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10・衝動の告白

 あのお出かけの後、レジーナはどうやって城に帰ってきたのか覚えていない。散々に恥ずかしい、いや真摯な愛の告白を受けたけれど、どうとも返せずに固まってしまっただけは覚えている。その後は何をして何を話したのかも曖昧で、けれどずっと抱えられていた気はする。そして気が付けばもう朝であったが、ニヤニヤにと嬉しそうにしている使用人たちに昨日の話しを聞くのは躊躇われた。水を向けたら最後、延々と揶揄わてしまいそうである。



「レジーナ様、メイソン様がお迎えに来られております」

「只今、参ります」



 天灯す陽時計の部屋に行く時間になると、本日はメイソンが一人で迎えに来たらしい。毎日ほとんどアランが来るが今日ばかりは助かった。会いたくない訳ではないが、何となく気まずい。



「おはようございます、レジーナ様」

「おはようございます、閣下」

「その閣下というはそろそろお止めになりませんか、呼び捨てて頂いて結構ですよ」

「それは、ちょっと…」

「レジーナ様は陛下は大丈夫ですのに、自分からは目を逸らしますよね」



 悲しいとメイソンが嘘泣きをするが、それにも最近慣れてきた。アランとのやり取りを見るに、この人は真剣に取り合おうとすると茶化してそれを楽しむ人だとよく分かる。レジーナは目線を外したまま天灯す陽時計のある部屋を目指した。



「所で昨日の逢瀬はいかがでしたか?」

「…ん゛っ!」

「おや、大丈夫ですか」

「だ、いじょうぶ、です…!」

「いやあ、部下からは大変に仲睦まじかったと報告は受けているのですが。…大丈夫ですか?」

「…この話、続きますか?」

「できれば」



 顔を真っ赤にするレジーナを見て、メイソンは心配事が杞憂であったと確信した。アランは未だ、この婚約を頑なに「レジーナが嫌だと言えば、すぐに白紙に戻す」と言ってきかないのだ。惚れ込んだものだと微笑ましくは思うが、それをするのは国にとっても、勿論彼らにとっても危険である。アランよりは、むしろレジーナの方が危険に晒されるだろう。ごねるようであれば釘でもさしておくつもりだったが、特に問題はなさそうなのでメイソンはにんまりと笑った。



「お、逢瀬、というか、昨日は城の外の様子を見せて頂いただけで」

「護衛がいたとはいえ二人きりで、グリフォンに相乗りして外に行く。それを逢瀬と言わずして何というのです」

「…う゛」

「何をそう恥ずかしがるのです。貴方たちは婚約していらっしゃるし、貴女も末永くと仰っていたではないですか」

「それはそうですが、その、何と申し上げればよいのか」

「陛下は良い男でしょう。元から良かったのですが、我々が寄ってたかって仕上げましたからな。どこに出しても恥ずかしくはありませんよ」

「寄ってたかって…?」

「そこは掘り下げない方が良いでしょうな」

「はあ…」

「しかしまあ、あの方は一度懐に入れてしまった者には甘いですから。ご愁傷様ですとしか」

「どういう意味ですか」

「若い騎士などはたまに褒め殺しにあったりします。無自覚ですのでお止めする訳にもいかず。レジーナ様のような特別な女性は初めてですので、どうなることやら」



 メイソンは軽くはは、と笑った。レジーナは照れたら良いのか、慄けば良いのか分からなかった。レジーナとて、男性にこんなにもあからさまな好意を向けられたのは初めてなのである。もうこれは反応した方が負けのようであるので、レジーナは黙々と螺旋階段を昇った。



「おや、陛下。こちらにいらっしゃったのですね」

「ああ」



 どうして、とレジーナは唇を噛みしめた。どうしても何も、アランがこの時間にこの部屋にいるのはいつものことであるのに、レジーナは兎に角誰かに今すぐ文句を言いたかった。



