【短編】妹とどうかお幸せに。私は身投げいたします。
生きていて、ごめんなさい。
海に身を投げた瞬間、カトレアに残っていた感情はそれだけだった。スカートが波間に消え、銀色の髪が波にさらわれる。アメジストと謳われた紫の瞳には、もはや光は無い。
小国とはいえ、公爵令嬢であった少女の最期の思いにしては、切実すぎるものだ。祈りの言葉が海面に散る。彼女は海面に落ちるその瞬間まで、婚約者と自分の妹の幸せを願っていた。
彼女が身を投げる、ひと月前
「カトレア、君、僕から捨てられたら、生きてけないよ。愚図なんだからさ」
婚約者である王子は、15歳のカトレアによくそう言った。
吐き捨てるようなその言葉に、彼の周りの女性たちが「ひどーい」とクスクス笑う。豪奢なソファーに侍る女性たちは、みな美しい。見た目だけならカトレアも負けてはいなかったが、彼女は粗末な服を着せられていた。どう見ても婚約者には見えない。
「……申し訳ありません」
カトレアが謝ると、婚約者は舌打ちをした。
ビクリと震えそうになる肩を彼女は搔き抱く。
(大丈夫……今日はまだここにいられる……)
婚約者は、本当に機嫌が悪いときは無言になる。無言で彼女をぶつのだ。今日は周りの女性のおかげで、大層機嫌が良いようだった。
「こーんな陰気な女、どうして、捨てないのです?」
女性の一人がそう尋ねると、婚約者は忌々しそうにカトレアを睨む。
「公爵家の血が手に入ればこんな女、捨ててやるんだけどね。何しろ魔法には血脈が大事だからさ」
「《金》の異名を持ってらっしゃるのに、まだ欲しいんですか~?」
「子供には良い血を残したいからね。
でもコイツ異名も無いしさぁ。
どうせなら、もっと可愛い女がよかったよ。そう、君達みたいにね」
《金》の魔法を使い、婚約者はワインを金に替えた。女性たちが黄色い声を上げる。
貴族や王族の血が濃いほど、強い魔法使いが生まれる。魔法使いは異名をもらい、それにまつわる魔法が使える。それがこの世界の常識。
そのはずなのに。
カトレアには異名が無かった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
役立たずで……ごめんなさい。
カトレアは明るい部屋から逃げるように厨房に向かった。まだ給仕は終わっていない。
それでも、こみ上げてくる絶望にうずくまる。
「魔法なんて使えなくとも、カトレアは私の宝よ」
そう言ってくれたカトレアの母は、夫と共に事故で死んでしまった。
「お母様……」
嗚咽を漏らしてはいけない。婚約者に殴られる。それに、他の給仕に心配をかかけてしまう。
婚約者のもとに来てから、使用人の仕事をするようになり、だんだん料理や家事も上達してきた。
他の使用人と話す時間だけは、心が少し和らぐ思いがする。
「私は恵まれているんだ」
彼女は自分に言い聞かせた。彼女はまだ捨てられていなかったから。
その一か月後。
「ああ、君はもういらないから」
カトレアは婚約者にそう告げられた。
「も、申し訳ありません。それはどういう」
動揺で、声が上ずる。ささやかな希望が壊れる音がした。
婚約者はうざったそうに、カトレアを手で追い払う。
「君の妹が見つかったんだ」
そういえば、婚約者はいつもと違い、一人の少女だけを侍らせている。
豊かな金髪の少女はこちらを見て、にこりと笑った。
「ごめんあそばせ。お姉さま」
「彼女は、君の父上の隠し子っていうのかな。君と違い異名も持っていて、しかも可愛い」
婚約者と妹は目を合わせ、にこりと笑った。
「僕は君の妹と結婚することにするよ」
頭がおいつかない。ただ、心のどこかで、声が聞こえた気がした。これは罰だ。分不相応に生きながらえようとしたから、いつもこんなに苦しむんだ。
「お……おめでとうございます」
やっとの思いで言葉をひねり出す。私はこれからどうすれば良いんだろう。
婚約者の言葉が脳に響く。
「ここでそんな言葉言うなんて、ホント愚図だね。もう死んじゃえば?」
「お姉さまかわいそう……私達幸せになるね」
「せいせいするよ」
そう笑って婚約者は戯れにカトレアを殴った。
ガツンと大きく視界が揺れる。
