16・本当の始まり
『どうしてヴィント王国がレジーナ様の魔法のことや動向を知っていたのか、不思議に思いませんでしたか』
結婚を二ヶ月後に控えたレジーナは様々な課題と仕事をこなしながら忙しくしていた。しかしそこに苦はない。この努力は報われ、労われている。そして何よりアランと、そのアランが治めている国の為であるのならば比喩でなく何でもしてみせるとレジーナは思っていた。慣れ親しんだ者とまた会えるようになったのも大きかったが、彼女は今 熱意に溢れていた。
あのお披露目会の騒動が治まって数日後、メイソンは十数名の純然たる人族を連れて来た。レジーナの両親の友人たちと昔からヴォルケ男爵家に仕えてくれた人々だった。
『レジーナ様が来られてからすぐに彼らとは連絡を取り合っておりました。皆さんあの国のやり方にはご不満でいらっしゃったようで、快くご協力頂きまして大変助かりました』
様々な耳障りの良い言葉で飾った話の内容はつまりこうだ。
ヴィント王国からレジーナがヒンメル王国に行った後、彼らは国王に直接レジーナを連れ帰すよう陳情書を出した。彼らはそれが許される高位魔道士たちだったが、それは形だけの議会にかけられてすぐに却下された。そんな中、ヒンメル王国は彼らに接触した。
ヴィント王国の裏事情とヒンメル王国の実情をすぐに理解した彼らは、いうなれば間諜として動いてくれた。彼らがヴィント王国に嘘の情報を流し、ヒンメル王国へ内情を渡してくれたおかげで事は随分とスムーズに進んだ。ちなみにヴィント王国はあの騒動の後、三日も待たずに無条件降伏をしている。
『あんなおぞましい国で一生を終えていたかと思うとぞっとする。老い先短い我らだがこの御恩、決して忘れずヒンメル王国に仕えよう』
腐敗した貴族制に嫌気がさしていたのはレジーナに近しい人ばかりではなかったので、そう言ってヒンメル王国に寝返った人も少なくなかった。以前は呪いと怨嗟の雲のせいで純然たる人族には厳しい環境であったヒンメル王国であったが、現在はレジーナが天灯す陽時計を毎日作動させているので問題はない。元々ヒンメル王国は多種族が寄り集まった国家であったから、皆 自分に合う自治地区を探すことができた。また前女王退位時に大量退職していた王城の文官の補充ができ、メイソンは仕事が減ったと喜んだ。(前女王退位時には騎士団の欠員は多くなかったものの、であるから少なくなった文官の仕事まで肩代わりをさせられていた。)
何もかもが順調なようで、しかし問題も山積みであった。そもそも大国の国王の結婚式の準備期間が三ヶ月というのはおかしい。あのお披露目会であっても大変だった準備がその比でないくらいに多い。前回は長やその側近くらいしかいなかった招待客は二倍三倍と膨れ上がっている。しかも今回は国外にも招待状を出さねばならない、そしてアランは前回のように喋らないだろうからレジーナは会話のストックも用意せねばならないだろう。
ドレスも一着では済まされないようで、最低で五着と言われ本当に急いで決めたのだ。フルオーダーの為に悠長に悩んでいる暇もなかったが、お針子たちに三ヶ月で仕上げてくれと無理を言うのだから仕方がなかった。正直どんなものを頼んだのか、レジーナはその詳細を覚えていない。レジーナよりもむしろ使用人たちの方が、流行りはおさえてくれとかドレスの型と色はどうだとかいうのを、お針子たちと話し合っていたので大丈夫だとは思う。
更に次期国王の件。ヒンメル王国の次期国王はアランが国王に即位したその日に既に決まっていた。次期国王は便宜上王子と呼ばれ、本来ならすぐに王城へ連れて来られる。しかし王子は件の誘拐事件における被害者の一人だった上に、孤児であった。誘拐される時に親を殺されたらしく、人に、特に大人に嫌悪感を持ち手が付けられない状態であった。その為に現在は前女王のお膝元で療養中であったが、結婚式後には王城に移ることになっている。前女王がアランの親代わりであったように、アランは王子を育てなければならない。
その他にも多くの問題と課題があったが、レジーナはそこまで考えて窓の外に目を向けた。
「(昔から明けない夜はないと言いますが、今日もよく晴れている)」
レジーナは歴代の王妃と王配たちが使った執務室を与えられていた。まだレジーナだけで決裁できる案件は少なかったが、しかしまだ正式に王妃にはなっていない彼女にサインをさせる所が若干恐ろしく誇らしくもあった。
「(考えなければならないことも、やらなければいけないことも多いけれど、でも。…悲観をしていないのが不思議)」
全く根拠のない自信のようなものを感じて、レジーナは困ったように笑った。彼女は決して楽観的な考え方をする人ではなかった。むしろ一番に悲惨な状態を想像して、起きてもいないことに頭を抱えるような人だった。そしてそれよりも少しだけましな現実に慰められるようなことばかりしていたし、それを自身でも理解していた。それでもレジーナの背はぴんと伸びて、不安を感じているようには微塵も見えなかった。
「レジーナ」
「…アラン様」
控えめなノックの後にアランが入室してくる。昼食も済ませているし、お茶の時間には早い。国王たる彼が自身で伝えねばならない仕事などもない。では何の用なのかと、レジーナはもう聞かない。
「また いらしたのですか。そろそろ閣下が怒ってきますよ」
「…」
「ふふ」
アランは黙ってレジーナを抱きしめ、レジーナは笑ってそれに応えた。アランは最近、少しでも休憩があるとレジーナの執務室に現れる。その度にアランは無言で抱擁を求めたので、それを受け入れることにレジーナはもはや慣れていた。
