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創造

 常連客による閉店間際のミッションは、最近空回りに終わっている。マスターはピアノの前に座るものの、いつもの様に曲を弾かないのだ。何やらポロンポロンと弾いては、鉛筆を舐め、またポロンポロンと弾いては、鉛筆を舐めている。時折、顔に似合わない浮ついた歌を、まるで念仏の様に吐き出す。とても聞けたものではない。常連客は設定上、五分程付き合って、マスターに合図をすると席を立つ。

 常連客は、自分の飲んだコーヒーカップをカウンターに置き、レジの横に紙幣を置くと、積んである小銭からおつりをひょいひょいと取ると、夜の闇に消えて行く。外はよろい戸から光が漏れているだけで、音は漏れていない。だから、今から入店しようとする人は、要注意だ。

 マスターが演奏をしなくなったのには理由がある。それはちょっと前のある日、赤いMiniに乗った「おぉロミオ」の人が、今度は困った様子で入って来た所から説明しなければなるまい。


 一人でカウンターの席を占拠して、何冊ものノートをパラパラとしながら、マスターと話をしていた。テーマ曲がどうの、詩がどうの、という会話が漏れ聞こえて来る。こちらは窓際の席で、ミートスパを食べることに、全神経を集中させているのに。

 どれどれといった感じで、マスターは適当にノートを取り上げると、最初はゆっくり、のちにスピードを上げ、そして最後の方は、パラパラ漫画を見るかの如き速さでノートを捲る。裏表紙がパツンと音と立てると、カウンターに置く。ロミオの人はそのノートを手持ちのノートの間に挟み込む。構わずに、マスターが適当なノートを引っこ抜こうとする。

「それは見た」

 ロミオの人が機械的に言う。すると、黙ってマスターは、一番端のノートを取り出し、また捲り始める。一番端のノートを不意に取り上げたからか、引き摺られて何冊かのノートがカウンターから落下。バサバサと音をたてた。

 ロミオの人は「あぁ」と言いながらノートを集め、カウンターにトントンと叩いて揃える。大事そうにそっと置いて、頬杖を突き、ため息。これで何度目だろうか。

 マスターは手元のノートを閉じると、カウンターに重ねて置いていた一番上のノートと交換した。すると、今度は意外にも一番最初のページで手を止める。

「これでいいんじゃない?」

 その声に、ロミオの人が反応する。目を開けて、頬杖を突いたままノートの表紙を上目遣いで覗く。

「それは、一番最初に書いたやつ」

 割と大きな声で反応すると、体を起こし、恥かしそうにそのページを手で押さえようとした。それをマスターは、一歩下がって防御。ロミオの人は、簡単に諦めたのか、それ以上追いかけなかった。

 マスターはノートを見ながら、ここが良いとか、ここは直した方が良いとか、ここを大事にしたいとか評価し始める。ロミオの人は「うんうん」と聞き流しながらコーヒーに口を付ける。その時だ。

「これ、曲つけてあげようか?」

 マスターの提案にロミオの人は「あちち」という意味不明な言葉で返した。そして、びっくりした様子でマスターを見る。マスターは、まだノートを見ていた。最後まで読んだ後、ゆっくりと視線を上げた二人の視線が、一直線になったのが判った。

 二人は、しばし見つめ合ったまま、遠い思い出の世界に行ったようだ。次に言葉が発せられるまで、恋する二人のように、しばらくの間があった。そしてロミオの人は、深刻な様子から一転、笑いながらお願いする。

「よろしくお願いします」

「期待しないで待っていてね」

 マスターも、笑いながらそれに答えていた。

「じゃぁ、ノート置いていきますね」

「こんな汚いノート要らない。コピー取るから、ちょっと待って」

 即答されて、恋のロマンスは終わった。実に短い。「失礼な」という言葉は明後日の方向に飛んだのか、マスターはノートを持って奥へ行ってしまった。そして、一枚だけコピーしてくると、ノートを返す。

