燃えている。
「…….!?いい匂い!!」
飢餓状態になっていた少年はガバリと起き上がり、獣のように囲炉裏の鍋へと手を伸ばした。
「………起きたかね。」
あと少しで手が届くといったところで、この鍋の主人が姿を現した。
少年はピタリと手を止め、おそるおそる声のする方へ視線を移した。
その姿を見て思わず目を見開いた。
眼前に現れた人物は、光沢のある美しい白髪を青紫色の組紐で結い、身を包む衣服は華美ではなく白一色だが、シワひとつなく美しく整えられている。
顔には年相応の白髭があり、皺もきちんと刻まれているが、それさえも品があり美しく見えた。
「やっぱり自分は死んだんだ……仙人様が迎えに来てくださった…」
そう言うと、目の前の仙人はニコリともしないですっと少年の横に腰を落とした。
「……そう思うのも無理はない。君は私が一歩遅ければ死んでいた。」
そう言われ、少年は顔から血の気が引くのを感じた。あの寒さが蘇り、暖かいはずなのに寒気がしてきた。
「しかし、もう私がついているから安心だ。私は鳳雅という。君、名は何と言うのだ?」
「…………蓮司」
「そうか、良い名だ……しかし蓮司、なぜあんな場所に一人で居たのだ?君の容態を見るにつけ、もう何日もあの場所で夜を明かしたようだったが?」
そう言われ、頭の中に母の顔が浮かんだ。その途端、蓮司は急に立ち上がり戸口へ向かった。ただ、まだ万全でない体はグシャリと崩れ、それでも這いつくばって何とか外に出ようとした。
「…そんな身体でどこに行くつもりだ。無理だ、戻りなさい。」
足を掴まれ先に進めなくなっても蓮司は何回も手を伸ばし続けた。
「母上が……!母上があの場所で待っていてと言ったんだ!!だからあそこに居ないと……!!!」
男は目を閉じ、何かを決心したようにまた開いた。
「もうやめなさい。……厳しいことを言うが、自分の子を何日もあのような場所で待たせておくような母親が本当に戻ってくると思うのか?」
動きをピタリと止め、蓮司は鳳雅の方を向いた。
「え、何を言って…」
「君も本当は最初から分かっていたんじゃないのか?迎えに来てくれるはずがないと」
脳裏に母との記憶が鮮明に蘇ってきた。
母上はいつもどこか苦しそうだった。
毎日外に働きに出て行っては、僅かな食料を持って帰ってきた。
いつも自分にごめんね、と謝っていた。
目の下にはいつも隈があった。自分を寝かしつけた後も、静かに起きて蝋燭の僅かな灯火で針仕事をしているせいだ。
自分は愛されていたはずだ。十分幸せだった。
___いや、最近の母上はどこかおかしかった。
あんなに毎日働いていたのに、どこにも出て行かなくなって、ずっとぼうっとするようになった。表情もなくなって、その姿はまるで人形のようだった。
お腹が空いたと言えば、ものすごい剣幕で怒られた。とても怖くて、あんな母上は見たことがなかった。
だから自分が働こうと思ったけど、あまりにも幼すぎて相手にすらしてもらえなかった。
そうだ。そんな時だ。
手を引かれて連れて行かれた森の中。
母は最近では珍しく上機嫌で握った手を振りながら歩いたことを覚えている。
「ここで待っててね」
そう言う母の顔は不気味なほど笑顔で、そのとき分かったのだ。
___ああ、捨てられ…
「違うッ!!!!違う!絶対違う!そんなはずはないッ……母上がそんなことをするわけない…!」
蓮司は頭を抱えてうずくまった。
「違う…違う、違う…」
鳳雅は大きく溜息をつき、丸まる蓮司の背中を優しく撫でた。
それからのことはあまり覚えていない。
散々泣き喚いた後、食事だけはしなさいと言われたが、味がしなかった。
その後は泥のように眠った。藁の上でしか寝たことがなかったから、ふわふわの布団は初めてだった。あまりにも気持ちよくて、その温かさが逆に辛くなってまた泣き喚いた。
鳳雅は毎日どこかへ出かけて行った。より身なりを整えて、その姿は住んでいた村の人とは全く違っていた。
帰ってくるのは夜更けで、たまに帰ってこないこともあったから、どこに行っているのか訊いてみたが、時が来たら話すと言うだけで教えてくれなかった。
その間自分は、洗濯や掃除をして過ごしていた。
そんな生活が二年続いた。蓮司は十になった。
二年も経てば自分も青年に近づき、悲しさは癒えずとも、あの時のことを冷静に捉えられるようになってきた。
鳳雅は決して口数が多いとは言えず、目にハッキリ見えるような優しさを蓮司に与えるような人物ではないが、蓮司を見る目は暖かく、急に不安になったり、辛いことを思い出して泣き喚いてしまうときは必ずそばにいて、あの日と同じように背中を撫でてくれた。
ただ、今更かもしれないが、鳳雅の温もりに触れる度に面倒のかかる子どもの自分が、鳳雅のところに居続けることに対してだんだんと申し訳なくなってきた。十分に働ける年齢でもなく、ただただ食い扶持を増やしているだけだ。
今晩は鳳雅の帰りが早く、蓮司は思い切って話してみた。
「あの…鳳雅さん、今更ですが僕がここに居続けるのは迷惑ですよね。働きもしないで生活させてもらうなんて…」
こう言いつつ、内心蓮司は鳳雅に「じゃあ出ていけ」と言われたらどうしようと考えていた。親戚などいないし、母を探すなどもってのほかだ。
それを聞いた鳳雅は蓮司の内心も見抜いたのか、ふふっと静かに笑った。
蓮司は鳳雅の笑った顔を見たことがあまり無く、このように笑うのかと驚いた。
「子どもがそんなこと、気を遣わなくていい。ここにいたいのなら、素直にそういえばいい。そう言ってくれた方が私も嬉しい。」
やはり心のうちも見透かされていたようで、蓮司は顔をボッと赤く染めた。
「それに…言っていなかったがね、私は実は王宮の医官なのだ。たまに帰りが遅いのもそのせいだ。……だからといっては高慢だが、子ども一人分ぐらい食い扶持が増えたところで問題はない。」
__王宮の医官?医官って何だ?
蓮司のポカンとした表情を見て、鳳雅はまた笑った。
「医官というのはね、王宮で働く医者のことだ。王様や、その妃、王子様などの病を診るんだ。」
「えっ!?凄い!!!」
蓮司は思わず立ち上がった。医者というだけでも驚きなのに、神仙の類とされている王族を診るだなんて、鳳雅の何とも言えない荘厳な雰囲気も、今なら納得だ。
「王様って、本当に存在しているの!?」
「勿論だ。あまり王宮のことを口外すべきではないが…王様は私たちと同じように今も生きている。」
「王宮の医者ってことは…医者の中で一番凄いんでしょうッ!?」
鳳雅は今度は照れながら笑った。蓮司は表情豊かではない鳳雅の笑顔を今日はたくさん見ることができて嬉しかった。
「一番凄いかは分からないが…。いや、でも王家の方々を診るのだから、そうあるべきだな。」
蓮司の瞳はおそらく今とても輝いているだろう。
自分を助けてくれて、一緒に暮らしている人がこんなに凄い人だと知って、まだ幼い少年が高揚しない方がおかしいぐらいだ。
「僕も……僕も王宮の医官になりたいッ!!!」




