2・王との昼食、秘宝の術士
何故に自分はヒンメル国王陛下とヒンメル王国騎士団長と昼食を共にしているのだろう。出されたパンをちびちびと食べながら、レジーナの頭の中はその疑念でいっぱいだった。
有無を言わせず連れて来られた“北の離れ”は光魔法がふんだんに使われており明るく、瑞々しい花が幾つも飾られていて美しい場所だった。来る前に通った渡り廊下から見えた、噂通りの重苦しい雲に覆われた空が嘘ではないのかと思うくらいの空間であった。
席に着くと同時に、わっと大勢の使用人たちが入って来るとこれでもかと料理を山のようにテーブルに並べだしたので、レジーナは驚き過ぎて危うく大声を出してしまう寸前だった。マナーも礼儀もあったものではない給仕の仕方であったが、食事が始まってしまえばその理由はすぐに分かった。メイソンの食べる量と早さのせいである。
騎士とはいえ、そこまで横に大きくないように見える体であるがあの量はどこにしまわれているのだろうと、レジーナは不思議に思った。思ったが何も言えなかった。下品に慌てて食べ進めている訳でもないのに、目の前の山が少しずつ減っていく様は多少の爽快感もあった。メイソンの勢いに隠れてしまっているが、アランの食べっぷりも中々である。この二人は食べ盛りか何かなのだろうか、とレジーナは若干遠くを見つめてしまった。
「レジーナ様、我が国ではこうして王と臣下が食を共にすることは珍しくはないのです。勿論、限られた者だけですが、こういったことにも慣れていって下さいね」
「は、はあ、光栄でございます」
「ですが、先程から食が進んでいないご様子。我が国の料理は口に合いませんでしょうか」
「いえ、とても美味しいです。ただその、申し訳ないのですが少し量が多くて」
レジーナがそういうと、その場にいた者がぴたりと動きを止めた。一瞬にして緊張が走り、レジーナは口を押さえた。
「(しまった。量が多いとはもしかすると、ヒンメル王国では無礼にあたるのかもしれない)」
「この量で、多い」
「も、申し訳」
「何か病でも患っているのか」
「へ」
「誰か医者の手配を」
「只今」
「あ、いえ、あの!」
レジーナは慌ててそれらを静止したが、アランはやはり表情こそ変えないものの疑わし気な目で彼女を見ていた。メイソンや使用人たちも病人を労わるような視線を寄こすものだからレジーナは大変に居心地が悪かった。
「大変申し訳ないことでございますが、病気ではなく、わたくしは一度にこの量を食べることはできなくて、ですね」
慌て過ぎて言葉も敬語も滅茶苦茶になっていたが、とりあえずこの場を取り繕わねばなるまいとレジーナは必死だった。怒りを買った訳ではなさそうであるが、それでも悪戯に心配させるもの良くはない。どうすれば伝わるのかとレジーナはもう泣きそうになった。そこへ使用人の一人が歩み出る。
「陛下、恐れながら発言の許可を頂きたく」
「申せ」
「お嬢様は純然たる人族でいらっしゃいます。かの種族の女性はあまり多くの食物を必要としないと聞いたことがございます」
「しかしこれでは、一角兎の方がまだ食べますよ。本当にどこか体調不良などございませんか?」
「ございません。ご心配をおかけしまして、大変申し訳なく」
「…ならば良い、何かあれば言うように」
「か、畏まりました」
緊張した空気は解かれたが、何やら視線を感じてレジーナは一層緊張をしながら食事を行う羽目になった。使用人たちがこそこそと「どうやって栄養をとらせれば」とか「量の調節と、人族の傾向を調べねば」とか言い合っていたのは幸いにも聞こえなかった。
その後、緊張の昼食会は何とか終わったが、レジーナはその席で自身の無能さを伝えることができなかった。あんなに重要人物のような扱いを受けるとは思ってもいなかったのだ。きっとすぐに失望されて、今までのようになるのだったら初めからこんな扱いなど知らない方が良かったのにとレジーナは身勝手に嘆いた。
昼食会後、メイソンは食休めを提案してくれた。仕事の関係上、レジーナは王城に留まることが決まっていたらしくその為に整えられた一室に案内された。知らない空間ではあったが、要人たちと離れやっと落ち着くことができたレジーナは長く長く息を吐いた。ずっと緊張していることは自覚していたが、思った以上に心身が強張っていたようだった。
「まあ、お嬢様。お疲れですか?」
「ご無理をなさらず、どうぞ横に」
