第十四話
外の庭は廃寺とは思えないほど美しく緑豊かだった。
色とりどりの花が咲き誇っているが、騒がしさは全くなく、どんな風流人がこの庭を作ったのだろうかと、思わず感嘆の息を漏らすほどだ。この街のどこを探してもこんな場所は見つからない。
花々の中では、小鳥だけでなく蝶や蜻蛉までもが楽しそうに遊んでいて、怜は彼らにまるで幼子を見るような優しい目を向けた。
しかし、ハッと顔を上げた。
「和んでいる場合ではない…」
すっと立ち上がりまた辺りを見回した。
外の空気を吸ったことでいくらか心地も良くなり、消えていた記憶が蘇り出した。
「…確か私は、今日は薬草取りに出掛けていて…、それを源さんにはきちんと届けたはず。それで…………」
脳裏に琥珀色の美しい髪が浮かんだ。
その人物は自分の名前を必死に呼んでいる。
「ッ珀!?」
そうだ。自分は初めて酒を飲んだんだ。そこからの記憶はまるでさっぱり無いが、記憶の最後にある珀の表情から想像するに、自分が迷惑をかけたに違いない。
サーッと青ざめて来た。悪い予感しかしない。
「じゃあ珀はッ…どこに…….!」
美しい庭の中を必死に探した。
この廃寺はあまりにも広すぎて自分が今どこにいるのか分からなくなってくる。
しばらく探した後、視界が開けた場所に出た。
「…………ッ!?」
怜は思わず息を飲んだ。
それまで全く気が付かなかったが、ここはかなりの高台にあったみたいだ。
眼下には普段自分たちが暮らしている街が広がっている。
街の人がまるで小人のようで、その賑わいは人形劇のように見える。
その景色に圧倒されていて気が付かなかったが、もっと視界の近くに一人の青年が座っていた。
その背中は自分が思っていたよりも広く、逞しい。
「珀ッ!!」
怜は出せる声全てを出して名を呼び、駆け寄って隣に座った。
青年もハッと驚いた表情を見せた。
「怜ッ!?目が覚めたのか!………具合は?」
「先ほどまでは頭が痛くて心地も悪かったんですけど、外の空気を吸ったら落ち着きました…」
「……そうか、良かっ…」
琥珀が言い終わる前に怜はグイッと琥珀に近づいた。
琥珀は思わず引いてしまった。
「珀……、私は珀に迷惑をかけましたよね?……お恥ずかしいことに記憶が全くないのですが…。珀が私をここまで連れて来てくれたんですよね?」
そう言う怜の瞳は潤んでいて、琥珀はすぐに目を逸らした。先程自分が怜に抱いたあまりにも淫らな感情をやっと治めたのに、また湧き上がってきては困る。それに加え、純粋で清廉な怜に向かってそんな視線を向けてしまった罪悪感から、怜のことを見つめ返すことができなかった。
琥珀は人と話す時、必ず相手の目を見て離さない性質で、それは知り合ってほんの数日の怜でも感じていたことだから、目を逸らされた怜は「?」と首を傾げた。しかしすぐに自分は琥珀に目も見てもらえないほど失礼なことをして嫌われてしまったのだと思い、また更に青ざめてしまった。鈍感な怜は当然、琥珀の頬が少し赤くなっているのに気付いていない。
怜が黙ったまま何も話さないため、琥珀は自分が怜に対して怒っているのだと勘違いしていることに気付いた。
「ちっ…ちがうんだ怜ッ!俺は怒っているわけじゃなくてだなッ……!そのー、えっと、色々と怜に申し訳なくて…」
琥珀が怒っているわけでは無いと分かった怜は迷子の子犬がひと差しの光を見つけたような表情でチラリと琥珀の方を見た。
「………本当ですか?私のこと嫌っていませんか…」
「嫌ってなどないッ!!絶対だ!」
「………よかったです…。」
怜はホッと胸を撫で下ろし、前の景色に目を向けた。
怜に対して怒っていないのは本当のことだし、嫌うなどもってのほかだ。勘違いは解けたが、琥珀の怜に対する罪悪感が消えることは無かった。半ば無理やり酒を飲ませ酔わせた挙句、言葉にもしたくないほどの感情を友に対して抱くなど、とてもではないが本人に言えるはずもなく、琥珀は小さくため息をついた。
