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9・二度目の逢瀬

 婚約をしてからこちら、レジーナはひたすら勉強に追われていた。立ち居振る舞いや万国共通の知識はまだしも、ヒンメル王国の歴史や文化についてはほぼ無知である彼女が、突然国王の婚約者となったのだから当然のことであった。救いは古代語が読めたことと、勉強が嫌いでなかったこと、そして教師陣が彼女に優しかったことである。


 本来ならぽっと出の他国出身者が王妃になろうとしているのを良く思わない者がいておかしくないだろうに、教師たちは逆にレジーナに感謝しているくらいだった。それ程までにアランの相手選びが難航していたのも理由の一つだが、天灯す陽時計の術者が現役国王の王妃になるというのも大きかった。


 しかもレジーナは教師受けするタイプだった。天才肌という程でもなく、しかし吸収が悪い訳でもない。分からない所は聞き、解決させてからノートをとり復習して覚える。課題は必ず期日前に済ませ、見直しを行ってから提出する。当たり前のことでもあり、けれどそれが確実にできる人もそう多くないことを教師たちは知っていた。それでいてひたむきに文句も言わず勉学に取り組む様は称賛に価した。



「レジーナ様、お忙しいところ恐れ入りますが衣装合わせを…」



 勉強の合間には、後一週間後に差し迫ったパーティーの準備もせねばならなかった。衣装合わせは勿論、来賓者名簿の暗記にパーティーの流れの把握、各自治地区の力関係や相性の良し悪しなど覚えることもやることも多かった。


 疲れた、とも思ったがこの程度で弱音を吐いている場合でもなかった。頑張ると、やると決めたのだ。前のように期待も求められることもなくなって、惨めに隅で息をひそめるような生活には戻りたくはなかった。夜も机にかじりつき、ぺらぺらと文字を追いながらレジーナはふうと息を吐いた。



「(頭に入らない、今日はもう寝て…。こんなことでは、いえ、それでもやらねば)」



 ちら、とベランダに目をやる。数週間前にアランが出入りしたそこである。どんなに忙しくとも毎食を共にしているアランは、最近何か言いたげだ。レジーナはそれに気付かないふりをしてやり過ごしている。大体の察しはついているが、それを言われてしまってはレジーナの立つ瀬がなくなるのだ。レジーナはもう一度 息を吐いて立ち上がり、今度こそあの時 見ることができなかった星を見ようとしてカーテンを開けて、閉めた。



「…」



 そしてもう一度あの時のようにカーテンを開け、同じセリフを使った。



「何をしておいでですか、陛下」

「…」

「アラン様」

「散歩だ」

「飛ぶのは、散歩とは言わないのでは」

「…空中散歩だ」

「ふふ…」



 アランは扉を少し開けてレジーナの手を取った。その手を引かれるままにレジーナはベランダに出た。満天の星というのに相応しく明るい夜空が広がっている。



「すごく綺麗ですね」

「ああ、貴女がこの国に与えたものだ」

「…お役に立てているのなら良かった」

「レジーナ」



 名を呼ばれても、レジーナは顔を上げられなかった。一生懸命にお仕えすると息巻いたにも関わらず、もう躓きかけている様をこれ以上は知られたくなかった。きっと既に気付かれているのだろうし、アランが今ここにいるのもその為であることは分かるがそれでも嫌なものは嫌だった。



「貴女が懸命に学んでくれているのは、聞いている。皆、褒めていた」

「至らないばかりで」

「そうだな、苦情も聞く」

「…っ、それは、どのような」

「聞いてどうする」

「改善致します、必ず。ですから」

「言ったな」



 アランの声がいきなりに楽し気なものになったので、レジーナは困惑した。その勢いで顔を上げてしまうと、ほんの少し目元を緩ませたアランがこちらを見ている。レジーナはまた慌てて顔を逸らそうとしたが、それよりも先に肩を抱かれて固まってしまった。元々接触を好む人であるとは思っていたが、婚約をしてからは更にスキンシップが増えた。耐性のないレジーナはいつも一瞬戸惑ってしまう。



「あ、あの」

「肩に力が入り過ぎている」

「う」

「熱心なのは良いが休憩を入れたがらない」

「うう」

「真夜中になっても部屋に明かりが灯っている」

「…」

「最近更に食が細くなった、奥の書庫へ来なくなった。…総じて自覚が足らないと」



 自覚。王妃になるという自覚。確かに足りないのだろう、それは自身でも分かっている。教えて欲しいと請うたのだから、伝えられたそれに心を痛めている場合ではないとレジーナは唇を噛んだ。