「お疲れですか」
「…レジーナも私と同じ部屋で仕事をすればいい」
「アラン様が仕事をしなくなるから駄目だ、と言われたではありませんか」
「する」
「うふふ、それに関しての信頼が無いから駄目ですね」
「駄目か…」
アランは愉快そうな雰囲気で、レジーナのつむじの辺りに顔を埋めた。レジーナはそれをくすぐったがって身を捩ったが、それ以上に離れようとはしない。それがただただ嬉しかった。
アランにとってレジーナは初め、ただ自身を恐れない珍しい人間というだけだった。確かにアランは羊の獣人であったが、耳や尻尾が無く角だけにその特質が現れるくらいに獣の質が低いのだから仲間がいなくては寂しくて辛いとまでは感じない。
前女王の時代、まだ王子であった頃に自身を憐れむ視線があったことには気付いていたが、アランはさほど苦痛は感じていなかった。少ないがメイソンを筆頭にアランを恐れない人は前女王が退位した後でもいたのだ。別段、どうしても配偶者が欲しいとは思っていなかった。むしろ何度か行われたお見合いで、まるで生贄かのように顔を青ざめる娘たちを見る方が余程辛かった。生まれ持った魔力は少なく見せることはできても、実際の量は減らない。それに恐れをなすのであれば、誰であっても無理に近寄る必要はないと考えていた。
レジーナは確かにアランに匹敵する魔力を持っていた。だからこそ初見で彼を恐れなかったのだろう。普通の娘であれば、近寄っただけでその魔力に威圧され倒れてしまう者もいるのだ。アランもメイソンも口にも顔にも出さなかったが、初対面で本当はかなり驚いていた。エスコートをしたのは、どういう反応を示すのか見てみたかったからだ。レジーナは緊張しただけで、そこには恐怖も嫌悪もなかった。
では、だから愛したのかと問われれば、きっかけではあっただろうがそれも違う気がする。違う気はするが、それをいちいち考えるのも野暮だろう。何よりも今、アランはレジーナが腕の中にいる幸せを噛みしめたかった。
「休憩はどのくらいです?」
「三十分」
「…十分くらいですか?」
「三十分」
「アラン様、わたくし貴方の嘘は分かりますからね」
「…」
「もう、お子様のようなことをなさってはいけませんよ」
レジーナはくすくすと笑いながらアランの胸に頬を寄せた。こんな風に人に抱きしめられて、じゃれ合う日が来るなんて思ってもみなかった。ずっとあの国で惨めに静かに生きていくのだと思っていた。あの頃にだってレジーナを大切にしてくれた人はいた。もしかするとこれからの苦労は、あの頃と比べ物にならないくらいに大変かもしれない。それでもこの温もりを貰えるのなら、レジーナは何度だってアランを選ぶと即答ができた。
「レジーナ様、失礼致しま、あ、国王陛下! 侍従の方が探されていましたよ!」
またノックの音が聞こえて、レジーナ付きの文官が書類を手に入ってきた。最近では何の力も持っていない文官でさえもこんな風にアランに気安く接するようになった。見つけられたアランが嫌そうな雰囲気でそれを無視するので、レジーナはまた笑ってしまう。王城の使用人も文官も騎士たちも、もうアランがレジーナに張り付いて離れなくなることに慣れてしまっているのでこんなことでは驚かなかった。
「はい、アラン様。休憩は終わりです、執務室にお戻り下さい」
「…」
「駄目ですよ、聞き分けて下さらないとお茶の時間もなくなってしまいます」
「…」
「お茶の時間にはわたくしがお迎えに参ります。ですから、ね?」
よしよしと背を撫でると、アランはやっと少しだけ身を離す。気を利かせた文官が静かに退出したのを確認して、軽く唇を合わせた。
「レジーナ」
「はい」
「愛している」
「わたくしも、愛しています」
「…結婚式が終われば、少しゆっくりできる」
「ふふ、楽しみにしております」
読んで頂きありがとうございました!
これにて一章完結となります。本当はずっと王子を出したかったのですが最後まで出てきてくれず、二章が書ければ王子に出てきて貰いたいと思っています。
アランは本当にくっつくのが大好き。種族的な本能的な感じですね。今まではなくても大丈夫だったけれど、レジーナが怒らないならずっと抱っこしていたい。
羊の獣人が沢山いる地方では同性異性関係なく、友だち同士でも手を繋いだり肩を組んだりが当たり前。とにかく集団でいるのが好き。羊のくっついてる写真は可愛いと思うんで、よければ検索をかけてみて下さい。羊の獣人は顕著であるけど、くっつくのが好きな獣人は結構いる。
レジーナの生国にはあまり無い文化だったので、初めは心臓が飛び出るくらいに驚きましたが慣れました。必要とされているのが何より嬉しい。
レジーナの両親は優秀ではありましたけど、レジーナ程の魔力は持っていませんでした。沢山討伐依頼受けて疲れていた所に、ちょっと強いモンスターが出て帰らぬ人に。多少の慢心もありましたが、一番悪いのはレジーナの両親にばっかり頼んでた偉い貴族たち。両親はどうしても断れない立場でした。
魔力量だけを比べるならレジーナ〉アラン〉前女王〉越えられない壁〉メイソン、レジーナの両親、両親の友だち〉越えられない壁〉その他大勢ですね。
評価、誤字脱字訂正ありがとうございます。大変助かっております。
21/8/8日間異世界(恋愛)ランキング20位にお邪魔しました。皆様のおかげです。評価ありがとうございました!
21/8/19サブタイトル加えてみました。お察しの通りのネーミングセンス()。
ここまで読んで頂きありがとうございました!




