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11・過去の辛苦と愛の庇護

『なあ君、ヴォルケ家から手紙が届いたって聞いたぞ。まさか婚約の打診だったんじゃないだろうな』

『それがさ、そのまさかなんだって。本当にふざけているよ、あの家に婿入りするくらいなら農民になった方がまだ救われるさ』

『おいおい、さすがに言い過ぎじゃないかい? 花も恥じらう乙女に対してさ』

『ニヤけているぞ、他人事だからと酷い奴らだ。財産とあの魔力は魅力的だがな、もし僕の子どもにまであの才能が受け継がれたら可哀想じゃないか』

『はは、魔法が使えない才能?』

『確かに可哀想だ』

『その辺にしておけよ、確か今日は彼女も来ていた筈だ』

『ああ、いつも通り一人ぼっちで』

『お可哀想なことだ、ご両親が立派だったのが更に惨めだな』

『だからと言って巻き込まないで欲しいよ』

『確かにそうだ』



 ああ、これは夢だ。そう自覚できる空間でレジーナは綺麗なドレスを着て立っていた。遠くに見える貴公子たちの声が耳元で聞こえる。



『あらあの方、ヴォルケ家の…』

『レジーナ様ね、ふふ、とっても素敵なドレス』

『ドレスだけね。誰からも手をとって貰えないなんて可哀想』

『今日もまた壁の花になるだけなのに、どうしていらしたのかしら』

『御恩情でしょう? こちらの伯爵様とご両親の仲が良かったから』

『まあ、伯爵様もお優しいこと』



 伯爵が優しい? そうでしょうとも。あの伯爵は定期的にレジーナを呼んで、嗤いながら「現実を見て慎ましやかに生きなさい」と丁寧に教えてくれたのだから。それに伯爵は特にレジーナの両親と親しかった訳でもない。多忙な両親をわざわざ呼びつけ、素晴らしい魔道具が手に入ったと自慢をするのが好きだっただけだ。その三流品を褒めたたえねばならなかった両親は、毎回うんざりしながら伯爵の館に通っていた。



『全く、ガレス教授にも困ったものだよ。ヴォルケ家のご令嬢を研究室に入れたいなんて』

『パール先生も似たようなことを仰っていた。いくらご両親と御懇意にしていたからといって、彼女に何ができるというのか』

『ご令嬢の為にもならんよ、魔力だってまともに込められないんだろう?』

『宝の持ち腐れだよなあ、どうにかあれを使えないものか』

『そうか、実験体としてはよくよく使えるかもしれんぞ』

『馬鹿を言え、一応はご貴族様だぞ』

『しかしあの方は貴族社会でも持て余されておいでだろう。それなら世の為人の為に人身御供くらいされてもいいんじゃないのか』

『全くだがな』



 場面が変わったかと思えば、レジーナは簡素な服を着て教科書を抱えて廊下に立っていた。あれは両親の友人たちが勤めている大学校の研究者たちだろう。その通りだとレジーナは頷いた。



『何故レジーナは魔法が使えないんだ』

『まだ調べていないことがあるはずよ』

『絶対にそうなんだ、そのはずなんだ。だがもうこの国の書物では』



 ああ、もうそんなに悩まないで。



『お嬢様が何をされたと言うの! 魔法が使えないからってなんです! 何故あんなにも馬鹿にされなければならないの!?』

『旦那様と奥様が死んだ途端に何て不義理な。どれだけあの方々が我が国をモンスターから守ったか忘れたのでしょうね、その一人娘である方にあんな暴言を…』

『皆、気をしっかり持つように。旦那様と奥様とてお子様を一人遺されてどんなに無念だったか。我々がお嬢様をお守りしなければならない』



 そんな風に思い詰めないで。ごめんなさい、何もできなくてごめんなさい。


 見限られた方が余程 楽だったかもしれない。レジーナはいつの間にかヴォルケ家の自室でしゃがみ込んでいた。ベッドの脇の小さなスペースに納まるのが、子どもの頃はお気に入りだった。成長した後もそこはレジーナの秘密の場所だった。しかしたとえ昔からいる使用人であっても、さすがにこんな子どもみたいな真似を今でも続けている所を見せる訳にはいかない。絶対に誰も入室して来ない深夜に一人でこっそりとその場に納まり、小さくなっていれば他の何からも隠れられている気がした。