すでに日は傾き始めていて空は色を変えつつあった。
さっきまでせわしく働いていた眼下の人々は、夜支度をするために帰路につき始めていた。
こうして上から見たら、王家の自分も街の人々も区別など無いのだろうな、と琥珀はふと思った。
しばらく二人の間には沈黙が続いていたが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。何も話し出さないところを見ると、怜もおそらくそうなのだろう。
「………珀。」
小鳥の囀りほどの小さな声で怜がぽつんと自分の名前を呼んだ。
「念のため聞いておきたいのですが、私は一体何をしたんです………?」
「……………。」
琥珀は内心焦った。もう今日のことは掘り返したくないのに。
やっぱり記憶がないのは気持ち悪いのだろう。
どう言うべきか。全て話すべきか。でも知ったら怜は恥ずかしくてこのままこの廃寺で出家でもしてしまいそうだ。
しかし、何も知らないまま街を歩くのもそれはそれで可哀想に思えてきた。
琥珀は事の始末を全て話した。勿論、琥珀自身の問題以外の全てを。
「…………。」
怜は黙り込んで俯いてしまった。とても自分の所業とは思えなかったのだろう。琥珀は今は何を言っても傷を抉るだけだと思い、怜の反応を黙って見ていた。
この高台から身を投げうるのではないか、そんなことがあった時は何がなんでも止めなければと身構えていた。
しかし、突然ふふっと笑い声が聞こえた。この場所には二人しかいないのに誰の声だと辺りを見回したが、やはり自分と怜の二人しかいない。
「………怜?」
おそるおそる横を見ると、当の本人は笑い転げていた。
まさかまだ酔いが覚めていないのかと疑ったが、さっきの下品な笑い方とは違う。
「どうしたんだ玲!?」
怜はまだ笑っている。笑いすぎて、涙まで出ている。
「はははっ…もう自分でも恥ずかしさを通り越して、面白くなってきました……!それが私の本心なのですね…!今までそんなこと無自覚でしたが、酔った私がそれだけ阿呆みたいに嘆いたおかげで、心なしかスッキリしました…!」
琥珀は唖然とした。こんな事態を招いた琥珀に対して怒るぐらいかと思っていたのに、怜は開き直っている。
「俺に対して怒ってないのか…?」
「全く!こんなこと言うのも変ですけど、私は今まで羽目を外したことが無かったんです。……そんなこと、友のいない自分には無縁と思っていたので。勿論明日から少し恥ずかしいですか、なんだかそれさえも面白いです……!」
琥珀はそれを聞いて、『あ、怜も自分と同じ歳の人間なんだな』と思った。勉強ばかりして、そのために働いて。洒落っ気のない修行僧とばかり思っていたが、今までそういう機会がなかっただけで、琥珀が楽しいと感じることを同じように楽しいと思ってくれるみたいだ。顔の広い琥珀だが、実は同じ年頃の子と深く付き合うのはこれが初めてで、琥珀自身も新鮮な感覚に、思わず嬉しさが込み上げ、もっと怜と色んなところに行きたいと思った。
「よしっ!!!!」
琥珀は勢いよく立ち上がった。
琥珀が急に立ち上がるものだから、にこにこ笑っていた怜はびくっとしたが、「どうしたんです?」聞いてきた。その声色には密かに期待が込められているのを琥珀は見逃さなかった。
「怜、今度は妓楼に行くぞ!」
「ぎ、妓楼ですかッ!?………それだけは絶対嫌です…。」
先ほどまでの怜の楽しそうな顔がスッと引いた。
「まぁたビビってんの?」
「そういうわけじゃ…ってまたって何です?!」
____空はいつの間にか静まり返っていた。散りばめられた星だけが二人を見つめていて、ほかに邪魔するものは何もなかった。




