3・目覚め
目を覚ました時、一番初めに叫ぶだなどとレジーナには初の体験だった。
「大丈夫です、起きました! その気付け薬は大丈夫です!」
医者や薬師だろうか、レジーナの周りにはたくさんの人がおり薬や医療系魔道具を片手に彼女のことをじっと見ていた。医者の一人が持っている魔法薬にはレジーナも見覚えがある。ヴィント王国でも馴染みのあるその薬は、気付け薬としては大変に優秀で意識のない者を覚ます上に状態異常の回復ができるのが売りである。冒険者によく売れるそれはヴィント王国の輸出品としても名高いが、いかんせん不味い。良薬は口に苦しと諭されたとて、できうる限りはお世話になりたくないものである。
「お嬢様が目を覚まされた! 陛下にご連絡を!」
「ご気分はいかがですか、レジーナ様。どこか痛む箇所などございませんか」
「魔力値を計りました所、生命維持に必要な魔力はきちんと残っておりましたが、レジーナ様の元々の魔力値によっては異常があるやもしれません。手足の痺れなどはございませんか」
「だ、大丈夫、です」
「頭の奥が痛むなどは」
「声が出づらいとか」
「問題ありません」
「食欲はどうですかな。お腹が空いたとか、逆に吐き気がするとか」
「いえ、特には…」
大袈裟なことだと思いながら、レジーナは体を起こした。それだけで周りから歓声があがる。重症患者が久しぶりに目を覚ましたと言わんばかりのそれに、そこまでする必要はないのではとレジーナは気恥ずかしくなった。
「あの、本当に大丈夫ですので」
「陛下がいらっしゃいました!」
「え!?」
レジーナは思わずシーツをかき集めた。何せレジーナは既に寝間着を着ている。恐らくは使用人たちの誰かが着替えさせてくれたのだろうが、それは特に重要ではない。いくら婿の候補にあがることさえ嫌がられたレジーナとはいえ、彼女は未婚の貴族令嬢であった。使用人や医者はよいとしても、寝間着の状態を男性に見せるようなはしたなさをよしとはできない。その程度の人並みの恥じらいくらいは持ち合わせている。それでもレジーナのそんな困惑と恥じらいなど考慮されないようで、アランは部屋に押し入ってきた。
「レジーナ!」
「ひえ、はい」
恥じらいなど吹き飛ぶような気迫のアランにレジーナは圧倒されてしまった。幼い時分に悪戯をして怒られる直前のような気分である。魔王と呼ばれ他国から畏れられているアランに対し、それ以上の恐怖を抱かなかったのはアランの声に心配が聞けてとれたからだろう。
「問題は、どこかに不具合はあるか」
「い、いいえ、陛下。ございません。このような姿で大変申し訳なく」
「いい、寝ていろ」
アランはまっすぐにレジーナのベッドの隣まで行くと、流れるように彼女を押し倒した。いや、押し倒したといえば語弊があるだろう。赤子を寝かしつけるかの如き素晴らしい手腕で、レジーナはベッドに横にされていた。そのあまりに無駄のない動きにレジーナは言葉を失った。アランは彼女を寝かせると医者たちを振り返った。
「測定値としては特出した問題はございません。ですが様子を見る必要はあるかと思われます。本日は安静にされた方がよろしいかと」
「あの」
「薬は」
「レジーナ様のお加減を診るに現在は必要ございません。増強薬や補強薬も何かしら副作用が出る危険性の方が高いのでおすすめ致しかねます。ただ天灯す陽時計の使用における魔道士への負担を鑑みるに…」
「だあいじょうぶじゃあ」
やいのやいの騒ぎ立てる医者たちの中から一人、蝶の羽を持つ小さな老人が杖を鳴らしながら歩み出てきた。地位が高いのだろうか、その場にいた医者たちがその老人の為にさっと道を作った。
「儂も測定値を見たがの、なあんも心配いらん。健康体じゃあ」
「しかし、レジーナは倒れた」
「そうりゃあの、こんな若い娘さんがの、知らん国に一人で来させられて。しかもいきなり国王と謁見までして、挙句に秘宝の魔道具を使えなんて言われたら緊張して倒れたくもなるだろうて」
