第十話
「珀、すみません…。せっかく来ていただいたのに、私は今から薬師にコレを届けに行かないといけません…。」
"コレ"とは他でもない先程から鼻が曲がるような渋い匂いを漂わせている薬草のことである。
怜はここで別れるつもりらしいが、昨日から怜と何をしようか考え、草木を掻き分けてここまできた琥珀はそんな簡単に別れたくなかった。
琥珀が何も言葉を返さず少々ふくれっ面になったため、鈍感な怜も流石に気付き、様子を窺いながらおそるおそる言葉を発した。
「………もし…、一緒に来ていただけるなら、その後は空いてます…」
だいぶ気を遣わせたが、怜から誘ってもらった琥珀はすっかり元気になり、薬屋までののどかな田舎道をルンルンで歩いていた。側から見ればおそらく頭から音符でも出ているだろう。
「届け先の薬屋はどこら辺なんだ?」
二人並んで歩いていたが、琥珀は大股で一歩前に出て、くるりと怜に向き直り頭の後ろで手を組んで聞いた。
怜は後ろ向きに歩いたら危ない、と言いかけてやめた。
「街の中心から歩いて10分ほどの少し離れたところにあります。薬師は父の知り合いで、よく父の医院に薬を持ってきてくれるんです。もう高齢で、薬草取りは私のような若輩者に任せていますが、その知識には本当に頭が上がりません。とても優しい方ですよ。」
「医院?怜の家、医院なのか!?それに…父親も医者ってことか?」
「ええ、私の父は医者で、家は医院なんです。とは言っても、父は自ら患者のもとに出向くことが多いので、ほとんど家にはいないのですが。」
そういえば琥珀が泥酔して初めて怜に会った時、琥珀を助けようとした怜は父親に診せようと言っていた事を今更ながら思い出した。
しかし、同時にある疑問も浮かんだ。
「…こんなこと聞くのもアレだけどさ、家が医院なら、なんで怜まで働かないといけないんだ?」
あまりにも失礼な質問だが、怜は意外にも嬉しそうだった。
「父が診ているのは郊外の日々暮らしていくのも精一杯の方達ばかりなので、報酬をほとんど受け取らないのです。父自身も裕福な家柄出身ではないので、そのような方達を助けたいと思って医者を志したそうです。」
そう話す怜はやはりどこか誇らしげだった。
「怜はさ、そんな父親のこと、大好きなんだな」
「はい。私は父を尊敬しています。だから私も医者になりたいのです。……父ほどにはなれなくても、せめて手助けをできるようになりたくて。」
琥珀は、怜の父親と会ってみたくなった。努力し地位を築けば、本来ならより富を得たいと思うはずだが、それを顧みず苦しんでいる者のために尽くしたいと思うような人物に琥珀は今まで出会ったことがない。王家自らと民の世界を断絶し、尊卑を重視し自らの権威を維持することばかり考えて民に尽くそうとしないあの王宮の人間たちに反発する今のむしゃくしゃした気持ちを、怜の父親なら理解してくれるかもしれない。怜の父親のように、上に立っているのなら国を支えてくれる民のためになることを考えるべきではないか?自分たちだけじゃなくて、みんなが平等に豊かになれるように尽くすべきじゃないのか?
「珀は?そういえば私は珀のことを何も知りません。珀は普段何をされているのですか?」
「えっ!!俺?俺は商人なんだ!うまい酒を卸してる」
もう何回目かも分からないぐらい嘘をついているため、考え事をしている時に急に聞かれても悪びれる事なくすらすらと言葉が出てくる。
「ほら、怜と初めて会った時!あの時も実は新しい酒を試飲して酔ってただけなんだよ。いつもの俺はあんなもんじゃないんだけど、一発やられちゃってさー。……まあでも、それで怜と会えたんだから、酒に酔うのも悪い事じゃないな。」
一人で喋って自己完結する琥珀を見て怜はププッと笑った。
「えっ?俺変なこと言った?」
怜はまだニコニコ笑っている。
「いえ、珀って面白いね。一緒にいると自然と明るい気持ちになれます。」
怜は思ったことをそのまま伝える性分らしく、その真っ直ぐさに思わずこっちが照れてしまう。
顔が赤くなるのを感じ、琥珀は前を向いた。すると、少し先に”薬”と簾が垂れているこの辺りでは割と立派な屋敷が目に入った。
琥珀は再びくるっと怜の方を向いた。
「怜、もしかしてあそこ?」
「はい。目の前の屋敷が薬屋です」
目的の場所は近くで見ると、王宮内の殿に比べれば劣るが洗練されていた。敷地内は成人男性ほどの高さの塀に囲まれており、建物は二階建て、屋根瓦や障子も廃ることなく日頃からよく手入れされていることが誰の目から見ても明らかだった。