「じゃぁ、よろしくお願いします!」

 こんどは、出来るものならやってみろ、と言わんばかりに、悪戯っぽく笑いながら帰って行った。マスターは肘を腰に着け、手首だけを細かく、そして素早く左右に振って答える。

 カランカランという音が鳴り止むと、コピーをCDの間に挟み、飲みかけのコーヒーを片付けながら、何やら楽しそうにもぞもぞ口を動かしている。一方の、元気良く店を出たロミオの人であるが、ノートをMiniの助手席にばら撒くと、疲れた顔で溜息。運転席に座る時「どっこらしょ」と、代わりに言ってあげた。


 そんなことより、今重要なのは『ミートスパを跳ねさせずに食べる方法』の研究である。これは永遠の課題と言えた。蕎麦のように、勢い良くすすろうものなら、夜空に輝くアンタレスの如く、赤い星がしみのように並ぶ。

 油断すると腕にまで飛ぶ。前掛けを最終防御手段とはし難い。もし、ソースが服に付いてしまったら、水で塗らしたナプキンを、擦らないようにそっと上から押し付ける。焦って擦ると彗星の様な尾を引いしまい、すれ違う人に『血が出ていますよ』と、言われることは必至だ。

 そこで一計を案じる。まず、ミートスパ全体を皿の向こう側に押し込む。そして、絡み合ったスパをよく観察し、手前から上方を通過していて、なるべく重なり合っていないスパを探す。最適なスパを見つけたら、フォークの端に絡めてゆっくり引き寄せる。その際、大きな塊が来るようであるならば、そのスパは放棄し、別のを探す。三本以下ならばそのまま引き寄せを続行。フォークに巻きつける作業に移るのだ。

 ここで注意しなければならないのは、ご存じの方も多いだろうが、Slowtimeのスパは『極太』であるということだ。こんなスパは、他の店では見たことがない。メニューに書かれたお奨めポイントは『時間潰しに最適な極太スパ』なのである。味については、当然のように一切語られていない。

 故に巻きつけ回数を、通常の店で出てくる細いスパと同じにしていては、巨大なエスカルゴの様な形状になってしまう。

 三本のスパをフォークに巻きつけるのに、最適な回転数は四回である。これを縁起が悪いと言って三回にすると、スパが長く垂れ下がり、吸い込み距離が長くなる。逆に五回にすると、今にも角が生えてきそうな、巨大なエスカルゴの完成だ。

 極太のスパに慣れていない人は、意外な所で失敗する。フォークで回転中であれば、ソースが飛んでこないと鷹をくくっているのだ。話をしながら何度もフォークを回転させ、もう巻き取れないのに、話に夢中になって何度も回転させている人を見たことがある。

 するとどうだろう。極太のスパの端が、ソースを鞭の様に勢い良く打ち付ける。気が付かない間に洋服は、赤いプラネタリウムの様になってしまうのだ。

 細心の巻取り操作が完了したら、最後の吸い込み動作。垂れ下がった部分は蕎麦の様にすすらず、唇と前歯を上手く連動させて中まで引き込むのだ。

 日本初の画期的な食事法の確立は、目の前だと思われた。


 ナプキンで、洋服の赤い点を叩きながら定点撮影ポイントに行くと、向こう岸に遠くの山が見える。澄んだ空気だ。しかし、デジカメを持ってきていなかった。

 そこで、両手で四角を作ると、いつも撮影する方向に向けた。少し上に向けると、山で見たのと変らない、青い空と白い雲がある。暫し思い出に浸った。

 そこへ、飛行機雲が一直線に走る。何だか、落書きされた気分になった。空も段々狭くなるのだろうか。四角を少し下に戻す。そこには、雲まで届きそうなビルがある。人は、何でも創れるのだなと思った。


 四角をふと下へやると、見たことのないちびっ子が、こちらの真似をしている。びっくりして「おっと」と声を発した直後、ちびっ子は母親に呼ばれ、パタパタとかけって行ってしまった。

 一体、どんな景色が見えたのか、聞いてみたかった。

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