後編~レベッカ~
「レベッカお嬢様。今日もお庭でお茶をされますか?」
メイドのオリビアに聞かれた私は思わず笑顔が溢れてしまった。
「ええ。お願い」
結婚式のあの夜からもうすぐ二ヶ月が経つ。ルーファスと無事に離縁して実家であるカース子爵家に戻ってきた私は、憐れむ両親と兄夫婦に一つのお願いをした。
家族のいる本館ではなく、庭の真ん中にひっそりと建つ離れの分館で療養をしたい、と。
私の望みはすぐに叶えられた。
両親は使用人もたくさん手配しようとしてくれたけれど、私は常駐するのはメイドのオリビアだけで良いと言った。
料理は本館から運んで、掃除や洗濯は本館から手伝いに来てもらうことで、分館では私とオリビアだけが生活していた。
そして、雨の日以外は毎日、私は庭でアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「トーマス。今日もいい天気ね」
「そうですね。でも夕方から雨が降るようなのでお気をつけください」
紅茶を飲みながら、庭の手入れをしている庭師のトーマスに話しかけると、彼はいつものように笑顔で返してくれた。
この笑顔。すべては、この笑顔を毎日見続けるためだけだったの。
☆☆☆
「ユース侯爵家のルーファス様って……。平民に入れあげていると噂の?」
両親からルーファスとの婚約の話をされた時、私はルーファスの評判の悪い噂くらいしか知らなかった。
「あんな噂のある男に嫁がせるなんてしたくないのだが、侯爵家からの強い要望で……」
お父様は困り切った顔をしていたし、お母様も悲し気に俯いていた。
善良な人達なのだ。お兄様もそう。優しくて、私のことを愛してくれている。
ただ、貴族の義務ももちろんわきまえている人達だから、娘が庭師に恋をしているなどと想像もしていないだろうし、それを許すほど寛容でもない。
私自身の評判を落として一生結婚しないということを考えたこともあるけれど、そんなことを許すほど寛大な人達でもない。
もしそんなことになれば、私はきっと修道院に送られるだろう。……そんなことになれば、トーマスに会えなくなる。
結ばれなくてもいい。ただ、毎日、その笑顔を見られたら、それだけで良い。
私には、ただそれだけだった。
だけどもちろん私だって分かっていた。そんなことは不可能だ。
カース子爵家のために結婚をするのが当然だし、お兄様が子爵家を継いでからもずっと私が結婚もせずに屋敷に住み続けることなんて出来ないだろう。
そんなことを悩んでいる時に、ルーファスとの婚約話が舞い込んできたのだ。
今まで興味のなかったルーファスの噂を改めて収集すると、私はある事実に気付いた。
ルーファスが酔っ払ってよく語っているという七歳の向日葵の思い出、その相手はきっと私だ。
彼はそれを『唯一の恋』だと恥ずかしげもなく言っているうえに、その相手を勘違いして入れあげてまでいた。
事実とは、実際に起こった出来事をいう。
起こった事実は同じでも、そこに自分の主観や想いを入れ込んで、人は自分にとっての真実にするのだ。
七歳の時に、私とルーファスに起こった『迷子になったルーファスに私が向日葵の花を渡した』という事実を、ルーファスは『唯一の恋』という真実に変えた。
私にとってその事実は、すっかり忘れてしまって思い出すこともないような些末な事実でしかなかったのに。
初めての顔合わせの時のルーファスは、とても傲慢な顔をしていた。
その顔には、『子爵家の娘ごときが』という思いがありありと浮かんでいた。
その傲慢さを心の中で嫌悪しつつ、私は薄く笑った。
それから私は、ルーファスを慕っているふりをした。
家族の前でも『あんな噂はきっと嘘だわ。ルーファス様はとても優しいもの』と、とても幸せそうに微笑んで見せたりもした。
ルーファスが本性を見せた時に、少しでも私の傷が深いと思われるように。
だけど、私は決してルーファスに七歳の時に出会ったのが自分であるということを伝えなかった。
万が一にでもそれを知った彼の気持ちが私に移ったら困るから。
彼の『唯一の恋』の相手は私以外でなければいけなかったから。
「レベッカさんが婚約者で本当に嬉しいわ」
私は、ルーファスのお父様とお母様にも精一杯尽くした。
彼らは評判の悪い息子をこんなに慕ってくれるなんて、ととても良くしてくれた。……あの二人と家族になれなかったことは少しだけ残念だと思うくらいに。
「お義父様。お義母様。私は、ルーファス様が好きです。それに、ユース侯爵家がワインの五割を入荷いただける契約のおかげでカース子爵家はこれから安泰だと思うと、本当に幸せなんです」
前半は嘘。後半は心からの本心。そんな私の言葉に、彼らは嬉しそうに頷いてくれた。
