5・穏やかな日、獣人の習性
国王の為の執務室で、アランとメイソンが睨み合っている。珍しいことでもないが、その度にその場にいる者たちは竦みあがる手足を叱咤せねばならず大変に困っていた。レジーナがヒンメル王国に来て一ヶ月が経とうとしていたが、その彼女が来てからはなかった光景であったから久しぶりに辛かった。天灯す陽時計も毎日作動し平和そのものであったのに、と嘆きたいのを必死に我慢した。
「ですから自分は申したでしょう。あの方は、生国にてあまり良い扱いを受けていなかったようです、と」
「どこまで調べている」
「それは我々の仕事ではないのです。鳥の部隊から直接お聞きになればよろしいでしょう」
「…あれらは、私のことを怖がるだろう」
「お優しいのはよいことですが、いつまでもそうはしていられませんでしょう」
「…」
「アラン・ヒンメル国王陛下」
「呼べ」
「畏まりました」
メイソンが手を上げると、扉の傍にいた騎士がさっと動いた。暫くすると、背に大きな鳥の羽を持つ者が三名執務室に入室する。彼らは鳥の部隊と呼ばれ、主に諜報活動を行っている者たちだった。
「お呼びであるとお聞きしました。どのようなご用件でしょう」
「レジーナ・ヴォルケについて、調べていることを全て申せ」
「畏まりました。こちらの資料と共に」
元々この件で呼ばれていたことは理解していたようで、一人が歩み出てアランとメイソンに資料を渡した。資料をパラパラとめくりながらアランは先を促す。
「レジーナ・ヴォルケ様はヴィント王国にて、歴史あるヴォルケ男爵家の一人娘であり跡継ぎでいらっしゃいます。ご両親は大魔道士として名声を集めたそうですが、彼女にはそれが受け継がれず―――」
鳥の羽を持つ者はとうとう、とレジーナの生い立ちを語った。アランとメイソンには思ったよりも胸が悪くなる内容ではあったが、そのような扱いを受けていたのであればレジーナのあの立ち居振る舞いにも納得が出来た。
本来ならレジーナがヒンメル王国に到着する前に調べさせ聞いておかねばならない内容であったが、ヴィント王国から派遣される魔道士についての情報が提示されたのはほんの一週間前であったのでこの時間がなかった。それはヴィント王国内でもレジーナを厄介払いできると喜ぶ者と、彼女を派遣することによってヒンメル王国から顰蹙を買うことを恐れた者がいたからである。後者は最終的に、ではお前たちが行くのかとヴィント国王に睨まれてしまいレジーナの派遣が本決まりとなった。
ヴィント国王が命令を下したのが派遣の前日であったのは、レジーナの世話をしていた一般階級のしかし大魔道士と呼ばれている者たちに抗議をさせない為であった。彼らは貴族ではなかったものの、尊敬を集めることができる魔道士たちであった。彼らが正式に抗議をしてくれば結果が同じであろうとも、一度は議会にかけねばならなったのだ。もう一つの懸念はレジーナを連れて逃げられることであった。ヒンメル王国からは「魔力量が多い魔導士」としか条件として出されていなかったが、であれば有能で有益な魔道士をわざわざ選出したくはなかった。才能なしの無能と呼ばれるレジーナでも魔力は豊富だ。彼女であれば最悪どうなってもよい。両親も亡く、婿もとれそうにない男爵家令嬢など国には必要なかったのだ。
アランはそこまで聞いて、後は報告書で良いと鳥の部隊を下がらせた。隠してはいたが背中の羽が毛羽立っている。やはり怖がらせてしまったと、アランは小さくため息を吐いた。
「陛下のせいではございません。あの者たちの未熟さの問題でございます」
「次はお前が聞いて来い」
「お断りします。自分は主人に心労をかけるモノ全てに嫌悪しておりまして」
いや、お前が聞き報告をしてくれさえすればそれこそ心労が減るのだが、とは言えなかった。メイソンはアランの剣術の師であった。昔にしごかれた名残は今でも残っている。
「おいたわしい…。こんなことならば、もっと表情筋トレーニングをして差し上げるべきでしたな…」
