表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/27

疲労

 Slowtimeの窓際は、居心地が良い。

 ぼんやりと、外を眺めるのも良し。下手なピアノを、聴くも良し。壁の写真を、観るも良し。

 一番端の席は、壁によりかかってブラブラするのに丁度良い。何故かここの席は、壊れた三本足の椅子なので、座ったことがなかった。座ってみると、当たり前だが、不安定であること、この上ない。しかしそれが、逆に良かった。


 テーブルには、色々と見たくないことが書いてある『ノート』があった。ここ何日か、ずっとイライラしている。店に来た時、ふと、一番奥の、この席に座った。

 すると、呼んでもいないのにマスターが来ると、頼んでもいないコーヒーを置いて、カウンターに戻った。それからマスターは、声も掛けて来ない。『時間潰しに最適なミートスパ』でもオーダーすれば、良かったのかもしれないが、それすら、する気がなかった。


 時々赤ペンを親指の上で回しては、何か書こうとして、テーブルの上に置く。いつもの通り、ポケットにはデジカメが入っている。しかし、それを出すことすら忘れていた。考えなければいけない様な、でも、考えるのが嫌な様な、考えても無駄なのでは、でも、考えなければいけない様な。

 一杯目のコーヒーが、冷たくなったまま残っている。

 いまさら砂糖を入れても溶けないだろうな。そんなことを考える方が『建設的』とさえ、思えて来る。コーヒーと窓の外を、かわるがわる見ていた。


 頭の中は、ずっと裁判のことで、一杯だった。ノートは、各裁判官の論点、意見が、びっしりと書いてある。もちろん、自分のも書いてあった。思いつきで発言したことが、前回の発言と食い違いっていないか、確認する為だ。何となく裁判管同士のささいな言い争いや、言葉尻を指摘することが、多くなっていた。

 どの裁判官も、決して言わない一言。それは「早く終わらせたい」なのかもしれない。


 夕日が目に入る様になって、だいぶ、時間が経過していることに気が付く。色々思いを巡らせてはいたが、解決策はない。

 夕日の眩しさを堪え、眺め続けると、だいぶ慣れて、そのまま見続けることが出来る様になった。しかし、向こうの土手まで、だいぶ下がって来た夕日は、最初はトラックの屋根に、やがて、乗用車の陰になると、高速シャッターの様に点滅する。その度に、折角慣れた目に、眩しく夕日が映った。


 扉のカウベルが鳴ったか、記憶にはないが、いきなり元気な歌謡曲が鳴り出した。びっくりしてスピーカーを見る。そして、マスターと目が合う。マスターはにっこり笑って、カウンターを出て奥へ消える。もう店には、誰もいなくなっていた。暫く一人の時間を楽しむ。


 やがてマスターが、奥からマイクスタンドを二本持って来る。そんな物があるとは、知らなかった。マイクから伸びたコードは、奥へ伸びている。きっとその先に、何か秘密の『機械』があるのだろう。マスターは、ピアノの蓋をちょっと開け、そこにマイクの一本を突っ込む。それを見て、横にある、窓のよろい戸を閉めた。気が付くと、それが最後のよろい戸だった。

 そうこうする内に、元気な歌謡曲はフィナーレを迎え、店内は静かになった。マスターの、セッティングをする足音だけが残る店内。もう一本のマイクを、椅子の近所に置き、何やら歌い出す。そして、五秒程歌うと席を立ち、奥へ消えた。それを、二回繰り返すとコホンと咳払い。


 常連客として『知らん振り』をするため、ノートを手に取って、パラパラと捲る。


 マスターは楽譜をセットすると、前奏の、最初の和音を出す。それを「あーあー」と言いながら半音づつ下げていき、五回目で止めた。

 ゆっくりと前奏が流れ、マスターの弾き語りが始まった。今までに聞いたことがない声に『本気モード』だと悟った。いや、マイクを置いている時点で、本気だろう。


 そんな泣き顔しないで

 またすぐあえるから

 君がそんな顔してると

 僕まで泣けてくる

 ほら笑って涙を拭いて

 いつか見せた笑顔の

 とっておきのアンコール


 出会いと別れは二つで一組

 君と出会ったあの日から

 既に判っていたこと


 そんなわがまま言わないで

 またすぐあえるから

 君がどんなことを言っても

 僕は振り向けないよ

 ほら笑って顔上げて

 いつか言ったジョークの

 とっておきのアンコール


 出会いと別れは二つで一組

 君と出会ったあの日から

 既に判っていたこと


 出会いと別れは二つで一組

 君と出会ったあの時から

 既に判っていたこと


 マスターはゆっくりとフィニッシュすると、そっと立ち上がって奥に消えた。そして、すぐに戻って来て、マイクを片付ける。そんな様子を見ながら、冷え切ったコーヒーを一気に飲みして、席を立つ。


 カップをカウンターに持って行って、レジの所に立っていると、マスターがカウンターに入って来る。

「どうもありがとうございました」

 そう言って、お金を払う。

「お疲れ様でしたぁ」

 マスターは、いつもより口角を上げて、にこやかにそう言った。それは、メモに取る程の『間違い』ではない。

「曲、完成ですか?」

「はい。何とか形になりました。どうでした?」

 折角知らんぷりしていたのに、そう聞かれる。手元の楽譜を見ると、悪戦苦闘した様子が見て取れる。タイトルは『約束』だった。

「何となく恋愛の結末の様な、それでいて違うような、明るく歌うから、そんな感じですね」

 にっこり笑って、感想を答える。マスターも頷く。

「そうなんですよ。人は、色んな別れを経験するじゃないですか。でも、悲しい別れであったとしても、きちんとお別れをして、明るく別れたいですよね。そんな気持ちを込めました」

「人それぞれに思い出してもらう『別れのシーン』ということ、ですね」

「そうです」

 別れの瞬間には、思い当たるものがある。

 暫し思い出す。白、赤、青、黒。瞬間的に切り替わった、色だけを。

「でも、言葉を交わすことなく別れてしまった人には、当てはまりませんね」

 少し間を置いてそう言うと、マスターは、笑顔から一瞬真剣な顔になり、そして、ゆるやかにまた笑顔になって、言う。

「肉声で言葉を交わすことだけが、別れの挨拶では、ありませんよ」

 言葉を選んで、ゆっくりと言ってくれた。目を瞑って、頷く。

 別れの挨拶を、これから探そうと、思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