痛みはもう感じない。
心の糸がプツンと切れる音がした。
そうして、彼女は思ったのだ。
生きていて、ごめんなさい。
~~~~~~~~~
話は変わるが、カトレアがいた小国の近くには大きな王国がある。
名をエステラ王国と言った。
その海沿いの屋敷で青年は暮らしていた。
彼の名前はアル。亜麻色の髪を乱雑に結んだ姿ではあるが、それでもなお整った顔は隠しきれない。
ので、手製の瓶底眼鏡をして隠した。
「ふふふ~ん」
彼は鼻歌を歌いながら、海辺を歩く。王都では変わり者といわれるだろう。しかしこんな辺境では、誰も咎めない。
「……えっ!?」
波間がキラリと銀色に光ったのだ。ただの反射かもしれない。しかし彼は気になることは調べずにはいられないたちだった。
波をかき分け、服が濡れるのもいとわない。
光った場所につくと、そこには、
――豊かな銀髪の少女が浮かんでいた。
「え!え!え!え!」
混乱したような声を出しながらも、彼の脳は分析する。
体に損傷はない。だが、溺死という線もある。
それでも。
「≪水≫よ。通してください」
彼がそう唱えると、帰り道を示すかのように、海がそこだけ二つに割れた。彼の異名は≪水≫。
「二次被害はまずいですもんね」
少女を背負って浜辺に戻る。同じ魔法で、少女の肺に入った水を取り出した。
「けほっ」
――良かった。生きてました。
アルは少女が咳をしたのに少し安心する。
そうしてアルは彼女を背負って屋敷まで戻った。
「ここは……」
目覚めた少女――カトレアは、ゆるく辺りを見回した。
ベッドの思わぬ柔らかさに驚く。そういえば最近は、床で寝させられることも多かった。
部屋は小ぶりながらも、実用的だった。奥の方にはなにやら機械が散乱している。
生きながらえてしまった。その事実に絶望する。
私なんて、生きている価値はないのに……。
「あ!起きました?」
「も、申し訳ありませんっ」
扉を開ける音がして、カトレアは反射的に謝った。すると、声の主は微笑んだようだった。
「謝る必要はありませんよ~」
カトレアが顔をあげると、そこには春の陽だまりから抜け出してきたような少年が立っていた。
歳の頃は同じ位。
乱雑に結んだ亜麻色の髪が一束ぴょんとはねている。瓶底眼鏡で目元は見えないが、なぜか笑っているのだとわかる。
「体調はどうですか?えと」
「……カトレアと申します」
「ご丁寧にどうもです。僕はアルと申します」
少年少女がぎこちなく挨拶を交わす姿は、端から見ると少し可笑しな光景である。
少年はのほほんと続けた。
「この部屋は自由に使ってくださいね~。苦手な食べ物とか、あります?」
「あ、あの」
「どうしました?」
カトレアは、混乱しながら聞いた。
何故、彼は私にこんな厚意をくれるのか。
「私、ここに居てもいいんですか」
カトレアの居場所は、この前失くしてしまった。いや、当の昔に失くしていたのかもしれない。
そんな、切望していたものをアルはあっさりくれるという。
アルはニコニコと笑いながら答えた。
「もちろん無料ではないですよ~」
カトレアは青くなる。お金はおろか装飾品のひとつも、持ち合わせてはいない。
身投げをしようとしていたのだから、当たり前だ。
「も、申し訳ありません。私、お金は……」
「お金ではありません!」
アルは手を大きく広げて楽しそうに言い放った。
「カトレアさんには、僕の助手になってもらいたいのです!」
「助手……ですか?」
予想もしなかった答えにカトレアが面食らっていると、部屋の影から声がした。
「そいつに付き合うのは、やめたほうがいいぞ」
漆黒の髪をした青年が気配をさせずに立っていたのだ。
アルは驚いた様子もなく、青年に話しかける。
「リベル君が手伝ってくれてもいいんですよぉ」
「俺の任務はお前の護衛だ。あんな機械邪魔でしかない」
「そんなぁあの子たちは研究のために必要な~」
「とにかく!こんな女信用できない。即刻追い出せ」
「その人間不信やめたほうがいいですよー」
「は?」
言い合う二人の間で、おろおろしていたカトレアは、意を決して疑問を口にだす。
「あ、アル様は……なんの研究をされているんですか」
「「え」」