老人はベッドの横に立っていたアランを押しのけて代わりにその場に立つと、レジーナの顔を覗き込んだ。扇のような医療系魔道具をレジーナの顔に翳してその様子を少し見ると、また話し出す。
「うんうん、顔色も悪くない。問題もない。よしよし、よう頑張ったのう、怖かっただろうて。我らが国王陛下は昔から顔が怖くてのう、悪いことを考えている訳ではないのだが、怖くてのう」
「師父」
「その顔じゃあ、その顔が怖い。せめて眉間の皺は取れと」
老人が杖でアランの額を小突くので、レジーナは悲鳴をあげそうにあった。国の最高権力者になんてことを、ご機嫌を損ねるどころの話ではない。最悪目の前で首が飛ぶ。レジーナはどうしたら老人を助けられるのかと必死に考えたが、上手い口上も浮かばず固まることしかできなかった。
「む」
「のう、怖いのう」
「え、い、いえ!?」
「おうおう、良い子じゃあ。人の見かけに騙されてはいかんぞ。人の良さそうな顔をして近づいてくる極悪人なぞ、数えるのが馬鹿らしくなる程におるからなあ」
レジーナの心配をよそにアランは小突かれた額を抑えるだけで、それ以上は何もしなかった。老人はまたレジーナに視線を戻して、今度は彼女の目の下の皮膚を親指でゆっくり下に下げた。
「んー、まあ、何じゃの。顔色はええが、今日はもうゆっくり休むことだの。今後のこととか歓迎会とかは今日はドクターストップじゃ。明日の朝、またじじいが診に来るからの」
それだけ言うと、老人は杖を付きながら部屋から出て行った。他の医者たちもそれに続いて出て行き、部屋にはレジーナとアラン、そして数名の使用人が残った。
「(…これは、どうすれば)」
「…本当に」
「ひゃい…っ」
困惑していた所に話しかけられてレジーナは言葉を噛んでしまった。貴族令嬢ある以前の問題とも言えるその失態に、彼女は赤く染まった顔を隠したが耳や首まで色づいてしまっているので意味はなかった。
「本当に、何ともないか」
「何とも、ございません」
「…良かった」
「は」
「明日、また」
顔を隠したままだったレジーナに、アランはそれさえ注意しなかった。ただ額の髪をよけてそこに口付けを落とすと、そのまま彼も部屋を出て行った。
レジーナは、もう一度失神したくなった。
けれどそう簡単に意識を失うこともできず、ベッドの中で今何をされたのか考え込まねばならなかった。アランが出て行ったことを確認した使用人たちがさっとベッドの周りに集まる。
「お嬢様、お嬢様ご無事ですか?」
「大丈夫ですか、お嬢様。いきなり男性の方から“お守り”を受けるのは驚きますよね」
「お嬢様の健康祈願ですので、あの、きっと陛下は不埒なお心持ではなく」
「健康祈願、ですか」
「はい、ですがメイソン様から進言頂き貰いましょうね。わたくしたちから申し上げておきますので」
「陛下はこう、情操教育が上手くいかなかったというか、いき過ぎたというか。男女の機微が分かっていないというか、悪気はございませんのよ」
「お嬢様、氷菓などいかがでしょう。さっぱりしますわ」
使用人たちの話をまとめるに、先程の額への口付けはヒンメル王国の古来よりあるおまじないであるそうだ。アランはただの親切心からレジーナにそれをし、別段特に色っぽい理由はない。それで良い筈なのに、何だかそう言い切られてしまうとそれはそれで。とまで考えてしまって、レジーナは自分の方が余程不埒であると落ち込んだ。
兎にも角にも、レジーナはこのヒンメル王国でのお役目を果たすことができそうである。そのことにただただ、安堵してゆっくりと息を吐いた。自身の無力さを知ってからずっと重苦しく圧し掛かっていた何かが、微量ではあるがそれと一緒に吐き出された気がした。
無能と言われ続け、後ろ指を指され続けたレジーナにとってこんな風にちやほやと構ってもらえる環境はやはり座りが悪かった。しかし今だけはほんの少しだけ甘えてみようと、使用人が持って来てくれた氷菓を口に含みながら明日からのことを思った。
―――
