第十一話
琥珀はその包みのズッシリ感を見てニヤリと笑った。
「よし、怜!ちょっとした臨時収入が入ったな!場所はもう決めてある!行くぞッ!!」
そう言い終わるや否や、女のようなか弱い怜の手を勢いよく掴んで駆け出した。
「ちょっ、珀!?」
怜はあまりの突拍子のなさに困惑した表情を見せたが、琥珀にとってそんなことはお構いなしだ。
薬屋の戸に手をかけたところで琥珀はそういえば源さんに挨拶し忘れていたと思ってクルっと振り返った。
「薬師の源さん!自己紹介が遅れましたが、俺は珀っていいます!怜を少しの間お借りしますっ!!安心してください、勉強の邪魔はしませんからッ!!」
戸口から源さんまでの距離はそんな離れていないのだが、琥珀は溢れんばかりの元気な声でそう告げた。
怜が隣で恥ずかしそうに俯いて「珀……」と言っているが、これについてもお構いなしで琥珀は源さんに向かって全力で手を振った。
そんな二人を見た源さんはあまりの嬉しさに目が線になって消えるほど微笑んだ。
「珀くんていうのかい、そうかそうか。怜ちゃん、良い友人ができたじゃないか。珀くん、怜ちゃんをよろしくね!」
「はい!お任せくださいッ!安心安全な珀ですので!!」
珀はピッと右手を挙げ源さんに誓い、
「よし、じゃあ怜!行くぞッ!」
二人は秋の晴れた空に飛び出した。
「本当に、よかったねぇ怜ちゃん…」
源さんは二人が去ったあとの戸口を見つめながらしみじみと感慨に耽っていた。
源さんが初めて怜を認識したのはまだ怜が母親の腹の中にいる頃だった。友人の弟子である蓮司が子どもを授かったと慌てて薬屋まで来たのだ。あの時の蓮司の不安げな、でも彼の人生でかつてないほどの喜びで溢れた顔は今でも忘れられない。
「さあて、仕事しますか」
源さんは先ほど怜から預かった薬草の籠をよいしょ、と運んできて仕分けを始めた。
「うん。さすが怜ちゃんだ。珍しい薬草をいとも簡単に見つけるだけじゃなくて、より質の良いものを選び取ってくれてるね。うんうん、いい香りだ」
源さんがいい香りだと言って鼻に近づけたのは、さっき琥珀が吐きそうになるぐらい気分を悪くさせられた薬草だ。
_____チリン。
戸口に吊るされている鈴が鳴った。
さっき二人が来た時も鳴っていたはずだが、奥で作業をしていたせいで気が付かなかったみたいだ。
「おや、今度は誰かな?」
戸を開けて入ってきたのは、細身だが体の節々はちゃんと骨ばった長身の男だ。表情はあまり豊かではなさそうだが、その目は淀みがなく、ただただまっすぐ前を見ている。いかにも実直そうな男である。その見目には反するように、背にはこぼれんばかりの大きな包みを背負い、身にまとっている衣服は布切れをつなぎ合わせたようなものだ。まるで後先考えず家出をしてきた少年のようだ。
「………誰かと思ったら君かい、蓮司くん。」
源さんは蓮司を見るなり、声をワントーン下げた。やはり怜のことは相当子どもに見ているのだろう。
「ご無沙汰しております、先生」
蓮司の低く落ち着いた声が薬屋の中に響いた。
「どうせ今日もまた遠路はるばる出かけていたのだろう。ほら、特別にお茶を淹れてあげるよ、君は確か…意外と苦い茶が嫌いだったね。」
「いえ…、もうさすがに大丈…」
「じゃあ特選茶にするかい?薬師の私が認めるほど特段苦いけど。」
「………遠慮しておきます。」
源さんはハハッと笑い奥へ入っていった。蓮司をからかって遊べるのは彼ぐらいだろう。奥に入っていった源さんはゴトゴトとまた何かを探っている。整然としているようでしていないこの薬屋で何か物を探すのは源さん以外の人間にとっては宝探し以外の何物でもない。
足が良くないのに、部屋が騒然としていては、余計に動かなくてはいけなくなるだろう、と思っていたところに、蓮司は籠と仕分け途中の薬草を見つけた。