その言葉を聞いて、二人は急停止した。
リベルは「正気かこの女」という目をし、アルは目を輝かせた。
「興味あります!?!?」
「は、はい」
それから二時間あまり、アルは研究について喋り続けた。
リベルは途中でうんざりしたのか姿を消した。
カトレアはと言えば、楽しそうに語りかけてくれるアルの話にすっかり聞き入っていた。
今までカトレアに向けられてきた視線は憐れみと軽蔑だけだった。
アルの話に相槌を打つたび、忘れていた楽しいという感情が蘇ってくる気がするのだ。
(この人に恩返しをしたい……)
少女の中に、小さな望みが生まれた。
数日後の朝。
カトレアがキッチンに向かうと、そこにはアルがいた。
「カトレアさん、どうしてここに?」
「あの……体が動けるようになったので、お仕事を、と思いまして……」
「ありがとうございます。カトレアさんは働きものですね」
「い、いえそんな。も、申し訳ありません」
「謝らなくていいのに~。」
そう言ってアルは近くに干してあった燻製肉を削いで持っていこうとした。
それを見てカトレアは、慌てる。
「あ、あの。もし良かったら……お料理させてくれませんか」
「え?」
「あっ、す、すみません出過ぎた真似を」
アルが口をぽかんとあける。
「いいんですか!?」
しばらく後。
「おい、アル。朝から騒がしいぞ」
どこからか現れたリベルは絶句した。
「なんだこれ」
食卓には、大きなミートパイがおかれていた。
焼きたてのようで、バターの香りが立ち上っている。
「……アルが食って、毒だったらまずいしな」
切って口に含むとサクサクと良い音がする。
赤ワインの効いた芳醇な具がこれまた生地に合っている。
「うま」
「あ!リベル君が先にたべてますよぉ!」
スープを持ってきたカトレアの隣でアルがリベルを指さす。
「あー。これは毒見だ。毒見」
「ずるいです!僕も我慢してたのに」
わめくアルを押さえながら、リベルはカトレアのほうを見た。
「これは、アンタが?」
「は、はい」
「ふーん」
アルはコホンと咳払いをした。
「リベル君、どうせなら一緒に食べましょう。カトレアさんも」
「……一緒に」
カトレアはずっと台所の隅で残り物を食べていた。誰かと一緒にご飯を食べるなんて久しぶりだった。
「カトレアさん?」
「は、はい」
(こんなに幸せでいいのでしょうか。私は魔法も使えない、役立たずなのに)
そう思うカトレアに、アルは笑って話しかけた。
「美味しいです!ありがとうございます。カトレアさん」
カトレアは心がじんわり温かくなっていくのを感じた。
そんな自分を少女は強く律する。
(私は、ここに居ていい人間ではない)
幸せになってしまうと、また落ちたときに耐えられなくなるのだから。
そんな少女の思いと裏腹に、三人での幸せな日々は続いた。
「あの……これで大丈夫でしょうか?」
ある日、研究室に連れていかれ、カトレアは機械を装着した。
少女の体に厳つい機械はかなり似合わない。
「いい感じですよ!似合ってます」
「いや、似合ってはないだろ」
アルの嬉しそうな様子に、呆れたリベルが水を差す。
慣れてきたその光景にカトレアの心は幸せに満たされる。
「え、えと、アルさんは魔法の研究をしているんでしたよね」
「そうです~。あ」
アルは思い立ったように、カトレアに聞いた。
「カトレアさんは、魔法は使えますか」
「魔法……」
カトレアの頭が真っ白になった。
いつまでも隠し通せるわけはない。
とうとう言わなければならない時が来たのだ。
カトレアは、魔法を使えないと。
「わ、私は」
言ったらどうなるのだろう。この温かな場所にはもういられなくなる。
「本当に愚図だね。もう死んじゃえば」婚約者の言葉が頭の中でぐるぐるとめぐる。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「カトレアさん!?」
様子のおかしい少女の様子に気づいたアルは慌てだす。
「実験はいったん中止しましょう。リベルは、水を持ってきてください」
「承知した」
「申し訳ありません」
「謝らないで、ゆっくりで大丈夫ですよ」