「初めての空間に緊張をなさるのは当然です。お邪魔でしたら、我々は隅の方に下がりますので」
「い、いえ、お気になさらず」
「ハーブティーはいかがでしょう、きっと落ち着きますわ」
「寒くはありませんか、ひざ掛けなど」
「あの…。…。はい、では」
「ええ、只今お持ち致しますわ」
レジーナは男爵令嬢とはいえ貴族の娘である。階級は最下級ではあったが、金銭に困ったことはなかったので使用人も小さい頃から多くいた。であるから、使用人が自室にいるのは別段に困りはしない。困りはしないが、何だろうか。この国の使用人は何だかとても世話焼きのように感じる。
使用人たちは全員“純然たる人族”ではないようだった。メイソンのように獣の耳と尻尾を持つ者、蝶のような羽を持つ者、耳が尖っている者や幼児のように体の小さい者もいた。そのような人のことをヴィント王国やその他の国では“魔族”と呼んだ。特に獣の耳と尾を持つ者を獣人族、蝶の羽を持つものを妖精族などと分類はしているものの、結局は何かが“交じった人族”として“魔族”と呼ばれ一括りにされている。そしてそうした“交じった人族”は“純然たる人族”より身体能力が優れていたり、知的能力が高かったりする。長い歴史の中でそのような人々は迫害に遭い、それを避ける為にこのヒンメル王国を作ったと言われていた。
そんな歴史のある中でヴィント王国は比較的にヒンメル王国と良好な間柄にあった。ヴィント王国の始まりも魔道士たちの寄り集まりであったが、それは他の人族からの迫害から逃れる為だったとも伝えられている。成り立ちが似ている両国は、交流をしたり断絶したりを繰り返しながら今に至るのだ。この辺りはヴィント王国では歴史の教科書に載っている範囲だ。しかし“純然たる人族”が全くいないのも不思議なことだ、先日吸収された筈の亡国にいたそれらの人々はどうなったのか。
「(…考えてもきりがないことは止めましょう。今は自分の心配をせねば)」
レジーナは服の上からまたブレスレットをなぞった。あんなに出て行きたいと思った国であったが、既に自身の館と慣れ親しんだ人たちが懐かしく何とも言えない気分である。
「(この、甘えた思想をどうにかしないと)」
レジーナは深呼吸をして、ハーブティーとひざ掛けを持って来てもらった礼を言った。そしてどのようにして、国王陛下に真実を告げるべきかだけを考えた。
どれくらいそうしていただろう。使用人たちがあれやこれやと世話を焼くので、それを躱しつつあるいは受けつつ考えているとレジーナの部屋にメイソンが現れた。
「レジーナ様、落ち着かれましたか。そろそろこの国でのお役目の話を致したいのですが、いかがでしょうか」
「勿論、只今参ります」
「慌てずとも問題のないことです。お疲れでしたら明日でも」
「いいえ、問題ございません。すぐに参ります」
使用人たちは「お嬢様はやっと落ち着かれた所でしたのに」とメイソンに文句を言っていたが、ここでじっとしておく訳もいかなかった。それに、もしそのお役目がレジーナにできないことであれば、あれだけ考えた自身の無能さについても彼女が語る必要もなく悟ってもらえるだろう。レジーナは素早く立ち上がりメイソンに付いて、部屋を後にした。
先程通された北の離れとは違う廊下を長く歩き、その上で螺旋階段を昇らなければならなかったのは少しだけくたびれてしまった。けれどレジーナは深窓の姫君のように、部屋に閉じこもってばかりではなかったので何とか付いていくことができた。階段は城の中央の一番高い所に続いており、その部屋の中にレジーナのお役目があるそうだ。
「こちらです、よく頑張りましたね」
「は、はあ、いえ…大丈夫で、す」
「ええと、次からは何か乗り物でも用意しましょう。移動魔法の陣を敷くには安全上難しいので」
「お、お構いなく」
肩で息をしながらレジーナは最上階のカーテンが締めきってある部屋に通された。その小さく天井の高い部屋には既にアランがいたが、中央に鎮座していた高い天井に届きそうな大きなガラスの瓶のような物にレジーナの視線は奪われた。どこかで見たことがあるような既視感を感じながら、レジーナはそのガラスをじっと見つめた。
「これは、我が国の秘宝。“天灯す陽時計”」
「あま、ともすひどけい。…あ、砂時計の形をしているのですね」
「その通り、中に砂が入っていないと何か全然分からないですよね。自分は初めて見た時、瓢箪のガラス細工だと思いました」
