表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

7・密やかな夜

 レジーナはベッドの中で、本日起こった事柄を反芻していた。本日の事柄というよりはメイソンが一方的に話した内容についてだったが。



『ご存知かもしれませんが、我がヒンメル王国国王アラン・ヒンメル陛下には現在王妃がいらっしゃいません。婚約者もいらっしゃいません。ひとえに陛下のお力が強大であるが故のことでございます。我が国には明確な貴族制はないのですが、各地方自治にはその地の長がおりますので、その長の子や親戚が王妃や王配になるのが常なのです。ですが皆さん意気揚々とお見合いに来られては失神されたり、はな、んん、鼻孔から流血されたり、そこまででなくとも恐怖で震えと汗が止まらなかったりとお話することもままならず』

『…』

『ヒンメル王国は世襲制ではございませんので、どうしても結婚して世継ぎを作って頂かなければならない訳でも無し、と陛下も我々も諦めていた所にレジーナ様がいらっしゃって下さり』

『…』

『先日もお伝えしましたが、陛下は羊の獣人。共に生きる誰かが必要であると配下の者、皆 常々考えておりましたので陛下に臆さない貴女は、まさに我々の希望であるのです。更にレジーナ様は希少な白魔道士であり、何より天灯す陽時計を作動させられる唯一の術者でもある。出来が過ぎるくらいなのですよね』

『…』

『どうですかな、王妃。悪い話ではないと自分の名の下に断言致しますし、誓って悪いようにも致しません。お二人の相性も良いように思います、是非』

『…か、考えさせて下さい』

『では前向きにお願いします。あ、後ですね』

『(まだあるの)はい』

『今回はどうしても、少しだけと仰るので仕方がなく許可を出しましたが、陛下は勿論のこと、レジーナ様も既に我が国にとってなくてはならない存在。…陛下にはじっくりとお伝えもしておりますので、今後はレジーナ様にもその御身損なうことなどないよう注意して頂きたく』

『キヲツケマス』



 メイソンは別段に勢いよく急いた風でも訳でもなく、普段通りに優しい口調で話しかけたがレジーナは彼が話終わるまで相槌を打つこともままならなかった。レジーナは生国で受けたどんな扱いよりも、今日のこの瞬間が恐ろしかった。生国では屈辱を飽きる程に味わったが、背後に大魔道士の知り合いを持つ彼女に圧力をかけてまでどうこうしようとする人はそういなかったのだ。それだけレジーナに価値がなかっただけでもあったが、あの恐怖よりはましだったのでなかろうかと思うくらいだった。


 一方的な話が終わると、メイソンは結論を急がせるでもなく部屋から出て行った。メイソンと共に入室してきた人々も彼と共に出て行き、レジーナは部屋に一人になった。しかし話の内容が衝撃的過ぎて、数時間後に戻って来た使用人に声をかけられるまでその場でずっと固まっていた。


 いつもなら食事に誘ってくるアランが、今日に限って来なかったことは有難かった。重役会議が始まったのだと使用人たちが申し訳なさそうに伝えてくるので、それには胸が痛んだがレジーナに必要なのは考える時間であった。


 レジーナは客観的に自身を分析してみようとした。他国の、このヒンメル王国にとってはちっぽけな国の出身者であり、そんな国の男爵令嬢。出身国では何か功績を残した訳でもなく、嗤われるような存在であった。


 ヒンメル王国にやって来てから一ヶ月程であり、秘宝・天灯す陽時計に魔力を込める役割を与えられている。その役割は概ね順調にいっており、無事に呪いと怨嗟の雲を退けることができている。束ねの書に白魔道士と診断され、現在は白魔法を勉強中である。容姿は普通だと、信じたい。美姫と称されはしないことは確かだ。


 アラン・ヒンメル国王陛下を恐れてはいない。彼は少なくともレジーナには優しく親切であった。では彼のことをどう想っているのかと問われれば、まだ難しい。顔には出ないが分かりやすく、寂しがり屋で優しい人だとは思う。では好いているのかと問われればそれもまだ判断できない。しかし王侯貴族の結婚に恋愛感情が必要だろうか、そもそもメイソンの提案を断る権利が果たしてあるのだろうか。第一にアランはこのことを知っているのだろうか、彼はどう考えているのだろうか。…消去法で選ばれたのであれば、他にもっと良い人が現れた時、自身はどうなるのだろうか。