「申し訳ございません、すぐに改めて」

「であるので、明日は一日休日にして私と過ごしてもらう」

「…え?」

「前にも言ったが、レジーナは自身の価値を認めねばならない。…皆、貴女のことを案じている」



 額に落とされた唇が柔らかくレジーナを慰めた。泣くつもりなど一欠けらもなかったというのに、いつの間にか溢れた涙が頬を伝う。少し焦りながらアランはその涙を拭った。



「泣くほどに、辛いか」

「違うのです。…自身の不出来が、不甲斐なくて。でも皆さんが優しくして、下さるから…」

「レジーナのどこが、不出来だと?」

「…まだ、歴史書の大まかな流れも覚えきれなくて。パーティーはもうすぐなのに、各自治地区の文化も曖昧なままです。これではアラン様に恥をかかせてしまいます…」



 アランは空を見上げながら小さく頷いた。



「ヒンメル王国の歴史は長い。正確に流れを覚えるまでに私は十年かかった。…未だに三代目と四代目の国王の名を取り違えるし、十年戦争がいつ起きたかを問われると困る。自治地区の文化など、その地区の長と会う前に毎回少しなぞる程度で造詣もそうない」

「アラン様…」

「レジーナがそれに詳しくなってくれるのは助かるが…。あまり早くに私を超えて貰っても、困る」

「…はい」



 レジーナがやっと笑顔を見せたので、アランはもう一度 額に唇を落とした。そして部屋の方を横目で確認すると、頬を染めたレジーナから身を離す。



「では、明日」

「はい、お待ちしております」



 アランは軽く床を蹴って、自身の部屋まで飛んでいってしまった。国王の部屋はレジーナの部屋の斜め上、天灯す陽時計のある棟にある。風の魔法の応用なのだろうが、あのように補助具もなしに飛ぶ人は見たことがなかった。レジーナがぼんやりとその後ろ姿を眺めていると、部屋から彼女を呼ぶ声がする。



「…レジーナ様?」

「レジーナ様、どちらにいらっしゃいますか」

「っ、こ、ここにおります」

「まあ、レジーナ様!」

「こんな夜にベランダなどに出ては…。あら、お顔が赤く」

「お風邪を召したのでは」

「な、何でもないのです。大丈夫です、あの…。今日はもう休もうかと思うのですが、寝る前にハーブティーを淹れて頂いてもよろしいですか?」

「勿論ですわ。よく眠れるように、うんと美味しい物を淹れて参ります」



 使用人たちは色めき立ってお茶と就寝の準備をした。レジーナが就寝前に彼女たちへ何かをして欲しいなどと言うのは初めてのことだった。気を使い過ぎる主人がやっと自分の要望を伝えてきたと使用人たちは喜んだ。


―――


「グリフォンを見るのは初めてです」

「では乗るのも初めてですな。まあ、陛下に任せておけば問題はないので大丈夫でしょう。陛下、急降下とかはなさらないように」

「お前は私のことを何だと思っている」

「嫌ですね、親愛なる国王陛下と思っておりますとも」



 翌日、そうメイソンに茶化されながら、アランとレジーナは城を後にした。馬に二人乗りするようにレジーナはグリフォンに横向きに乗せられ、アランは彼女を支えるように後ろに乗る。レジーナは距離の近さに心臓が早打ちそうになるのを、いつものエスコートとそう変わらないのだ自身に言い聞かせなければならなかった。馬とは違いあまり揺れないグリフォンはよく調教されているようで、慣れないレジーナが多少たじろいでも静かに空を飛び続けている。



「寒くはないか」

「はい、問題ございません。賢い子ですね」

「ああ、まあ…。今日は大人しいな」

「今日だけなのですか」

「私を怖がらない個体は、皆それなりに我が強い」

「…それは、わたくしもでしょうか」

「ちが、それは違う」



 アランはやはりあまり表情を変えなかったが、見るからに焦っている。レジーナは笑うのを堪えながら、どうして皆この分かりやすい人が怖いのだろうと不思議だった。初めの頃は分からなかったが城には一定数、彼を怯えた目で見る者がいるのだ。


 アランはあまり口数が多い人ではないが、全く話をしないでもない。必要な場面では言葉を尽くしてくれる人だ。魔力を多く持つレジーナがそうでない人々の感性を知ることはできない。だからこそ頭ごなしにその畏怖を咎めることはできないが、こんなに優しい人であるのに勿体ないとは思う。