「……怜が来ていたのですか?」
源さんは棚から「ん?」と顔をひょこりと出した。
「そうだよ、君が来る本当にちょっと前までいたよ。今日頼んだ薬草は本当に珍しいものばかりで、私は本当に心配していたのだけれど、あの子は薬草の質まで気にして取ってきてくれたよ。君も、多少は薬草に精通しているし、それを見れば怜ちゃんの働きぶりが分かるだろう。」
「ええ…。本当に。」
宝探しを終えた源さんは奥から急須と湯呑を盆に乗せ持ってこようとしていた。蓮司はすぐさま気づいてそれを受け取った。
二人は向かい合って座り、蓮司は淹れたての茶を一口飲んだ。源さんはというと、極度の猫舌のため湯呑を持とうともしない。
茶は苦くないもののはずだが、蓮司にはやはり危うく顔をしかめそうになるぐらい苦かった。もちろん我慢して余裕そうに飲んでいるが。
湯呑から上がる湯気をひたすら観察し、早く飲みたいとうずうずしていた源さんは急にあることを思い出して一気に表情が明るくなった。
「そうだっ!蓮司くんに伝えなければならないことがあったんだ!聞いておくれ蓮司くん、さっき怜ちゃんが来たと言ったがね、あの…あの怜ちゃんがなんと友人と一緒に来たのだよ!!何ともおめでたいことだとは思わないかい?」
さすがの蓮司も、それを聞いて驚かずにはいられなかった。
「怜に…友人ですか!?それは…なんと…」
「私も本当に驚いたんだよ。怜ちゃんは不器用な子だから、一度目標を決めてしまったらそれしか目に入らなくなるだろう?名前は確か珀くんだったかな?夏の太陽みたいに明るい子だったよ。もうね、怜ちゃんが恥ずかしがろうがちょっと引き気味だろうがお構いなしだったんだよ。」
源さんはまたあの光景を思い出し、満面の笑みを浮かべた。
「今頃二人でどこかに遊びに行っているだろうね。あの青年なら、怜ちゃんが一生踏み込まないであろう世界を見せてくれそうだよ。もうね、私は嬉しくなっちゃってね、報酬を奮発したさぁ!そうでもしないとあの子は意地でも遊ばないだろうからね」
蓮司はその話を嬉しそうに聞きつつ、少し曇りがかった表情になった。
「………本当にいつも申し訳ありません。働き場を与えていただいているだけでなく、個人的な面倒まで見てもらってしまっています。」
そんな蓮司とは対照に、源さんはカラッとした声で笑った。
「なあに。私は今こんな足だ。私こそ、怜ちゃんが居なくなったら商売あがったりだ。それに、怜ちゃんは生まれる前から知っている子だ。血のつながりは全くないがね、孫のように可愛がっているのだよ。」
「………本当に、本当にありがとうございます」
四半刻ほど経ち、蓮司はもうそろそろ行きます、と立ち上がった。さすがに四半刻経てば、源さんの湯呑も空になっていた。
「もう行くのかい?どうせここ数日まともに休んでいないのだろう。今日ぐらいゆっくりしていったらどうだい?」
「お気遣いいただきありがとうございます。…しかし、今隣町で流行病が蔓延していると耳に入りまして、地元の医者では手が足りないようです。今日もそのための薬をいただきに来ただけなのですが茶までいただいてしまいました。」
「……そうか。」
源さんは蓮司のやつれた顔を見て心配になった。本人は疲れに気付いておらず気丈にしているが、目の下にはクマができているのを見逃さなかった。薬を渡さないといえば少しは休んでくれるのだろうか。いや、そんなことをしたって蓮司は止められない。そんなことは蓮司と長い付き合いである源さんには分かりきっていることである。
だがしかし、どうしても止められなかった。