水を飲んで少し落ち着いた少女はポツポツと語りだした。
もうこの場所にはいられないと覚悟しながら。
「わた、しは、貴族でした」
「……そうだったんですか」
アルは優しく、カトレアの背中をさすった。
傷ついた少女の心が少しでも癒されることを願いながら。
「でも、ま、魔法が使えないんです。い、異名もなくて」
「異名がない……?」
「う、生まれた時に、聖女に無いと言われ、ました」
アルは考え込む。カトレアは震える手で、スカートをつまみ、上品にお辞儀をした。
「今までありがとうございました」
もう、ここにはいられない。
それを聞き、アルは顔をあげた。
「いや、逃がすわけないでしょう」
「え」
驚くカトレアにアルは詰め寄る。
その目は輝いていた。
「今の魔法は貴族の血を引く者しか使えません。
それを平民も使えるようにしたいんですよ、それが僕の目標です」
「は、はい」
「それにあたって、貴女の存在は貴重です」
「は、はい?」
「貴族なのに魔法が使えない要因、それがわかれば研究の幅がさらに広がり、ひいては僕の目標に近づきます。
……僕が今立てている仮説はですね。精霊との会話が魔法という形をとっているとすれば、その言語が血脈というものに起因して」
「え、え」
「ストップ。怖がってるだろ」
アルの頭にリベルにがチョップを落とした。
「痛いです」
アルは床を転げまわる。
カトレアは混乱した頭でリベルを見た。
魔法が使えなくてもいい?むしろ貴重?
そんなこと、彼女は考えたこともなかった。
リベルが呆れたように続ける。
「よーするに、アルはそんなこと気にするやつじゃねーよ」
「つか、俺も平民出で魔法使えないしな」そう付け足すリベルは、堂々としたものだった。
頭を押さえていたアルも復活したようだ。
アルはカトレアの手をとった。
「カトレアさん。僕には貴女が必要です。これからもずっとここに居てくれますか?」
その告白のような言葉を聞いて、カトレアの頬に涙が伝った。
幸せになってはいけないと、そう思っていた。
でもそれは
「間違っていたのかもしれません」
泣かないと決めていた彼女は、初めて大きな声をあげて泣いたのだ。
その日以来、カトレアは少しずつ笑うようになっていった。
実験にも参加しながら、アルやリベルのために食事をつくる、当たり前になった幸せが少女にとって嬉しかった。
ある日の夕食後、カトレアは二人に呼び出された。
「アル様、リベル様、どうしたんです」
そわそわとしている二人に面食らいながら、カトレアは尋ねた。
アルは気まずそうに頬をかいて言った。
「カトレアさん。王都に一緒に来てくれませんか?」
「王都、ですか?」
「あのー、父上に再三呼び出されてしまいまして、その、見合いのことで」
その言葉の後をリベルが引き継ぐ。
「で、こいつ馬鹿だから『別に好きな人がいる』って正直に言ったんだよ」
「リベル君!?」
「あ、すまん」
困惑していたカトレアは話を整理する。
「要するに……私はアル様の想い人の振りをすればよいんでしょうか?」
「……いや、違」
「そ、そうですよ!すみません巻き込んでしまって」
アルは焦ってリベルの口を手で防いだ。
「そういうわけで、一緒に王都に来てくれませんか」
エステラ王国の王都は大陸一栄えていると言っても過言ではない。
カトレアは初めて見る人、家、食べ物に、いちいち目を輝かせた。
「本当は、部屋に呼んでもいいですけど。せっかくですから」
アルはその中の店のひとつにカトレアをエスコートする。
「ここって……」
そこには色とりどりのドレス、宝石が所せましと並んでいた。
全てが眩く、一級品であるとわかる。
その中の店員が目ざとくこちらを見つけると小走りで走ってきた。
美しいマダムだ。
「すみません。彼女に似合う服を用意してくれませんか?」
上品な様子でアルは言う。リベルは借りてきた猫状態である。
マダムはカトレアを見ると目を輝かせた。
「まあ!なんて素敵なお嬢さんなのかしら」
「よ、よろしくお願いいたします」
照れるカトレアは小国にいた時代より遙かに美しくなっていた。
こけていた頬はバラ色の柔らかい曲線を描くようになり、はにかむ微笑みは傾国の美少女と言ってもさしつかえない。