琥珀は建物全体を見上げ、薬屋って儲かるんだな、と思った。
怜の家がどんなものか見たことがないため何とも言えないが、もし怜の父親が治療に見合った報酬を得ていれば、怜もこのような立派な屋敷に住んで、李久ら他の医学生のように勉学に集中できたのかもしれないと思った。まあ、そんな普通の医者ならば怜はそもそも父親に憧れて医者を目指すこともなかっただろうけど。
戸をガラガラと開け、怜は中へ入っていった。琥珀は患者でもなければ薬草採取を手伝ったわけでもない部外者だったが、屋敷の中がどうなっているか興味が湧いて一緒に入ってみた。
中は奥まで広かった。履物を脱いで屋敷に上がると手前には患者を待たせておくためのスペースがあり、座椅子等がいくつも置いてある。更に奥に進むと三方に人の背をはるかに超えるほどの高さがある薬箪笥がいくつもそびえたっている。王宮の医官の薬箪笥を見たことはないが、これほど多くの種類を網羅しているなら王宮とそう大差ないだろう。しかし、当然のことながらそこは怜が背負っていたあの薬草たちが放つ何倍もの渋く苦い匂いが充満していた。体を良くするもので有害ではないのだから、人によっては良い匂いに感じることもあるのかもしれないが、産まれてすぐの赤子の時から薬を吐き出していたという琥珀にとってはいくら何でも耐え難い空間だった。
「源さん、頼まれていた薬草無事取ってきましたよ」
怜は奥にいるであろう薬師に声をかけた。するとだいぶ奥から「はーい」とかすれた声が聞こえてきた。一体この屋敷はどこまで続いているのだろうか。
その声が聞こえてきてから更に待ったあと、白髪の人物がよいしょ、と言いながら杖をついて歩いてきた。この人がさっき怜が言っていた薬師だろう。背中も少々曲がっていて、確かに齢はかなりいっているように見えるが、その佇まいは無駄がなく品があり、着ている衣も落ち着いた色で綺麗に整えられている。
「ああ、怜ちゃん。今日もありがとうね。今日はちょっと珍しい薬草を頼んじゃったから、無事に帰ってくるか心配していたんだけど、よかったよかった。可愛い顔も……うん。傷ついていないね。安心安心。」
源さんは怜のことを孫とでも思っているのか、猫可愛がりしている様子だ。源さんの声はかすれているが、とても柔らかく穏やかで、琥珀はまるで春の陽だまりのような人だと感じた。
「やめてくださいよ源さん、今日は友人がいるんですっ……」
そういうと怜は後ろにいる琥珀をちらりと見た。その目からは子ども扱いされて恥ずかしいとう感情が良く見て取れた。
怜の目線につられて源さんも後ろにいる琥珀を見て、「おおっ!」と言った。
「おやおや、すまねいね。全然気が付かなかったよ、歳だから視界が狭くなっているんだ。……それにしても怜ちゃんにお友達だなんて嬉しい限りだなぁ。怜ちゃんは良い子なのに生真面目すぎるし、それでいてちょっと抜けているところがあるからね。心配していたんだよ。いやーよかったよかった。」
「だから源さんっ……」
怜の顔はもう限界まで赤くなっていて、見ているこっちが面白くなってきた。
「はい!ホント最近友人になったばかりなんですけど、確かに怜はちょっと生真面目すぎますよね。俺は怜とは真逆の人間なので、ちょっとは怜に遊びを教えようと思っています!」
「ええっ…珀まで………」
「おおっ!それはありがたい!!ぜひよろしく頼むよっ!」
あ、じゃあ、と言って茹でタコ状態になった怜から薬草の籠を受け取った源さんはまた奥へと入っていった。
ゴソゴソと音がした後、またよいしょよいしょと出てきて、怜の手にぽすんと包みを置いた。
「これ、今日の報酬ね!これから二人で遊びに行くのだろう?無理させた分今日はちょっと割り増ししてあるから、その分で初めての遊びをしてきなさい」
「え、そんな受け取れません!無理だなんで、そんなこと思っていません!!」
怜はすぐ包みを返そうとしたが、源さんは手を後ろにして受け取れないようにした。
「私はね、君の父親の蓮司くんも、怜ちゃんのことも本当に誇らしく思っているよ。だけどね、二人とも、もう少し自分のことを大事にしたらどうだい?人に尽くすことが出来るのもね、自分があってこそだと私は思うぞ」
そう言われ、俯いた怜は静かにありがとうございます、と言って申し訳なさそうに受け取った。




