穴倉の獣からの手紙
梅雨の合間、時折晴れ間がのぞくなかで、私は人を探していた。
古い友人の一人で、久々に集まろうと声をかけようとしたものの、連絡先が変わっていたのだ。
他の友人にも聞いたが、誰も近況を知らないという。
思えば彼は昔から積極的に人と関わろうとせず、友人の数も多くないようだった。
彼の現在を調べるうち、どうやら一人暮らしをしていることがわかった。
少ないSNSの情報をかき集め、何とか一軒のアパートに辿り着いた。
しかしすでに部屋は引き払われており、もぬけの殻となっていた。
部屋の持ち主に聞くと、1か月ほど前に出ていったらしい。
「なんか、思いつめていた様子だったよ。どこへ行ったかは知らないけど、元気でやっていてほしいね。」
何か残されていないかと思い、部屋主の静止を無視して中を調べ始めた。
部屋はほとんど掃除されてしまっていたが、備え付けのエアコンの後ろに一通の手紙を見つけることができた。
それは、宛先も名前も書いていない奇妙な手紙だった。
他に、彼がどこへ向かったのかを知る者はいないのだ。
何か手がかりはないかと思い、手紙を開く。
「いま、自分はうつ病という診断で休職中である。
正式にこの病名をもらって休職期間に入ったのは昨年秋からではあるが、それ以前から仕事は休みがちであった。
それは正式に休みを申請して行われるものではなく、テレワークを免罪符にして不当にサボタージュを行うものであった。
ちょうど昨年のGW明けごろから会社に出勤しなくなっていた。
理由としてはゲーム依存、ネット依存、それに伴い仕事に身が入らず成果も出ず、成果が無いことを上司に報告することに怯え、怒られることを想像しおののいていたためである。
上司含め周囲の方々は優しい人ばかりであるから、頭ごなしに叱られることはないと予想はできるが、しかし正直に話すことが出来なかった。
そのまま時は流れていき、毎日メールで勤務開始と終わりのメールをしていたものの、その中身は嘘と欺瞞に塗れており、そのくせいつかばれるのではないか、審判が下されるのではないかとびくびくしながら日々を過ごすありさまであった。
そのうちに仕事の成果を報告する必要が生じ、準備せねば準備せねばと焦りが募っていたが、結局手を動かさず当日を迎え、あろうことか会議に出席せず布団にくるまりおののいていた。
その後はもう罪の意識に苛まれながら自分から何も行動を起こすことはなく、朝夕の業務報告メール(その実なにもしていないが)を一方的に出しつつこちらへのメールは無視している日々が続いた。
ちょうどこの頃、ネットで知り合った方と会う約束をしていたが、それも連絡をせず欠席した。
その罪悪感もあり、この後Twitterでは口をつぐんだままとなった。
早く謝らなければという思いが身を責めながらも、勇気というか一歩が出せずにいる。
申し訳ないという気持ちが膨らみ続けるばかりである。
そうした日々を続けるうちに、業務報告メールすらままならなくなってきた。
上司からもここしばらくメールがないことから状況を報告するよう連絡がきた。
しかしそれに返すことはなかった。
その時の自分の心情は、早く返信しなければいけない、しかし何も成果を上げていない、ましてや仕事をしていないことを告白する勇気がない、仮にそれを伝えた時になんと言われるか、どんな言葉で怒られるか、どう失望されるか・・・を考え、何もできなくなっていた。
結局、返信がなく生死も不明であったことから人事を通して自分の親に連絡が入り、お世話になっている心療内科でうつ病の診断書を出してもらい、休職期間に入った。
なお自分は家から出られず診断書も親に取得、提出してもらった有様であり、本当に情けない。
その後は業務報告メールをする必要はなくなり、実家にも時々帰ったりもしていたが、一人暮らしの自由な時間(実際、その中身は不健康そのものであったが)が失われるという恐れから孤独に過ごしていた時間が大半である。
この休職中の初めの数か月、友人の紹介で異性と出会う機会を得ていた。
今考えれば、相手の貴重な時間を奪ってしまい、申し訳なく思う。
仕事を休んでいることを隠しながら会っており、虚栄を張ってもてなしていたつもりではあったが、結局それは自分への慰めであったのだろう。
仕事に邁進している先方と比べ、自分をみじめだと感じていた。
何度か会ったのちに連絡はとらなくなったが、今は相手の幸せを願うばかりである。
また職場復帰に向けた動きも進みつつあり、リワークプログラムというものへの参加も考えていた。
週2~5日間、朝決められた時間に集まり体操やディスカッション、自習等を行い、仕事に似た時間に活動することで社会生活を送れるようにするものである(ちょうど昨今、こうしたリワークプログラムを実施している施設である事件が起こったため、名前を聞いたことがあるかもしれない)。
自分も社会復帰すべく参加に向けて診察を受け、体験などしていたが、参加可能な状態であるかどうかというところで断念することになった。