 夢であるのなら、もっと楽しかったことを見せてくれれば良いのにとレジーナはため息を吐いた。楽しかったことが全くなかった訳ではないのだ。幼かった頃は何の憂いもなく愛されていたし、両親が生きていた頃はピクニックだってよく行った。両親が死んでしまった後だって使用人の人たちと一緒にお菓子を作ったり、ガーデニングをしたりした。両親の友人たちが持って来てくれるお土産話はどれも興味深かった。辛いばかりではなかった、決して。それなのに、耳にこびりついているのはこんな言葉ばかりなのか。レジーナは自分自身に失望した。そうしてぎゅっと膝を抱いた。



「―――ジーナ様」

「レジーナ様、朝ですわ」

「本日は珍しくお寝坊ですのね」



 ぱちりと目を開けると、そこはレジーナが生まれた時から慣れ親しんだ自室ではなかった。天井はヴォルケ家の館の自室より高く広かった。夢だった、夢だったのだ。知ってはいたけれど、ひどく、怖かった。全身が汗でじっとりと湿っているのが不快で仕方がない。早く着替えようとレジーナは身を起こした。



「おはようございます。すみません、寝坊を」

「おはようございます、レジーナ様。そんなに仰るほどの時間ではないのですよ」

「いつもよりは遅いというだけで…。あら?」

「今日は先に着替えを」

「ええ、お着替えは致しましょう。ですが、レジーナ様。顔色が悪うございます」

「本日はお休みになさいますか?」

「まさか、起きたばかりなのですから。…ちょっと夢見が悪かっただけで何の心配もございません」

「ですが…」

「お疲れがでたのかもしれません。念のためにお医者様を」

「大丈夫です、ね。本当に元気ですから」



 レジーナがあまりにも頼み込むものだから、使用人たちは顔を見合わせて暫く悩んだ。アランかメイソンに報告してベッドに押し込めることも可能であったが、ここまで嫌がっているレジーナにそれは酷だろう。



「…分かりました。ですが何かございましたら絶対にすぐにお休みくださいませね」

「はい、あ、今日のお化粧なのですが、血色が良いようにして下さいますか? 陛下にご心配をおかけしたくなくて」

「(絶対にバレると思う)畏まりました、そのように致しましょう」

「(一瞬でバレると思う)では、まずお着替えを」


―――


「あの」

「…」

「アラン様」

「…」

「起きて下さい…!」



 出会った時にアランがいた書庫で、レジーナは眠る彼に抱きかかえられていた。ここはアラン専用であり休憩室も兼ねている。仮眠用で背もたれが緩やかに倒れている大きなふかふかの椅子は、体格の良いアランの上にレジーナが乗っていてもその安定感を損なわない。



「アラン様…」



 レジーナが何度呼び掛けてもアランは起きない。どうしてこの体勢で眠ることができるのだろうかとレジーナは不思議で仕方なかったが、何の問題もないかのように眠り込んでいる。もう慌てるのも恥ずかしがるのにも疲れたレジーナは、半分くらい諦めてどうにでもなれとアランの胸に頬を付けて目を瞑った。


 使用人たちが丁寧に化粧をしてくれたので、レジーナは指摘された顔色の悪さをしっかりと隠せていた。いつも通りに迎えに来てくれたアランにもいつも通りに挨拶をして、天灯す陽時計の部屋へ向かった。向かう途中、いつもの階段で抱き上げられてしまったがレジーナが抗議しても聞いては貰えなかった。それでもそれ以外はいつも通りに天灯す陽時計に魔力を込め、アランと共に朝食を食べた。さて、ではいつも通りに勉強の時間であると席を立とうとしたレジーナは、しかし立つことができなかった。


