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追憶(3)

 店を出ると、誰も着いて来なかった。

 みんな自分の車に乗り込み、手を振って帰って行く。店長は、大量の撮影済みフィルムを回収し、ホクホク顔だ。今夜は残業頑張れ。

「楽しかった?」

「うん。まるで『シンデレラ』の様だったよ」

 判りやすい観想を述べた。

「そう? それも綺麗だよ」

 そう言うと、嬉しそうにくるりと回った。帰りは『かぼちゃの馬車』いや、Miniで送ろう。駐車場で歩きながら、後ろに手を組み、上目遣いに聞いて来る。

「ねぇ、フィルム、何本撮ったの?」

 それを聞いて、指を折りながら数えた。それを見ながら、頭が上下に揺れている。数え終わった時は、Miniの向こうとこっちにいた。

「十五本かな」

「ええっ! 撮り過ぎ!」

 Miniの上から鼻より上が見えていたが、その瞬間だけ、顎まで見えた。

「そう? それぐらい撮るよ」

「デジカメにしなよ!」

 いきなり勧められたが、理由は判らない。それより、渡さなければいけない物があったのを思い出す。鞄から封筒を取り出すと、Miniの前を通るか、後ろを通るか迷った。どちらも十分に通るスペースがある。

「これ、渡しとかないとね」

「なに? なに?」

 Miniの後ろを周って封筒を渡すと、もう一度「なに?」と聞く。

「今日の謝礼。二十万円ね」

 そう答えると『カラーコーディネート』なのか、目まで白くなって、そのまま後ろに倒れた。


 白いワンピースが汚れる所だったので、急いで抱きかかえる。

「何で、そんな、大金が?」

「いや、会費で集めただけだから。美容院代は引いてあるよ」

「そうじゃなくて!」

「モデルの相場はそれくらいだから、もらっときな」

 今度は涙目だった。両手で封筒を持つと、しげしげと見ている。しかし、もう倒れそうになかったので、運転席側に戻り、先にMiniに乗り込む。

「これで、家賃払える……」

 エンジンキーに手をかけた所で、そんな声が聞こえた。しみじみとした呟き。何を言っているんだ、と思って助手席の方を向くと、封筒を持っていた右手が上の方へ行き、二回揺れる。そして今度は、右手の肘が顔と同じ高さに上がって水平に動く。Miniの屋根で、よく見えなかった。

「モデルって儲かるね!」

 笑いながら乗って来たので、安心した。シートベルトを付けさせると、腰の辺りに赤い染みがある。

「ミートスパなんか、食べるからだよ!」

 笑いながらそれをつんつんすると、驚いてそこを見る。

「あああっ!」

 喜びから一転。悲痛な叫び声を挙げた。

「クリーニングに出さないと」

 そう言うと封筒を握り締め頷いた。エンジンを掛けてギアを入る。

「それ、しまっておきなよ」

 車を後退させながら助手席を見ると、まだ封筒を持っている。頷いたものの、困った様子だった。

「この服、ポケットがないの」

「そうなんだ」

 納得して車を前進させる。夕日が正面から当たって眩しい。だから表情までは、よく見えなかった。


 家の近くまで行くと、お疲れの所申し訳ないが起こす。

「家、どの辺?」

「そこを右」

 夢から覚めきらない様子で、左右を指示する。道はどんどん細くなって行ったが、問題なかった。最後の角を曲がろうとした時、「あっ」と叫んだのでブレーキを踏む。今までにない急制動をしてしまったので、大事に持っていた封筒が足元に落ちた。