「ルーファスには平民の女とは別れるように強く言っているから。……でももしもレベッカさんを傷つけるようなことがあれば……。だけど何があってもカース子爵家との契約は無効にしないから安心してね」
その言葉を聞いた時から、私はルーファスに出来るだけ酷い形で婚約破棄をされることだけを願っていた。
だけど、私の祈りは届かず、ルーファスは優しい笑顔を浮かべたまま結婚式を迎えてしまった。
あの愛人とは別れていないはず。だから、ルーファスとの結婚生活を続けながら、浮気の証拠をつかんでいくしかないわ。
私は、覚悟を決めた。
それでも誓いのキスの後は気持ちが悪くてこっそりトイレで吐いた。
「私はルーファス様を信じているけれど、結婚式のその夜だけはこっそりと使用人を待機させてほしいの。……使用人を誰も連れていけないことがどうしても不安で……」
そんな私の言葉に両親は頷いてくれた。
私の最後の望みは、ルーファスからの『使用人は連れて来なくて良い』という命令だった。
そんな命令をするなんて通常ありえない。
だから、カース子爵家の使用人に見られたくないような仕打ちをされるのではないかと、そう思った。
叶うなら、結婚式のその夜に、その仕打ちをしてほしいと願った。
『レベッカ。俺がお前を愛することはない。なぜならミリアこそが俺の『唯一の恋』の相手だからだ』
だから、結婚式のその夜に、ルーファスが通常なら信じられないような言葉を吐いた時には、思わず笑ってしまいそうになった顔を必死で歪めて隠すくらいに嬉しかった。
それから起こった事実は、すべて一方的に私に都合の良い出来事だった。
ルーファスは私を脅した。
ルーファスは私を殴った。
ルーファスは私の部屋に見張りをつけると言った。
私が不安げに発言をするたびにどんどん積み上がっていくルーファスの有責。
とどめに、あてがわれた使用人部屋のクローゼットにメイド服まで入っているのを見つけた時には、
いっそ笑ってしまったくらいだった。
そこから必死で逃げて、実家に辿り着いて、すぐにユース侯爵家に連絡してもらい、総出でルーファスのもとに乗り込んだ。
結婚式のその夜に、ニヤニヤと笑いながら私を使用人部屋に押し込んだメイド長や執事達は、使用人部屋で泣いているはずの私を見て目を丸くして震えだした。
初めて見たミリアという女性は、キレイな顔をしていた。
私が吐き気を催しながら嫌々買ったナイトドレスがとてもよく似合っていた。
……彼女にはこれからどんな仕打ちが待っているのかしら? なんてぼんやり考えたけれど、昨日が結婚式だと知っていたうえに貴族のお屋敷の主寝室で昼まで寝ているくらいだから、きっとどんな罰も覚悟のうえなんだろうなと納得した。
ルーファスのことをそんなに愛せるなんてすごいなとも思った。
それから私は、ルーファスに残酷な『事実』を告げた。
本当は『唯一の恋』が勘違いだなんてことまで言うつもりはなかったけれど、殴られた腹いせにどうしても言ってやりたくなってしまったのだ。
実家に戻った後、家族はとても私を心配して労ってくれた。
初恋の相手に惨めに振られたレベッカ。結婚式のその夜に夫に裏切られたレベッカ。結婚一日目で離縁することになったレベッカ。
ルーファスが私を脅すために言った言葉は、まさにそれこそが、私の望みだった。
「お前の名前には必ず傷がつく。そんなお前を受け入れる貴族などいないだろう。もう二度と結婚できないぞ?」
もう結婚できないレベッカ。可哀想なレベッカ。完全に被害者であるレベッカ。だから、せめて家族の邪魔にならないように別館でひっそりと暮らすことは許してほしい。
お父様もお母様も、お兄様夫婦も、いつまででもこの家にいてくれていいと言ってくれた。
それに、私がこの家にいる限りユース侯爵家が、ワイン入荷の契約を打ち切ることはないだろう。
……だって、自分達の息子の傲慢さで、一人の女性の人生を傷物にしたのだから。
☆☆☆
「トーマス。明日も晴れるかしら?」
「そうですね。きっと明日も晴れると思います」
「そう。なら、明日もこうして貴方の仕事を見ながら紅茶が飲めるわね」
結婚式のその夜に、ルーファスが私にした仕打ちは私にとっては最高の仕打ちだった。
そのおかげで、私は今日もこうして愛する人の笑顔を見ながらゆっくりと紅茶が飲めるのだ。
ルーファスが『唯一の恋』を貫こうとしたことはどうでもいい。
問題は、そのために他人を犠牲にしようとしたことだ。
自分の幸せのために、誰かを傷つけても構わないだなんて、本当に傲慢だ。
私は、そんなことしない。
結ばれない相手に恋をしたのだから、ただただ側にいられるだけで満足だ、とそう思った。
私の世界は、今日も穏やかな幸福で満ちていた。
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