「申し訳ございません、冗談です」

「…」

「これはどちらに向かわれているのですか?」

「…もう着く」



 言葉通りにアランはグリフォンを降下させた。距離を取りながら付いてきていた護衛もそれに倣い地に降りる。グリフォンはレジーナが降りやすいように伏せてくれたがそれでも高く、乗せられた時と同じようにアランに抱えられて降りた。何とも言い難い気分ではあったが、仕方のないことと諦めた。



「わ」

「見事だな」

「はい、とても…」



 降りた先は小高い丘で色とりどりの花が咲き乱れていた。よく見ると花の形は同じなので、色の種類が多くある品種が咲いているようだった。何という名の花なのか聞こうとレジーナがアランを見ると、珍しく彼が先に口を開く。



「この地には本来、こんな花など咲いていなかった」

「そうなのですか、ではこの花は…」

「レジーナが来てから、咲きだしたのだ」



 アランはレジーナが疑問を尋ねる前に彼女の手を引いて歩き出した。丘の頂からは周辺が良く見える。青々として自然豊かで遠くには集落もあった。



「綺麗な所ですね」

「この一帯は草木も生えない不毛の地だった」

「…えっと、雨のせいですか?」

「そうだ」



 呪いと怨嗟の雲を潜って落ちる雨水は大地を汚染し植物を枯らしてしまうと聞いたが、ではこの美しい景色は何なのだろう。確かに人が住む場所には結界や魔道具を使うが、そうでない地までは手を回せなかったともレジーナは学んだ。しかしこの場所が不毛の地だったとはにわかには信じがたい。



「あの忌々しい雲が退けられてから一ヶ月でこうなった。間違いなくレジーナの功績だ」

「それは、そんな。天灯す陽時計の力であって、わたくしは」

「レジーナが来なければ、あれは無用の長物だった。そうでなくとも」

「あ」



 ぐっと手を引かれレジーナはアランの胸に飛び込んでしまった。何事が起こったのか理解する前に抱えられてしまい、呆然とする他ない。これはアランにとってスキンシップの内なのだろうか、いや既に先程抱えられてはいるのだし今更なのだろうか。しかしこの距離感はやはりおかしいのではないだろうか、とレジーナは悩むがそれを伝えることもできなかったので現状が変わることはない。



「貴女はこんなにも無力であるのに、私を恐れない豪胆さを持っている。その大量に持つ魔力から来る自信であるのだろうと思ったが、魔法も碌に使えなかった。…レジーナは不思議だ、我が強いというよりはおかしい」

「か、仮にも女性に対して、失礼なのでは…?」

「仮も何も貴女は女性だ。可憐で美しくか弱い」

「か」



 どれもがレジーナには向けられたことのない言葉ばかりだった。生国では公の場に出ることを嫌っていたし、出た所で容姿を褒められるよりはその能力の低さを嗤われるとこにばかり慣れていた。しかしアランはそれがさも当然であるという風に言うので、レジーナは言葉に詰まってばかりだ。



「だというのに初見で警戒はしても、私から目を逸らさなかった。…メイソンが私にしつこく挨拶を促したのはそのせいだ。奴はこうなることが分かっていた」

「こうなる…?」

「天灯す陽時計の術者であるレジーナは、このヒンメル王国にとって重要な存在だ。しかし」



 ふう、とアランは息を吐いた。こんなに多くを話すことは滅多にない。昨夜も多くを話したし、レジーナと話すことは苦ではなかったが慣れないものは慣れない。それでも伝えねばならなかった。この腕の中の分からず屋は、何度も言って聞かせねばならないタイプであると、この短い付き合いで理解していた。



「レジーナがあれの術者でなくとも、私は貴女に心惹かれただろう。私を恐れない強く無鉄砲な貴女を」

「…やっぱり褒めてはいらっしゃいませんよね」

「褒めている」

「無鉄砲は褒め言葉ではないかと」



 いたたまれなくなったレジーナが、胸を押さえながら震える声でどうにか話を逸らそうとしたがアランはそれを許さなかった。首まで赤くしているレジーナが愛らしくてどうしようもなかった。



「レジーナを言い表すには良い言葉だ。…ただ清く美しいだけでない貴女を愛している」

「ア、アラン様」

「欲を言えばレジーナにも私を愛して欲しい。あの夜に言った通り結婚を強制することは決してしない。ただ、私が貴女を想っていることは知っておいて欲しい。そしてできれば頼って欲しい、利用をしてくれて構わない」

「…」

「すぐにでなくていい、だが自身を卑下して追い込むのは止めてくれ。この国にこの景色をもたらした素晴らしい魔道士であり、私の愛しい人を貴女にも大切にして欲しい」

読んで頂きありがとうございました。

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