「ごめんね」

 そう言って拾おうとすると、「大丈夫」と言って自分で拾った。足元はいつかファミレスで見た、スニーカーだった。見られて恥ずかしかったのか、足をスカートの下に隠す。

「ここでいい」

 そう言って降りようとしたが、外は雨が降り出していた。確かにこの先は、車では入れない路地。そこを曲がれと言ってしまったのを、気にしているのだろうか。

「傘あるよ?」

 結構激しい雷雨。今日は天気予報で『雨』と言っていたのを知らなかった様だ。傘を差して助手席側にまわると、ドアを開けてあげる。今度は、降りたくなさそうだった。

「雷が怖いの?」

 笑顔で聞く。初めて出会った日のことを思い出す。封筒を両手で胸に当て、足を曲げて小さくなっていたが、首を横に振った。

「お姫様、どうぞこちらへ」

 左手で傘を持ちながらドアを押さえて、右手を差し出した。意を決した様に両手を胸に当てたまま上を見た。何故か泣きそうだった。そして右手の手のひらを下にしてを差し出したので、手のひらを合わせるようにそっと掴んだ。柔らかい手だった。優しく引く。


 シートベルトに引っ掛かって降りられなかった。


「私、貧乏なんだー」

 笑いながら言っている。隠していたことを話してスッキリしたのか、それともやけになったのか、傘にも入らず、路地を回りながら歩いていた。白いワンピースが段々雨に濡れて行く。封筒は、シートベルトを外すときに、持ってあげたままだった。

「風邪ひくよ」

「だいじょーぶ。だいじょーぶ」

「ワンピース濡れるよ」

「どうせクリーニングさー」

 雨が降って涼しいくらいだったので、好きにさせよう。

 木造の古いアパート前まで来ると、立ち止まった。

「ここなんだー」

 手を大きく振って指差した扉には、数字が書いてあるだけだった。ポストの隙間から鍵を取り出すと、がちゃがちゃと鍵を開けようとしたが、建て付けが悪いのか、なかなか開かない。傘で雨を避けてあげると、小さく「ありがとう」と言って、カギ開けを続行する。

「ガチャン」という音がして、「開いた」と呟く。そして振り返ると言った。

「今日はありがとう。とても楽しかった」

 かみ締めるようなお礼の言葉だった。

「いえいえ。どういたしまして。モデルお疲れ様でした」

 しかし、普通に返すしかなかった。

「シンデレラの気分を味わえました」

「ははは。今だって可愛いよ」

 そう言うと、本当に泣いてしまうのではないか、と思うぐらいに目が潤む。何を言っても泣いてしまいそう。この扉を、開けたくなさそうだった。

「撮りますよ。カシャ!」

 傘を差したまま右手で撮るポーズをすると、笑ってくれた。そして、意を決した様に扉を開ける。女性の部屋を覗き見る趣味はなかったが、いきなり扉を全開にされたので、部屋が見えてしまった。

「私、貧乏なんだ」

 もう一度言ったが、小さな声。確かに貧乏そうだった。三畳で、小さなお勝手があるだけの、押入れもない小さな部屋。玄関先には見覚えのある登山靴と、サンダルが一つ。家具らしきものはなく、プラスチック製の透明な衣装ケースが二つ。青いフタの方が夏物、赤いフタの方が冬物だろうか。

 玄関近くには、最近までそこに『四角い物体』があったと思われる畳の凹み。今は、ビニール袋に入れられた『マヨネーズとその仲間たち』が置かれている。一番奥には、俗に言うテレビ台というものがあった。しかし、壁から伸びたアンテナ線があるだけで、そこにテレビはない。代わりに、真新しいデジカメと、古いくまさんのぬいぐるみが、置いてある。

 布団らしきものは、鴨居に針金ハンガーで吊り下げられた寝袋しか見当たらない。それと、ボロボロのタオルケットが一つ、リュックに掛けてあった。

「これね、充電したから、また撮れるよ!」

 そう言ってスニーカーを脱ぐと、デジカメを取上げてこちらを撮る。ストロボが光って、一瞬室内が明るくなった。

「これ買うのに、テレビ売っちゃったんだー」

 何も言えない。白いワンピースをヒラヒラさせながら、暫く楽しい貧乏生活について語っていたが、耳が遠くなっていた。目のピントも制御不能。レンズが曇って、よく見えなくなっている。