そんな彼女が着飾れば、どうなるか。
「美しい……」
「どこのご令嬢かしら」
その店の視線を独り占めするような完璧な令嬢が出来上がった。
「どう……でしょうか?」
銀の髪は繊細な銀細工で結われ、とどめとばかりに大きなアクアマリンがついている。
白いデコルテを見せるようなドレスは、彼女を少し大人に見せた。
「……」
「似合っていますよ。カトレア」
絶句するリベルとは対照的に、アルはすぐに褒める。
「ただし、なんだかモヤモヤします。他の人にその姿はなぜか見せたくありませんね」
褒めたものの、何やら複雑な感情を持っているようだった。
「要研究です」
と呟く。
マダムはニヤニヤと笑って、アルを小突いた。
「全くもう、アルタイル殿下も隅におけませんわね」
「あはは」
その言葉にカトレアは驚く。
「で、殿下?」
「あれ、言ってませんでした?」アルは何のことは無いように言った。
「僕はエステラ王国の第三王子、アルタイル・エステラですよ」
「カトレア、大丈夫か?」
「固まってしまいましたね」
「アルが大事なとこ隠すからだろ」
「忘れてただけですって」
「はっ。申し訳ありません」
「大丈夫ですよ~。カトレアさん。これが僕の実家です」
カトレアが正気に戻た時、馬車はアルの実家、王城に入っていった。
少女が元居た国では考えられない規模の城である。
馬車から降り、豪奢という言葉では言い尽くせない廊下を渡り、謁見の間でアルのお父様(国王)に挨拶をすませた。
カトレアの完璧な所作と美しさを見て、国王をはじめとした要人たちは息を飲んだ。
リベルは冷たい目でアルを見る。
その瞳は言外に「外堀埋めまくってるじゃねえか」と言っていた。
一方カトレアはと言えば、公爵令嬢時代の所作やマナーを思い出すのに必死であった。アルに恥はかかせられない、少女は謎の使命感に燃えていた。
舞踏会の時も、彼女はその覚悟で来ていた。
――「婚約者」を見るまでは。
~~~~~~~~~~
カトレアの婚約者(正確に言えば「元」だが)がこの舞踏会に来たのには、大きな理由があった。
カトレアの妹を娶ったはいいものの、彼女には酷い浪費癖があったのだ。
元々婚約者自身も派手な暮らしをしていたため、気づいた頃には国庫は空になっていた。
急いで離縁したが、今度は悪評が立ち、国内で血統の良い家は全て縁談を断ってきた。
彼は、癇癪で爪を噛む癖があるのだが、すでに爪はボロボロだった。
「金なら、俺の魔法でいくらでも出せる。問題は嫁だ」
彼は手袋をした手を握りしめた。
カトレアに当たっていた癇癪が部下に向き、反乱の機運さえ、国内には漂っている。
(わざわざこんなところに俺が来ているのも、全てカトレアのせいだ。
勝手に死にやがって)
急いで海を探させたが、遅すぎた。もちろん姿はなく、見つかったのはドレスの切れ端といった具合だった。
婚約者はそうして困窮し、隣のエステラ王国に嫁探しに来た、というわけである。
その成果は芳しくなく、小国の我儘王子と馬鹿にされていた。
そこで、婚約者はカトレアを見ることになる。以前国にいた時とは全く違う、幸せそうな彼女を。
「やあやあカトレアじゃないか」
婚約者を見て固まったカトレアに、彼はずんずんと近づいた。
「あ、あの私は」
「は?何言ってんだ。まずは謝りなよ。申し訳ございません、ってな」
低い声で彼女を脅す。
「あ、も、申し訳」
「声ちっさ。相変わらずだね」
もうこいつでもいいや。そう思い婚約者は、笑みを浮かべた。
カトレアならば、自分の言うことを聞く。まあ見た目も今は悪くない。
「なあ、カトレア……」
とその時、
「すみません。彼女に何か御用ですか?」
澄んだ声が響いた。
婚約者がそちらの方を見ると、一人の優男が立っていた。
アクアマリン色の目に亜麻色の柔らかな髪、服の仕立てのセンスも良く、男でも見惚れるような美形である。
「は?あんた誰だよ」
そう婚約者が言うと、少年はニコリと笑った。
「第三王子のアルタイル・エステラと申します。
彼女は私の連れですので、何かお話がありましたら、私にどうぞ」
は?王子?大国エステラの!?