「(駄目だ)」



 思考が袋小路に入って出てこられなくなった時、そうであるのに考え続けてしまう無意味さをレジーナはよくよく知っていた。使えない魔法を使えるようになるにはどうしたら良いのかなんて、答えのない問をよく朝まで考えたものだ。レジーナは観念してベッドから抜け出した。実家にいた頃は廊下を延々と歩いたりしていたが、この時間に城内を闊歩する訳にもいかない。


 雨はとうに止んでいた。レジーナは肩にストールだけをかけて星でも眺めてみようと、ベランダのカーテンを少し開いて、すぐに閉じた。見てはいけないものが見えたからだ。いや、勘違いかもしれない。だってある筈のないものだ。レジーナに与えられた部屋は大きなヒンメル城の中でも上層階にある。気のせいだ、気のせいに他ならない、レジーナは自分にそう言い聞かせてもう一度カーテンを開けた。そして、観念して扉を開けた。



「…何をしておいでですか、陛下」

「すまない」

「? いえ、あの、そちらは冷えますので、どうぞ中へ」

「…」

「陛下?」

「いや、失礼する」



 ベランダに国王陛下を置いておくこともできず、レジーナはアランを部屋に通した。アランは彼女の迂闊さに少しばかり逡巡をしたが、すぐに決心して中に入った。しかし勧められた椅子には座らず、扉の傍で立つことを選んだ。



「何かございましたか」

「メイソンから聞いただろう、その話を」



 レジーナは口をきゅっと結んで、どう切り返したものかと悩んだ。「ええ、聞きました。王妃なんて無理ですよ、閣下も冗談が過ぎますよね」と笑い飛ばすべきなのだろうか、それとも「光栄はでございますが、考えさせて頂きたく」と真面目に応えるべきなのだろうか。自身の答えも出ていないので、正解が分からずレジーナは困り果てた。



「メイソンが勝手をして、すまない」

「まさか、陛下がそのようなこと仰る必要など」

「…今、私は国王ではなく、ただアランという名の男だ」

「は…?」

「装飾も何も付けていない王などいない」



 アランは不機嫌そうに視線を逸らした。確かにアランはいつもの装飾も威厳ある格好もしてはいない、しかしだからといって何だというのか。レジーナは喉に空気を詰まらせたが、すぐに彼が何を要求しているのかを察してしまった。



「ア、アラン、様が、謝罪されることなど」



 国王陛下の御名を舌に乗せるなど恐れ多いことであったが、この一ヶ月でアランの性格の一端を知ったレジーナはそれをせねば話の続きができないことも悟っていた。アランはまだ不満そうにはしていたが、もう一度レジーナに向き合った。



「…結婚までを強制するつもりない。が、一度 婚約をして欲しい」

「婚約ですか?」

「自治地区の長たちが、レジーナに会わせろと。今度その場を設けることになったが、貴女に言い寄られては困る」

「言い寄られるだなんて、そんな」

「メイソンからも聞いたと思うが」

「大袈裟では」

「レジーナ、真剣に聞いてくれ」

「う、はい…」



 レジーナは居心地悪げにストールを握り、アランは彼女に気付かれないようにそっと息を吐いた。生国で不当な扱いを受けていたからかレジーナは酷く自己肯定感が低い。その報告を受けたアランとて、それに対する理解はしたつもりでいたが、天灯す陽時計の唯一の術者である彼女がそのようであるのには歯がゆさを通り越した何かを感じる。



「レジーナ・ヴォルケ。貴女はこのアラン・ヒンメルと同等の魔力を持ち、このヒンメル王国を呪いと怨嗟の雲から守っている素晴らしい魔道士だ。驕らない姿勢も結構だが、貴女は自身の価値を認めねばならない」

「アラン様…」

「欲を言えばそのまま私と結婚して欲しいが、強制することは決してしないし、させない。レジーナの思うままにすればいい、誰にも文句は言わせん」



 アランは珍しく多くの言葉を駆使してその胸の内を伝えた。幼少の頃からメイソンに何度も「言葉が足りない」と嘆かれた彼であったが、今回は失敗する訳にはいかなかった。アランはレジーナに対して誠実でありたかった。レジーナの生い立ちを聞いて同情をした訳ではない、彼女を一人の人として、そして魔道士として尊敬していたのだ。あのような扱いを受けていたにも関わず腐ることなく勉強を続けていたのであろう姿勢も、強大な魔力の使い方を知ったその後も驕ることもなく丁寧に人々と接する姿も、十分それに値した。