「冬はね、テント張れば、暖かいんだよー」

 何周目か数えていなかったが、踊りながら玄関先まで来たのを見計らい、手を掴むと抱き寄せる。傘なんて、後ろに投げ捨てた。軌道を外れて玄関へ引き寄せられたので、白いワンピースのスカートだけが『もう一周しよう』としていたが、途中で止まり、ゆっくりと玄関に引き寄せられて来る。そして足元に纏まって、完全に止まった。髪は、美容院の香りがする。

 何て言ったら良いか。判らない。

「家へおいでよ」

 小さな声で言った。腕の中で首を左右に振る。そのままおでこを胸に強く押し付けると、息をするスペースを見つけた様だった。

「大丈夫。まだ頑張れる」

 自分自身に言い聞かせる様に言うと、顔を上げた。こちらの顔を見られたくなかったので、右手で頭を抱えると、強く抱きしめる。

「家へおいでよ」

 もう一度言ったが、抱き寄せた胸の中で、再び首を横に振った。

「大丈夫。何とかなる」

 小さい声だった。ゆっくりと頭を撫でながら言葉を捜す。しかし、連歌の様に風流な言葉もなく、語彙も乏しかった。悔しくて、左手に持っていた封筒がぐしゃぐしゃになる。

「家へおいでよ。何とかするよ」

 そう言うと、胸の中で泣き出す。そして、小さく頷いた。


 帰りの車と言って良いのか、とにかく、車の中では無口。大事な封筒を握りつぶしてしまったので「ごめん」とだけ言った。横で、くまさんとタオルケットを、大事そうに抱えながら頷く。

 家に着くと、周りをキョロキョロしていて落ち着きがない。それはそうだろう。押入れから『こたつ布団』を出して本棚の前に置く。「とりあえず、これでいいかな」と聞くと、だまって頷き、くまさんを抱いたまま膝を曲げて、本棚の方を向いてピョンと飛び乗った。

 こたつ布団がパフッという音を立てて凹む。そして、そのまま左にコロンと転がって横になった。それを見て、着替えを探しにタンスの方を向くと「あったかーい」と小さく聞こえてきた。

 Tシャツとトレパンを出して、それで頭をツンツンとやると振り向いた。黙って風呂場の方を指差すと頷く。そして、むっくりと起き上がり、くまさんを抱いたまま行こうとしたので、首を横に振り、こたつ布団を指差す。素直にそこに置く。代わりに、Tシャツとトレパンを持って、風呂場に消えた。こたつ布団が、少し湿っていた。

 風呂から上がってくると、部屋を遠巻きに眺めながら、またこたつ布団に戻る。本棚に並ぶ本を眺めていたが、趣味が合わなかったのか、一冊も手に取らなかった。

 夕飯時になっていたが、いつも外食だったので、台所にはカップ麺しかない。お湯を沸かしている間も、くまさんと膝を抱いて本棚に寄りかかったまま、こたつ布団から動かなかった。

「カップ麺しかなかった」と言うと、背中をこちらに向けたまま頷く。二十円高価な、大きい方を食べてもらうことにする。

 家に帰ってきてから、まだ一時間しか経っていない。しかし、とても長く感じた。お湯が沸くまで、何度もコンロの火と時計を見る。この水は、永久にお湯にならないのではと思った。

 お湯が沸いて、二つのカップ麺にお湯を投入しても、茹で上がる時間がとても長く感じた。

 慰めという言葉は相応しくないと思う。しかしそれでも、何も声を掛けることが出来ない。「出来たよ。食べよう」と、事実を伝えるのがやっとだ。

 それでも首を回して、横目にこちらを見ると頷いて応えてくれた。くまさんを持ったまま来る。四人掛けのテーブルに向き合って座ると、隣の椅子を少し引いて、そこにくまさんを置く。無表情の所にカップ麺を差し出すと、下を向く。何かしゃべってくれないかなと思う。何でもいいから。