「レジーナ」

「熱はありません!」

「いや、赤い」

「ありませんったら!」

「(名前を呼ばれただけで、何を言いたいのか分かってしまうのだからなあ。さっさと結婚する日取り決めてくれないかなあ)」



 メイソンはわちゃわちゃしている二人を見ながら、のほほんと結婚式の警備体制を頭の中で整えた。


―――


 レジーナがあれ程に思い悩んでいた勉学だが、実のところ教師陣は一切焦ってはいなかった。彼女の熱心さに絆されてどんどん課題を詰めてしまっていたが、差し迫って必要になる訳でもなかったのだ。やはり古代語が習得済みであったことは大きく、教育の全てが今すぐ終了する訳ではなかったが、もう少し余裕を持たせても問題はないくらいにはレジーナは優秀だった。


 更に今度のパーティーはあくまでもレジーナのお披露目会である。その場で必要な知識ならば既に覚えていた。パーティーまでに来賓者名簿には目を通す必要もあったが、覚えきれなくともアランやメイソンがフォローを入れることだって可能だ。そもそも参加者は天灯す陽時計の術者であるレジーナに会いに来るのであるし、初対面であるのだからあちらから名乗るのが慣習である。


 見直しの結果、今までぎゅうぎゅうに詰めていた勉強の時間が少し開いたのでレジーナは奥の書庫へ足を向けた。



【もう! もう! アタクシ寂しかったんだから! 勉強くらいアタクシがいくらでも見てあげたのに!】

「すみません、束ねの書」

【ううう…! 今日は詠唱なしで治癒魔法ができるようになるまで帰っちゃダメなんだから!】

「で、できるかしら…?」

【できるわヨ。簡単よ、レジーナちゃんなら楽勝ヨ】



 束ねの書はレジーナが書庫にやってくるなり本棚から飛び出してきた。パラパラとページを捲り文字を光らせて読めと促す。国王の婚約者としての教育が始まってからは自然と足が遠のいていたので、久しぶりである。いくつかの魔法を試して、ふとレジーナは手を止める。



【どうしたの、レジーナちゃん】

「いえ、何と言うか、夢のようだと思いまして」

【夢?】

「ずっと使えなかった魔法が使えるようになって、皆から必要とされて、こ、婚約者まで、できて。何だか都合の良い夢を見ているようで。…醒めたら、やっぱり自分の館のベッドの中にいて、本当は何にも変わってなんていないではないかしらって」

「これは困る」

【本当にそう】



 束ねの書だけに話しかけたつもりだったレジーナは、驚いて椅子を蹴飛ばしてしまった。静かな書庫に似つかわしくない音が響く。



「ア、アラン様、いつからそこに!」

【え、結構前から】

「―――っ」

【アタクシに怒らないで】



 集中していてアランの入室に気付かなかったレジーナは声にならない声で叫んで、束ねの書を睨んだ。すると束ねの書は、怖いとでも言いたげにふわふわと天井近くまで上っていってしまう。アランは珍しくくっきりと眉を寄せて険しい顔をして、つかつかと歩み寄ってきた。



「結婚を強制しないとは言ったが、あんな国にレジーナを返す気は毛頭ない」

「ア、アラン様、あの」

「…どうか、夢だなどとは言わないでくれ」



 眉間の皺をとったアランはひどく悲しそうな目をしていた。自身より大きな男性に詰め寄られているのだから圧迫感を感じてもいいものを、レジーナの目には親とはぐれた子どもよりも弱々しいものに見えて仕方がない。



「もう、申しません。ですからそのようなお顔をなさらないで下さい」

「…。…帰りたい、のか?」

「いいえ、決して!」



 その問には即答ができた。レジーナはもう、あの国に帰る気は一切なかった。両親との思い出もある、彼女に親切にしてくれた人もいる。けれど自身さえいなくなればそんな人たちも、もっと生きやすいだろうとずっと負い目を感じていた。あの国にはどこにもレジーナの居場所なんてなかった。魔法が使えるようになった今でさえきっとそうだ。過去に彼女を嗤い、そして未来に彼女のような人を嗤う国に帰りたいとはどうしても思えなかった。