「いらん」
「魔力と筋力ばかり強くなって、こんなにも分かりやすく落ち込んでいるのに。お可哀想な陛下」
メイソンは泣きまねをしながら、ちらりとアランを見た。アランはげっそりとメイソンを見て今度こそしっかりとため息を吐いた。
「して、今後どうなさるおつもりで」
「レジーナは別段あの国をどうかしたいとは思っていないようだ」
「おや、思っていらっしゃったら攻め滅ぼすつもりでしたか?」
「…我が国へ無礼を働いた。十分だろう」
「全くでございます。あちらがどうしてもと申すので国交を復活させてやったというのに」
メイソンの目は笑ってはいなかった。普段、気安く下々の者にまで声をかけてくれる垂れ耳が優し気な彼であったが、忠誠心は王国随一である。鳥の部隊からの報告にも幾つかヒンメル王国への侮蔑を読み取ったし、何ならレジーナを迎えに行った時でさえそれらを肌で感じていたのだ。過剰に反応し過激に解決しても良かったが、様子を見ようと思えたのはひとえに年をとったからだろうなあ、とメイソンは頷いた。
「レジーナと、あの国の出方をもう少し見てから決める」
「御意のままに」
アランの手元には鳥の部隊が置いていった物とは別に、ヴィント国王からの書簡が置かれていた。丁寧で芸術的な言葉に包んで、魔道具や魔石を融通して欲しいと書かれてあるそれをアランは躊躇なく一瞬で灰にした。
―――
【ねえ、レジーナちゃん。今日はこれとか試してみない?】
「これはどんな魔法なのですか?」
【ヒ・ミ・ツ】
「では、しません」
【何でよ!】
「結果が分からないものを使うなと、陛下が」
【ちょっとくらい良いじゃない! トキメキとワクワクを体験しましょうよー!】
「駄目です」
レジーナは本日も束ねの書に魔法を習いに来ていた。白魔道士であると束ねの書に断言されてから、彼女は白魔道士と黒魔道士の何たるかを研究し魔法を覚えていった。束ねの書はそれくらい全部教えてあげるのに、と言ったがそれでは知識にならないから分からない所を教えて欲しいと請うた。
簡単に述べると、白魔道士とは主に補助・回復魔法を得意とする者であり、黒魔道士とは攻撃魔法を得意とする者である。白魔道士と黒魔道士は魔力の性質が異なっている為、同じように魔法を使おうとしても使えない。現在のヴィント王国には恐らく黒魔道士しかいなかったので、彼らもレジーナに魔法を教えることができなかった。それはレジーナとて同じで、黒魔道士に白魔法を教えることはできないらしい。お互いに似たような魔法はあるが、専門の魔法の方が威力は高い。
【でもほんと、白魔道士なんて久しぶりだわ。このページとか何百年も捲ったことなかったもの】
「それは、ヒンメル王国にも白魔道士がいなかったということですか?」
【みたいね。アタクシはやっぱり物だから時間の流れとかどうしても忘れちゃうけど、王様だって知らなかったでしょ? それだけ長い間いなかったってことよ】
束ねの書がぺらぺらとページを捲る。ここに書かれている呪文の数々が国家機密に相当することを後から知ったレジーナは顔を青くしたが、アランが良いと言うのでそのままその言葉に甘えている。束ねの書とて、本書が言った通り最高級の魔道書なのだ。その辺の魔道士には開いて見せたりもしないらしい。
【あ、レジーナちゃん。これ覚えておきなさい】
「これは?」
【痴漢撃退法よ】
「…結果どうなるんです」
【痴漢を撃退できるのよ】
「…」
【必要ヨ!】
レジーナは渋い顔をして、光る文字を追った。何やら壮大な文句であるそれが、ただの痴漢撃退法ではないことは確かだった。けれど本当にどうしようもない時用に覚えていたって無駄にはならないだろうと、頭に詰め込む。レジーナは昔から勉強は嫌いではなかった。机上の空論であれば答えを導き出すことができたからだ。いつまで経っても魔法が使えなかった日々で、それが彼女を癒してくれた。
【そのブレスレットがあれば、何とかなりそうでもあるけどネ】