同じ週で2日間体験に参加することが条件であったが、自分は朝起きられなかったり、家を出られなかったりということがあり参加可能な状態とは言えなかったためだ。
本当に自分が情けないという思いをまた強くした。
社会生活を送るために復職しなければならない、それなのに自分は決められた時間に出向くことすらできない。
自尊心を自らの行動で削りながら、そうした現実(自ら引き起こしたものではあるが)から逃げるために、ますますゲームやネットに依存していった。
そうした日々を過ごし、友人からの誘いの連絡にも返事をせず放置し、自分から孤独の沼に沈んでいった。
決定的だったのは、大切な友人の結婚式に参加しなかったことだ。
返信もなかなか送らずにいたが、参加連絡を伝えたにも関わらず当日何の連絡もなく欠席した。
自分が引き起こしたその日の混乱(実際に自分が与えた影響はわからないが)を想像したり、大事な友人の一生に一度の晴れ舞台に泥を塗ったこと、また今後一生その罪はぬぐえないということを思い、いまだに謝れずにいる。
自分なんかよりよっぽど人間として立派であるから、おそらくそこまで気にせずともよいと言ってくれるだろうという甘えがあるが、それを差し引いても連絡する勇気(罪を償おうという責任感)が自分にはない。
死について
自分は罪の意識で自らを責めているが(実際それに値する不義理をしているのであるが)、自分の手で命を終わらせようという気持ちにはなっていない。
その理由として、死は平等に訪れるものであり、何もせずとも寿命がやってくるためだ。
死に対して恐怖はなく、それはプラトンの著書のなかでソクラテスが語っているように、もし死後の世界があれば先輩である歴史上の偉人と語らう機会を得ることができ、また死後の世界がなく意識も失われるのであれば、夢を見ない睡眠の時間のようなものであり、これまた幸せな時間に違いはないだろう(少なくとも、起きて思い悩んでいる時間よりは幸福ではないか)という考えに賛同するためである。
またエピクテトスが語るようにストア派の教えでも、死というドアが開かれているからこそ、生に対して怖がらず、正直に向き合えるのではないかと思っている。
思えば死について考え始めたのは小学二年生の頃であったが、ようやく現状で自分なりの一つの答えのようなものが出せたのかなと思う。
また今すぐ死を選ぶよりも、寿命を全うした方が面白いのではないかと考えている。
紀元後から数えても高々二千年と少ししか経っておらず、その中で寿命≒百年ほどと考えると、人間が歩んでいる歴史の少なくない部分を自分の目で見ることができるのではないか、と思うためである。
考えてみれば歴史上のどの百年を切り取ったとしても、世界のいずこかで歴史に残る出来事は起こっているわけで、インターネットやSNSが発達した現代では否応なく頭に刻まれることになるだろう。
そうした貴重な機会をむざむざと見過ごす(しかも自分の手で)ことは、非常にもったいないなと思う次第である。
なぜ書こうと思ったか
最近まで穴倉に潜む獣のように引きこもっていたが、行きつけの心療内科で数か月ぶりに診察を受け(これも欠席していたためであるが)、ゲームとYoutubeからの依存を治すために離れ、空いた時間での読書で「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがきっかけである。
この本は高校生の時に読んでいたが、当時は難しそうな、有名な本を読むことの方が目的になっていたのだろうが、ほとんど内容を覚えておらず、新鮮な気持ちでページをめくった。
家にあるのは哲学書ばかりで今の自分に読み通す自信がなく小説を読みたいと思ったこと、一度読んだことがあれば読みやすいかと思ったこと(実際内容は忘れていたが)、面白い本だったという記憶だけはあったことなどから読むことにした。
いまは2巻を読んでおり、カラマーゾフ家の次男イワンが弟アリョーシャに語る「大審問官」、そしてアリョーシャが後に編纂したという体で書かれる「ゾシマ長老の一代記」を読むなかで、いまの自分の考え、思いを文章にして吐露、記録すべきと思い至った。
とにかく、自分の頭のなかでぐるぐると渦巻く考えを排出し、まとまった文章とすることで誰かに助けを求めているのかもしれないし、自分を慰めようとしているのかもしれない。
自分一人では抱えきれない(自ら一人になったのではあるが)罪悪感や焦燥感などを書きなぐることで、楽になれるのだろうか。
書くきっかけになった文章から考えると、キリスト教への帰依、奇跡や敬虔に救いを求めているのかもしれない。「大審問官」で語られる民衆のように自分がひざまずく対象を求め、「ゾシマ長老の一代記」で記された長老の兄のように、キリスト教を信じることで平穏な心を持てるようになったことに対して憧れを抱いているのかもしれない。」
手紙を読み終え、私はこの人物がひどく哀れに思えてならなかった。
彼は自らの手で自分を破滅させていったのだ。
なぜそこまで孤独に思いつめてしまったのか?私には知る由もない。
残されているのは、この一通の手紙のみである。