 下を向いたまま、数秒が過ぎただろうか。

「箸」

 慌てて割り箸を探していると、後ろから「フフッ」という笑い声が聞こえた。力がどっと抜けて、安堵する。箸を探し当てて振り返ると、カップ麺の蓋が完全に外されていて、大小が入れ替わっていた。

「こっち食べなよ」

「小さい方でいい」

 上目遣いで遠慮がちに言う。

「こっちの方が美味しいんだよ?」

 確証はなかったが、笑顔で勧めた。それでも小さい方のカップ麺を、両手で包み込んで離そうとしない。仕方ないので箸を渡すと、小さく頷いて受け取った。両手を合わせて親指に割り箸を挟んだまま「いただきます」と言うと、パチンと割り箸を割る。それを見てこちらも「いただきます」と言うと、パチンと割った。

 カップ麺を啜る音だけが台所に響く。外はまだ雨が降っている。

「こんな物しかなくて、ごめんね」

 そう言うと、黙って首を横に二回振った。

「明日、買出しに行こうね」

 首を縦に一回振った。

「何か食べたい物、ある?」

 首を横に二回振った。

「嫌いな食べ物、ある?」

 首を横に三回振った。

「美味しい?」

 首を横に一回振った後、縦に一回振った。

「美味しくないんだ」

 申し訳ない気持ちを込めて言うと、ラーメンをくわえたまま顔を上げ、口をもぐもぐさせながら言う。

「にょびてる」

 そうか。伸びていたか! それは済まなかった。カップ麺に書かれた調理時間を確認すると、小さい方は三分で、大きいほうは五分ではないか。二人で確認し合って笑った。やっとだ。それでも全部食べて、二つの空の容器と、その上に掛けられた割り箸が残った。

 きちんと手を合わせると、「ごちそうさまでした」と言いながらゆっくりと頭を下げた。こちらもつられて同じ様に頭を下げる。顔を上げると、まだ礼をしている最中。黒髪が背中から前の方に、サラサラと流れていた。

 顔をぱっと上げると、影が消えていた。

「そっちにすれば良かったー」

 大きな容器を指差して言う。だから言ったのに。でも、嬉しかった。山で見た笑顔になっていたから。

「もう一つあるよ?」

 だから、ちょっと意地悪っぽく言うと「結構です」と言って立ち上がり、二つの容器を流しに持って行く。笑っていた。

 それから椅子のくまさんを取りに戻ってくると、背中を向けてこたつ布団へ小走りに向かおうとした。しかし、二、三歩行った所で立ち止まり、両手でくまさんを抱いたまま、再び不安そうな顔をして、振り返る。

「何? どうした?」

 そう聞くと、右足をプラプラさせ、恥ずかしそうに言う。

「……私ね、いびき、かくかもしれない……」

 笑いを堪えるのに必死だった。さっき食べたラーメンが、鼻から全部出てきてしまうかと思うくらい腹がよじれた。ここで耳がピクピク動いているのを悟られないよう、極めて冷静を装い返事をする。

「あっそう」

 その返事を聞いて再び笑顔になると、左手でくまさんの首ねっこを掴んで走る。そして「ヒャッホー」と叫びながら、大の字になってこたつ布団に飛び込んだ。くまさんの顔が床に当たって「バフッ」という音がした。そして、こたつ布団の上に座ると、首にタオルケットを巻き、くまさんを枕にして、こたつ布団に潜り込む。

 ちょっと悲しい目をしたくまさんがこちらを向く。それ、枕なんだと思った。

「おやすみっ」

 枕なのか確認する間もなく、見えなくなった。

 夏仕様のリビングに、まるで小さな丸い『こたつ』がある。電気を消して自分のベットに入ると、やがて隣の『こたつ』から大きな音が聞こえて来る。涙が止まらなかった。

 女の子を泣かして、ホッとした晩夏の夜だった。

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