第十二話
琥珀が選んだのは行きつけの酒屋だったため、店に入るといつも通り元気いっぱいの店主がいた。
琥珀はそんな店主を見ると今日も平和だな、と感じるのである。
「ジッさん、やっほ~」
「おお!珀くん、待ってたぞー!今日もあの酒をご所望かな?」
「……あの酒?何のことだ?」
「なんでよ、ほら、西国から仕入れたっていう、あの紫色の酒だよ!酒豪の珀くんでも酔ったとほかの客に言ったら皆興味を持っちゃってさ!注文が止まらないんだ」
紫色の酒と言われて、琥珀の頭の中には恥ずかしい記憶が蘇ってきた。能天気な琥珀でも赤面するほどの大失態の始まりとなったあの酒のことは多分一生忘れられないだろう。
「……そ、そうか、商売繁盛の助けになったのなら良かった。だけど今日は連れがいるからマイルドな酒を頼むよ」
琥珀は店主からそろ~っと視線をそらしながら言った。後ろには被害者の怜がいるためたいそうきまりが悪い。
”連れ”と言われ、店主はおッ…と言い、まるで野次馬のように背と鼻の下を伸ばしながら琥珀の後ろで縮こまっている人物を見た。
「連れって……、まさか珀くんッ!ついに運命の人を見つけたのかッ!あんなに一人だけを愛することはないと言っていたのに!………いや、しかし流石珀くんだなぁ。随分とべっぴんさんじゃないかぁ…、見事だ」
そう言われ、琥珀はまさか自分の後ろには違う人が立っているのかと驚いて後ろを振り返ったが、そこにいるのは怜一人だけである。
最初は思考が追い付かなかったが、暫くしてやっと意味が分かった。何より、目の前の怜の表情が物語っていた。
琥珀はありゃ…と思い、店主の方に向き直ってヒソヒソ声で話した。
『ジッさん!あの子、女の子じゃない、男だから!俺と同じ年の男!』
店主はエッと店中に聞こえるぐらい大きな声で驚いた。店にいた他の客もその声に驚いて思わずこちらを見た。
店主の顔は青褪めた。商売人として客に無礼を働くなど言語道断である。琥珀を押しのけて店主はすぐさま怜の前に立ち、その雪のように白い手を取った。
「すまないッ!本当にすまない、あまりにも美しくて…。そ、そうだ!君の分は何を頼んでもお代は要らない!それで許してくれとは言わないが、せめてもの誠意だ…!」
怜は先ほどまで、またか、とションボリしていたが、店主のあまりの必死さに驚いたのか、可笑しくなってうふふ、と笑い出した。
「そんなに謝らなくても大丈夫です。そこにいる珀なんて、私を女と間違えるどころか茶屋に誘おうとしましたから。あ、あとお代はきちんと払います」
店主の気を紛らわすために琥珀をダシに使ったことは正直気に食わないが、最後の言葉はやはり真面目な怜らしくて、自分だったら絶対喜んでタダにしてもらうのに。と歯がゆい気持ちになった。ただ、自分とは正反対すぎて、おそらく一生お互いにお互いの思考回路など理解しえないだろうが、そんな怜のことを琥珀は素直に素敵だな、とも思ったのも事実である。
「ホラッ!ジッさん!本人が良いって言ってるんだからもう気にしない気にしない!早く酒を出してくれよ~喉がカラカラだ…」
琥珀にそう言われ、店主は「あ…ああすぐ用意するよ!」と気を取り直して準備を始めた。
琥珀は怜に「ごめんな、ありがとう」と耳打ちをした。怜はまだ微笑んだまま、「いえ、店主さんは良い方ですね」と同じように耳打ちした。
二人で外の席に座った。外はすっかり秋の気温で少々肌寒いが、酒を飲めば自然と体は暖かくなるから大丈夫だ、という琥珀の提案だ。
お待たせ~と言いながら店主が酒を持ってきた。
「何を選んでくれたんだ?」
「初心者に打ってつけの梅の酒だ!珀くんには刺激が足りないだろうがねッ」
「俺はどんな酒だって酔えるさ~、ほら、怜。初めての酒だろ?最初はゆっくりな」
「……はい。あの、珀。ほんとに大丈夫ですよね?」
琥珀は怜のあまりのビビりように面白くなってきてしまった。
「あ、でも…もしかしたら今までの怜の身に着けてきた知識がすべてまっさらになってしまうかもしれないな…?今ならまだ引き返せるぞ?良いか?」
「え…、それはやっぱりまず…」
「うっそ~!冗談でした!」
「……………もうッ珀!私は本気で聞いているのに!」
「ハハッ…ごめんごめん!でも、怜。ここは男らしくグイッといかないと!女の子にモテないぞ?」
怜に”男らしく”という言葉は禁句らしく、その言葉を言われた途端、後半の言葉を聞かないまま杯の酒を一気に飲んでしまった。
それを目の当たりにした琥珀と店主は思わず目が落ちそうになるほど驚いた。飲み干した当人はゆっくりと杯を机に置くと、ヒックと一回限りのしゃっくりをした。
しばらく経ってからやっとアルコールの味に違和感を覚えたようで眉をしかめてた。
だが、それを悟られまいと強がって
「こんなことぐらい楽勝ですッ!」
と言ったが、早くも目は虚ろになり、ほんのりと顔が赤くなり始めていた。
店主も、そして琥珀までも口が開いたまま数分が経った。
店主はやっぱり気にしてたんだ、と少し申し訳なさそうな顔になった。
その後、何も喋り出さないため、琥珀はまさかもう酔ったのか?と思った。
「………おーい?怜、大丈夫か?………俺が分かるか?」
琥珀はおそるおそる怜に聞いたが、「…?」と琥珀を見て首を傾げたかと思えば、返事をしないままその顔はくてん、と下がってしまった。
「ちょッ!怜ッ怜ってば!」
急いで体を揺らしたが、そのまま琥珀の体に倒れてきた。
怜は琥珀よりもはるかに華奢で軽いため、倒れこんできても余裕で受け止めることが出来たが、さすがの琥珀も心配になり怜の頬をぺちぺちとたたき、怜?怜?と何度も名前を呼んだ。
それを傍で見ていた店主は申し訳なさと焦りでいっぱいになり、医者を呼ぶか?いや、まず水を飲ませるか?と一人であたふたしていた。
すると、ふわっと綺麗な澄んだ瞳が開かれた。
琥珀はホッとした。
「怜?良かった目を覚ましてくれて。俺のこと分かるよな?」
しかし反応はない。琥珀の顔をまじまじと見て、すっと琥珀の腕から立ち上がり、目を上下させながら琥珀の全身をジロジロと見た。
「……怜さん?」
しかしまだ言葉は返ってこない。すると急に顔つきが変わり般若のような形相になった。
「…………お兄さんは男前ですね。」
「…………は…?」
「さぞかし皆から慕われてきたことでしょう。私の悩みなど到底理解はできないですよね。」
琥珀は笑顔のまま顔が固まってしまった。怜の開けてはいけない扉を開いてしまったのかもしれないと。