「…束ねの書から見ても、これはすごい物なのですか」
【すごいっていうか、まあ、魔道具としては年季が足らないけど。込められた魔力と想い? レジーナちゃんを守る! っていうのがとても強いわ。大事にすることね】
「はい」
【…彼氏?】
「違います」
【良かったワ!】
「良かったとは、何です。良かったとは」
レジーナは服の上からブレスレットを撫でた。両親の友人たちがきっと無理をして一夜で完成させたであろう魔道具が、ヒンメル王国の最高級魔道書に褒めて貰えるなんて思ってもみなかった。人生、何があるか分からないものである。
「レジーナ」
「はい、陛下」
書庫の扉が開き、アランがメイソンと共にそこに立っていた。彼らは公務が終わるといつもレジーナを迎えに来るのだった。初めの内こそ畏れ多いのでご遠慮申し上げたいと伝えたものの、聞いてくれない上にアランが悲しそうな雰囲気をじわじわと醸し出すのでレジーナはもう諦めた。
メイソン曰く、アランは羊の獣人であるそうだ。しかしメイソンの様に獣の耳や尾は無く、あるのは巻いた角だけだった。獣人の中にも耳だけにしか特徴がない者、尾しかない者など様々あるらしくアランは角だけが特徴として現れた。
羊とは群れを成す獣である。だのに大抵の者はアランの強力な魔力に恐れをなして傍に近寄りたがらない。昔から慣れている使用人たちやメイソンなど一部の者以外は一定の距離をとる。これは歴代のヒンメル国王全てに当てはまることであったが、アランは羊の獣人であるので少しばかり堪えていた。
国王になる前だってそうではあったが、国王になってからは更に酷くなったのだ。その上、恐れ知らずに彼を「坊や」と呼んでいた前女王の側近をしていた者たちも根こそぎいなくなったものだからアランの孤独は察するに余りある。とメイソンは泣き真似をしながら語った。
その点、レジーナは国王として彼を見ているが、その他の多くの者たちと違い彼自身に恐れおののいたりはしなかった。察するにレジーナの魔力とアランの魔力がお互いに均衡を保てる程の量ではないか、という話に落ち着いた。そうであるならば、レジーナがアランを必要以上に怖がらないことにも説明がつく。「だからついでに、できるだけ一緒に居てあげて下さい」とすごく軽くメイソンに言われた時には眩暈を起こしたレジーナであったが、一週間もしない内に慣れてしまった。
【じゃあまた明日ネ、レジーナちゃん】
「ええ、おやすみなさい。束ねの書、明日もよろしくお願いします」
【おやすみぃ】
レジーナが挨拶をすると束ねの書は、人が手でも振るように表紙を開けたり閉じたりして自分で棚に戻って行った。
「今日は何を」
「そうですね、今日は―――」
無表情の中に優しい視線を見つけながら、レジーナは本日習ったことを話した。アランは言葉が少なく、何を伝えたいのか分からないことも多い。しかしその時々の感情を惜しみなく表情以外で表してくるので、こちらにもレジーナはすぐに慣れてしまった。以前は誰かの顔色を窺う為に心情を察する技術を磨いたものであったが、ここにきてこんな風に役立つのだから助かっている。
「後はええと、痴漢撃退法を…?」
「…それは一体どういう魔法なのですか」
「さあ」
「大丈夫なのですか、それ」
「痴漢なぞ、万死であるから。いいのではないか」
「陛下、雑把はいけませんぞ」
「使わないことを祈っています」
たった一ヶ月であるのだが、レジーナは随分この国に慣れていた。生国であるヴィント王国では国王と雑談するなど考えたことすらなかった。貴族としてどうしても出席しなければならないような式典であっても、できるだけ誰の目にも映らないように過ごしていたのだ。それが今では国王と王国騎士団長と話をしながら王宮を闊歩しているだなんて、たった一ヶ月前の自分には信じられないことであろうとレジーナは笑ってしまった。
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