「メイソン」
「これは失礼を」
アランがメイソンを制し、天灯す陽時計の下部を指し示した。そこには一人掛けの小さな椅子がちょんと置かれていた。一見不釣り合いに感じそうなそれは、その大きな秘宝とこの部屋の為に設えたようにぴったりと合わさっている。
「レジーナ、貴女には日に何度かあの椅子に座ってもらいたい」
「座るだけで、ございますか」
「お座りになれば分かりますので、どうぞ試しに」
「は、はい」
理解はできなかったが、だからといって断ることもできない。レジーナは恐る恐るその椅子に近づいた。座ることがお役目なのか、それとも座って何かをすることがお役目なのか。あるいはこの椅子に座ることによって何かが起きてしまうのか。何があっても逃げ出すことはしないと、レジーナは覚悟を決めて腰かけた。
「これは」
「…」
「え、え?」
「驚いた、大当たりを引きましたな」
「…全くだ」
「え?」
レジーナが椅子に腰かけた途端、砂の擦れる音がした。かなりの大きな音に驚いてレジーナが音のする方を振り返ると、空っぽだった天灯す陽時計の中に大量の砂が入っている。どういう仕組みかは分からないが、レジーナが座ったことに反応したらしいことだけは理解できた。
「ええと、これは、その」
「天灯す陽時計の砂は、魔道士の魔力だ」
「え」
「魔力を持つ者がその椅子に座れば、その者の魔力が伝わりこの陽時計の中に砂として蓄積されます。そして、この陽時計が動き出せば」
メイソンがおもむろに小窓のカーテンを開く。
「我が国の国土に晴天が輝く!」
レジーナは驚いて声も出せなかった。確かに小窓の外は明るく、太陽の陽が差している。先程、北の離れに行った時に彼女が見た曇天はどこにも存在していなかった。青々とした空に薄く白い雲がかかって美しい。天候を操るような強力な魔法具にレジーナは慄いた。しかし。
「わたくしのお役目は、これで、果たせているのでしょうか」
「果たせている、なんてものではありませんよ! 素晴らしい成果です! ん? 成果、成果か? まあ何でもいいです、とにかく素晴らしい!」
「これだけの魔力が注げるのであれば、一日に一度で構わないな」
「そうですね。あ、ご気分が悪くなってはいらっしゃいませんか。魔力がとられ過ぎてしんどい、と、か…」
メイソンはレジーナに問いかけながら固まってしまった。小窓の外を眺めていたアランもそちらを振り向いて固まる。レジーナが音もなく大粒の涙を流していたからである。
レジーナは嬉しかったのだ。無能なのだ無駄な魔力だと揶揄われ、蔑まれたレジーナがやっと何かしらの役に立てたと歓喜した。仕方がないのだと諦めていた。どんなに努力してもできないものはできないのだと諦めていた。それでも自身に期待してくれた両親やその友人たちに申し訳なくて情けなくて、諦めきれずに魔法学を端から覚えたが覚えた所で使えなければ意味がなかった。
こんな所で泣いてしまうだなんて、と慌てて涙を拭って止めようとしても止めようとする程に溢れてきてどうしようもなかった。急いで取り繕わねば、口を開こうとしても溺れている人のように言葉にならない。
しかし、慌てていたのはレジーナだけではなかった。
「あ、あの、陛下。これは、え、あの? きゃあ!」
アランは硬直から抜け出すと、何も言わずにレジーナを抱き上げた。ほんの僅か眉を寄せて未だ固まったままのメイソンを置いて部屋を出る。レジーナは悲鳴を上げてしまったが、国王に離せと言う訳にもいかず上手い切り抜け方も思いつかずでなされるがままである。間近に美しい横顔があるのも分が悪く、レジーナの心臓は今にも胸から飛び出しそうなくらいに騒いでいた。
「え、え? き、きゃああ!」
部屋から出たアランはレジーナを抱えたまま、やはり無言で螺旋階段から飛び降りた。風魔法を発動させてゆっくりと階段の始まりに着いたが、レジーナは驚いてアランの首に抱きついたままだ。既に涙は止まっていたが、今日は本当に驚くことが多すぎるとレジーナは別の意味で泣きたくなった。そんなレジーナを他所にアランは息を吸い込む。
「医者を呼べ!」
アランが声の限りに叫んだので、レジーナの耳には金属音が響いた。その声を聞いた使用人たちが走り込んで来るのを横目でぼんやりと眺めながら、レジーナは気を失った。
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