 だからこそメイソンたちが勝手に動いたらしいことを聞いた時には、アランはやはり彼には珍しく激怒した。生国において様々なことを強いられてきたレジーナに、更に何を強要しようというのか。何という傲慢さであるのだとアランは珍しく声を荒げた。メイソン以外の者はその姿に恐怖したが、王国騎士団団長殿だけはそうならずむしろ鼻で自身の主を笑って「貴方が動くのが遅いからでしょう」と宣った。アランは拳でその頬を張り倒してやろうかと考えたが、さすがにその振る舞いは幼過ぎるだろうと堪えた。そしてその苛立ちをどうすることもできず、雨の止んだ城の周りをゆらゆらと浮かびながら気を紛らわさせていたのが、いつの間にかレジーナの部屋のベランダに降り立っていたのだ。



「…アラン様がそこまで仰って下さるのであれば、わたくしが断る道理はございません」



 これは政略的な事柄である。天灯す陽時計の術者であるレジーナが国内勢力の誰かの手に渡るようなことがあっては、この王国の新たな火種になることくらいは容易に察することができた。そしてこの提案は何よりレジーナを守る為のそれである。レジーナには断る理由も道理も権利すらない。メイソンには考えさせて欲しいと伝えられたが、アランに直接請われてもう一度それを言える程、レジーナは無知ではなかった。


 何よりこの一ヶ月、アランはレジーナに優しかった。たったの一ヶ月である。そうではあるが、生国にて散々に嗤われてきたレジーナを淑女として扱い、エスコートをし続けてくれたアランに悪い感情を抱くことなどなかった。恋ではないかもしれないが、自身を大切にしてくれる人を大切にしたいとは思う。嫌悪感もないのだし、そういった意味でも断る理由は特になかった。



「しかし、わたくしは高々が男爵の娘でございますし、他国出身者です。アラン様に何か不利益があるのではと。何か対策を考えねば」



 今更に気にする所がそこなのかとアランは今度こそため息を吐きかけて、しかしそれをもまた堪えた。レジーナはまだ知らないが、今や彼女は女神だ救世主だ何だと神格化されている程に国民の人気も高い。何せ天灯す陽時計をここまで使いこなせる魔道士など、歴史上恐らく初めてのことであった。あの束ねの書が認めた“白魔道士”でもある。レジーナ・ヴォルケという人は、ヒンメル王国では既に王と同等の価値を持っていた。


 一方それを知らないレジーナにとっては身分差は最重要とも言える問題だった。釣り合いが取れない結婚の末路など、悲劇にも喜劇にもことかかない。婚約といえども一度そうなってしまえば、自身にもアランにも良くない噂がついて回るだろう。もし婚約解消などしようものなら更にである。どのような陰口を叩かれても自身のことなら仕方のないことと思えただろうが、自身のせいで彼に少しでも影が落ちるようなことがあるのは我慢ならなかった。



「この国には明確な貴族制はない。メイソンだって孤児であったのを叩き上げで上り詰め、前女王に見出されて今の地位にいる」

「そんなことが…。いえ、それは、閣下がご優秀であるからで」

「…つまり、私ではレジーナの婚約者には仮であっても相応しくないと」

「何を仰るのです。相応しくないのはわたくしの方です」

「だが貴女は先程からどうにか断ろうとするばかりだ。…心に決めた者でもいるのか、そのブレスレットを贈った者か」



 アランは自身でその言葉を吐いておいて、ひどい嫌悪に襲われた。まさかレジーナはあんな詰まらない国で彼女を守ることもできなかったような人間に、心を奪われているというのだろうか。腹の底から湧き上がるような激情をアランは訝しく思い、そして唐突に理解した。ああ、これが。



「お断りするつもりはございませんし、そんな方もおりません。このブレスレットも、両親亡き後に後見をして下さった方々から贈られたものでございます」



 束ねの書といいアランといい、どうしてこのブレスレットを気にするのだろうかとレジーナは不思議に思った。ブレスレットはやはり袖に隠れているし、自分からこれを見せたことも伝えたこともない。話の方向が何やらおかしくはなったが、一度話を戻さねば。いや、今日は一旦話を終わらせて、明日またメイソンを交えて話し合いをすべきだろう。



「アランさ、ま…っ」

「それだけ聞ければいい、今夜は戻る。…今後は、私以外の者を不用意に部屋に入れないように」



 アランはレジーナを抱き寄せて、彼女の右目の瞼に口付けた。ヒンメル王国では求愛の意味を持つそれである。レジーナも以前に額への口付けの意味を聞いた時についでに教わったので、知ってはいる。知ってはいるが何故、今それを受けたのかその理由が分からない。固まっているレジーナをそのままに、アランは部屋から出て行った。彼女が動けるようになったのは、ぱたりと扉が閉まっていくらか経ってからだった。

読んで頂きありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