依然空は明るく、青々と晴れ渡っている。このような晴天はアランの即位の日以来のことだった。天灯す陽時計は未だに多くの煌めく砂をガラスの中に蓄え、さらさらと細やかな音を立てながらそれを消費し発動し続けている。普通の砂時計であれば上部から下部に砂が落ちていくだけあるが、天灯す陽時計は魔力で作られた砂を利用して発動する魔道具である。砂が落ちきる前に消費してしまうので、下部に砂が溜まることはない。
「いやあ、逸材も逸材でしたなあ。まだ晴れていますよ、もしかしたら、いえ、きっとこの調子なら夕日も見れるでしょう」
「夜空とて、あるいは」
「可能性はありますな。砂はまだまだありますし」
アランとメイソンは城の中央の一番高い部屋にいた。ヒンメル王国の最大の秘宝を安置する為だけに作られたこの部屋に入れるのは、ごく僅かの要人だけである。何重にも結界を張る為にあえて狭く作られた室内ではあるが、アランはこの部屋が嫌いではなかった。
「それにしてもレジーナ様に大事がなくて本当に良かった」
「肝が冷えたがな」
「純然たる人族の女性はか弱いと聞いていましたが、あれだけの魔力があればご自身でどうとでもできそうなものですがね」
「師父が、レジーナは緊張で倒れたと」
「ははあ、繊細でいらっしゃるのですねえ」
メイソンは先程まで使用人たちに捕まり散々に叱られたことを思い出した。レジーナが泣いた時に彼が硬直してしまったのは、この後絶対に使用人たちが自身へ文句を言いにくることが分かっていたからである。何せこの国には現在要人の女性が少ない。
先代の女王の退位と共に、隠居すると宣った彼女らは今では呑気に前女王とスローライフを楽しんでいるらしい。そこへ久しぶりにやって来た“お嬢様”である。使用人たちは彼女が来る前から楽し気に準備をし、誰がどの世話をするのか争奪戦を繰り広げていたくらいであった。
これでも自分は王国騎士団の騎士団長なのだけれども、と思わないでもなかったが使用人たちに偉ぶって彼らや彼女らを蔑ろにするようなことは、この王国では禁忌とされている。流石に国王へ小言を言うこともできない使用人たちは、メイソンにあれやこれやと注文をつける。だが、そのような気安い関係性も悪くはないのだと垂れ耳を揺らしながら一人頷いた。
「まあ逆に本題であったほうはあれでしたが、嬉しい誤算でした。呪いと怨嗟の雲を退けられる魔道具はあれど、その魔道具に魔力を込められる魔道士は限られます。…あの方は、生国にてあまり良い扱いを受けていなかったようですし、是非このままこの国に留まって頂きたく」
「それはレジーナが決めることだ」
「そういう風に持って行くのが陛下のお仕事でございます」
アランはそう言ってにこりと笑う部下を丁寧に無視した。この国は呪われている。創られた時からそうであったのだ。そうであっても、彼ら魔族と呼ばれた者たちにとっては住みやすい安寧の地であると皆が口を揃える。しかし純然たる人族がこの国で生活し続ける選択をするのかは甚だ疑問であった。そしてそれを強制してしまえば、過去自身たちの祖先が受けたもとの同じような苦痛をレジーナに強いてしまうことになるだろう。
そもそも別段あてにしていなかった、魔道士の派遣である。ヒンメル王国にだって魔力を多く持つ魔道士は多くいるが、誰一人として魔王と呼ばれるアランでさえ天灯す陽時計をこんな風に作動させることはできなかった。アランの即位の日には前女王とアランが長時間あの小さな椅子に交代で座り続け、それでも三時間ほどしか作動しなかった。もし良い者がいれば、と軽い気持ちで試しに頼んだ派遣であった。正式な外交の元に派遣されたのだから数年はいて欲しいが、その後の身の振り方はレジーナが自身で決めればよいとアランは小さく頷いた。
「…晴れているな」
「晴れていますねえ」
露骨で無茶な切り返しであったが、メイソンはそれを追及はしなかった。二人とも久しぶりの晴天に心奪われて、小さな窓から静かに外を眺めた。
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