「……なあ蓮司くん、年寄りの小言だと思って聞いてくれ。私は人のことを一心に思って尽くす君を本当に尊敬している。到底私にはできやしない。だけど、せめてそれに見合った報酬ぐらい受け取ったらどうだい?守るべき子どもたちだっているんだ。もうそろそろ自分を大事にしてもいいんじゃないか?」
源さんは言いながらも後悔した。ここで子どもの話を出すのはいくら何でも酷である。だが、源さんとて、孫のように可愛がっている怜が布切れをつなぎ合わせたような服で、手を土だらけにしながら働く姿を見たくはないのだ。今日のように、同世代の友人と若い時しか楽しめない今を生きてほしいのだ。
蓮司はしばらく黙ったまま下を向いていたが、すっと顔を上げ、源さんの目をまっすぐ見た。
「……私も阿呆ではありません。子どもたちに苦労をかけていることは重々承知しています。自分の信念よりも家族を守るべきだと何度も考えました。しかし、怜はそんな私を誇りに思っていると。自分もそうなりたいと言ってくれました。私を気遣った言葉だということは分かっていますが、私は、もう少しだけその言葉に甘えていたいのです。……もう少し、私を助けてくれた人々に報いたいのです。」
「………凛ちゃんは、どうしているのか。」
「………………凛は…、」
蓮司はそれ以上言葉が出なかった。
「珀ッ……どこまで行くのですか?!」
琥珀はまだ怜の手を握ったまま人通りの多い中心街を闊歩していた。
男二人が手を繋いで歩けば人々から怪しまれ、笑われそうだが、あいにく怜は言われなければ女子に見えるため、街ゆく人々は皆何も感じていなかった。
「ふふ~ん、これからどこに行くか知りたいか?ちょっとだけヒントをやろう。ずばり、怜が今まで行ったことがないであろう場所だ!」
「全然ヒントになっていません!この街で私が行ったことがある場所の方が少ないですッ!それより手、放してください!珀が汚れてしまいます!」
「俺だって怜と一緒に山にいたんだ。多少なりとも汚れてるから問題なし!!」
怜は何を言っても琥珀には勝てないと悟り、もうされるがままま従うことにした。
琥珀に手を引かれるまま歩いていた怜は大きく"酒"と書かれた簾が目に入りパッと手を引いた。それでも琥珀は手を離さないため、琥珀の手を引っ張る形になってしまった。急に後ろに手を引かれた琥珀はグェッとたいそう下品な声を上げた。
「なんだよ〜怜。急に引っ張るなよ」
「珀……、まさかここに行くつもりですか?」
"ここ"と言われて琥珀は前を見た。
「うん。見ての通り酒屋だけど。どうした?」
「どうした?じゃないです!まだ昼間ですよ!?何を考えてるんですか!」
「昼に酒を飲んでダメなんて決まってないだろ?昼に飲むからこそ優越感に浸れて美味しいんじゃないか。分かってないなぁ…ホラ行くぞ」
琥珀は怜を引っ張って店に入ろうとしたが、怜はまるでものをねだる子どものようにその場に留まって動こうとしなかった。
「無理ッ!無理ですッ!!酒を飲むと頭が赤子のようになると聞きました!私は学生の身なのでダメです!」
あまりの必死さに琥珀は思わずブッと吹き出してしまった。
「いや、ちょっ…怜さんよ、そんなこと誰に聞いたんだ?もしそれがホントなら俺はとっくに赤子だな。確かに酒を飲むと頭がふわふわして楽しい気持ちになるが、次の日になればすっかり元通りだ。だから怜も飲んで大丈夫だぞ」
「………本当です?」
怜はジトっとした目で琥珀を見た。
「本当だ。そもそも、酒がそんな麻薬みたいなモノなら、こんな大々的に簾を出すわけないだろ?」
「そう言われれば…そうですね。」
やっと納得してくれたようだ。
誰も信じないような大嘘を信じ込む怜はよほど純粋なようだ。
「よし、何事も挑戦だ。行くぞ」
まさか入り口でこんな苦戦するとは思わなかったが、琥珀は無事怜を連れ込むことができた。