 見えない何かに押さえつけられているような感覚で、レジーナはどうしても立ち上がることができない。レジーナがちらりと横を見ると、彼女をじいと見ているアランと目が合った。どんな魔法であるかは分からないが、これはアランが何かしらしているようである。そしてレジーナが止めて欲しいと言う前に、アランはまた彼女を抱き上げて書庫に連れて行き、何を思ったかそのまま椅子に座って寝始めた。ここまで誰もアランのことを止めてはくれなかった。


 目を瞑ったはいいが、そんなに簡単に眠れるものではない。せめてここに束ねの書がいれば話し相手になってくれたのにと、レジーナはどうしようもないことを考えた。しかしどうしてだか、朝に目覚めた時の不快感は消えている。もしかすると、いや恐らくアランはレジーナの不調を見抜いてこんなことをしたのだろう。不調という程の不調ではなかったし、所詮はただの夢であるのにいらない心配をかけてしまったとレジーナは少し落ちこんだ。



「レジーナ」

「ひえああ」



 眠っていると思っていたアランからいきなり話しかけられて、レジーナは驚きを隠せなかった。彼女が自分でもどこから出したか分からない甲高い声が静かな書庫に響いた。



「…すみません、ちょっと驚いてしまいまして」

「眠れないか」

「え、ええ、その…。そうですね、あまり眠たくはないです」

「気分は」

「良くなりました」

「無理はするな」

「…はい」



 アランは目を瞑ったまま、レジーナの頭を子どもにそうするように撫でた。



「少しだけ、あの、嫌な夢を見ただけなんです。…それだけなんです」

「そうか」

「もう、何ともないことなんです」

「もう一度、眠ればいい」

「え?」

「良い夢を見るまで眠ればいい」



 さすがにそれは、と断ろうとしたレジーナの背をアランがぽんぽんと叩きだす。レジーナはふと意識が遠のいていくのを感じるが、こんなに早く眠気が襲ってくるなんておかしい。また何か魔法を使われていると気付いた時にはもう、レジーナは目を開けていられなかった。


 アランはすんなり眠りに落ちたレジーナを椅子に寝かせてブランケットをかけた。防衛魔法を覚えさせるのが先か、防衛魔法の魔道具を身につけさせるのが先か悩みながらアランはレジーナの髪を梳いた。彼女の付けているブレスレットは一時的な攻撃魔法には対応できるようだが、こういった催眠魔法には効かないようである。良さそうなものを取り寄せても良いが、作っても良いかもしれない。都合の良いことにヒンメル王国にはその手の職人が多くいる。あどけない寝顔をじっと眺めていると、自身でも何をしでかすか不明であるのでアランは額に唇を落とすだけに留めて読みかけだった本を探しに行った。


 アランが隣で読みかけだった本を読み終えた頃、レジーナは目を覚ました。何とも悲惨な顔色だったのが大分良くなっている。化粧で誤魔化していたようであったが、仮にも獣人の目と鼻を騙そうというのであればあれでは足りないことをレジーナは知らない。



「良い夢は見れたか」

「いえ、夢は、見ませんでした。でもやっと夢から覚めた気がします」

「…?」

「起きて、やらなくちゃいけないことが沢山あって、夢なんかに気をとられている場合ではないというか。…上手く言えないのですが」

「気分が晴れたのなら、それでいい」

「あの、ご迷惑をおかけして」

「迷惑ではない」

「…ありがとうございます」



 レジーナはまだ寝ぼけているようでふわふわと微笑んでいる。彼女にとって、アランの傍はもう既に安心できる場であった。悪夢で見たようなことは、もう今後は起きないだろうことを確信できた。起きたとしても、過去のようにそれを恐れ背を向けることはないだろう。それをじわりと自覚した気恥ずかしさを髪を整えながら取り繕っていると、アランがレジーナの手を握った。



「レジーナ」

「え、あ」

「貴女は少し、男と二人きりであることの危険性を覚えるべきだな」



 手を握られたままお互いの鼻がくっつくくらいに近寄られて、レジーナはまた目を閉じた。

読んで頂きありがとうございました。


 羊の子どもが(多分)親の背中に乗ってる写真を見つけたんですけど、すごい可愛いです。

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