驚いてカトレアのほうを見ると、黒髪の青年が間に割って入っていた。
「すまんね。カトレアは渡せない」
婚約者は舌打ちをする。
ふざけるな。俺に捨てられたくせに、大国の王子のお気に入りになっているだと。
これじゃあ、俺の面子が丸つぶれだ。
黒髪の青年の向こうにいるだろうカトレアに叫ぶ。
「おい!カトレア、帰って来いよ!!生きてても死んでても迷惑かけて、おまけに自分ひとり幸せになろうとしてるわけ?ふざけんなよ」
こう言えば、カトレアは言うことを聞く。
怯えた、従順な俺の知っているカトレアならば!
カトレアが黒髪の青年を制して、前に出る。
「ほら、カトレア。今なら許してやる。俺の婚約者に……」
「わた、しは」
カトレアは震えながらそれに答えた。
「私は、アルとリベルと一緒にいたい。この国で、幸せになります」
どもらない彼女を見たのは久しぶりかもしれないと、婚約者はふとそう思った。
彼は膝から崩れ落ちる。
「彼女もそう言っています。お引き取り下さいね」
アルがそう言うと、婚約者は捨て台詞を吐き捨てた。
「お前ら、いつか目に物見せてやる」
アルはにこやかに笑った。
「そうは言っても自分の心配をしたほうがいいですよ。貴方の魔法、暴走しはじめています」
婚約者は真っ赤になった。彼は《金》の魔法を使いすぎて、指先が金に変化しつつあった。
手袋をしていたが、バレていたのだ。
何者だコイツとアルを睨む。
「もう魔法は使わないほうが」
「うるさい!!!!」
舌打ちをして逃げ帰るように婚約者は舞踏会から帰った。彼の人生において最も屈辱的な夜だった。
殺す。
殺す。
カトレアにあの男ども絶対殺す。
その後一月もたたないうちに彼は魔法を暴走させ、自分ごと城を金にかえてしまうのだが……
そのことはまだ知らなかったのである。
~~~~~~
舞踏会が終わっても、数日の間カトレアたちは王都に滞在した。
小動物のようなカトレアがアルの兄嫁達に可愛がられたのは自然の摂理だと言えよう。
帰りの馬車で、アルは労った。
「カトレアさん。すみません家の義姉さんたちが……」
「お姉さま方は、可愛いものに目がないからな」
リベルも呆れた調子で、同調する。
「いえ、私も……楽しかったです」
「そうですか。それなら、良かったです」
カトレアとアルが顔をほころばせると春の陽気が一段増した。
「お姉さま方と家族になる、簡単な方法があるぞ」
「リベル!!」
二人がじゃれ合う姿に、カトレアはくすくすと笑い声をあげる。
そんなカトレアを見て、二人も顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、帰りましょうか。我らが家に」
アルの言葉が春空に解けた。
少女は生きる理由を見つけたのだ。
読んでくださり、ありがとうございます。評価やコメントなど頂けると、励みになります。
同じ世界観で、コメディも描いています。良ければそちらもどうぞ!!
↓
【えーと、宰相様「君を愛することはない」って言ってませんでした?】