 レジーナが胸の内を正直に打ち明けても、アランの気は晴れないようだった。何かを言おうと口を開け、そして言葉にできずにまた閉じてを繰り返している。レジーナももう言葉がでなかった、どうやったら何を伝えられるのかも考えられなかった。もうどうにでもなってしまえと、レジーナは目を瞑ってアランに抱きついた。



「っ、レジーナ」

「どこにも行きません!」

「…!」

「お許し頂けるのでしたら、ずっと、お傍に」

「無理を」

「しておりません」



 自分から抱きついておいて耳が熱くなるのを感じながら、レジーナは腕に力を込めた。恋だの愛だのはまだ理解が及ばない。それでもアランを悲しませたくはなかったし、それ以上にレジーナだって彼の傍にいたいと思っている。そこには決して偽りはないのだ。どうにかしてそれを伝えたくて、痛いくらいかもしれないと思いながらしがみつくと、やっとアランもレジーナを抱き返した。



「強制は、しないと言っておきながら、私は」

「わたくしが、自分で考えて決めたことです。強制されたからではありません」

「いや、貴女がここを出て行きたがる可能性を考えていなかった…」



 アランはそう、呆然と呟いた。メイソンに勝手をするなと、レジーナに強要をすることは許さないと怒鳴りつけておいて、自分が彼女を放す気がさらさらなかったことにひどく絶望していた。そうであるのに、飛び込んできた柔らかさも手放せないで泣けてきそうだ。


 レジーナはその、何とも憐れっぽい声に顔も上げられなかった。どうしてなのか、笑いがこみ上げてきて止まらない。他国からは魔王と呼ばれ恐れられている人なのに、どうしてこうも情けない風になれるのだろう。束ねの書が天井からゆっくりと降りてきて、そんな二人の様子を窺っている。



「…ふふ、良いのではないでしょうか。ないと思います」

【思いますう?】

「ふふふ、ないです。だから、ね? 大丈夫です。…アラン様が望んで下さる内は、ずっとここにおります」

「い」

「い?」

「一生に、なる…」

「…嬉しい」



 心からレジーナはそう思った。自身を、ただ自身だけを求めて貰えるのが、こんなにも幸せであることをレジーナはやっと自覚した。エスコートをされるだけであんなにも緊張していたアランの腕の中が、まるで自分の為の空間であるように感じる。まだ落ち着けはしない、胸はやはり騒がしかったし何やらそわそわとしてしまう。しかし決して嫌なそれではないのだ。



「レジーナ」

「は、え…。…ん」



 名を呼ばれ顔を上げたレジーナの額にアランの髪が触れた。あ、と思う間もなく唇が塞がれる。すぐに離れたそれは感触も何も残していかなかった。



「…」

「…嫌、だったか」

「いや、では」

「では、もう一度」

「あ、う…。ふ…」



 どう返答するのが正しいのか考える間もなく、レジーナの唇は食まれた。ふにふにと弄ばれるような感覚がレジーナの思考を支配して、何かを考えることもできない。酩酊したかのように、しかしそうなっていくのを理解しているのが奇妙でレジーナはただアランの服を握ることしかできなかった。



「ん、んん…」

「…」

【しつこい!】

「だ…っ」



 次第に深くなっていく口付けに混乱するレジーナを救ったのは、束ねの書だった。束ねの書はまるでそういう機能がついた魔道具のように、アランの頭に勢いよくぶつかりに行った。



「ア、アラン様、大丈夫ですか。束ねの書、何を…」

【何をじゃないのヨ! しつこいのヨ! ロマンチックさも足りないのよ! ゼロ点!】

「ゼロ…」

【マイナスじゃないだけ良いと思いなさいヨ! ケダモノじゃないんだから、もうちょっと何とかなさいな!】

「束ねの書、落ち着いて」

「ふ」



 息の抜ける音がして、アランは口を押さえた。くつくつと笑いが溢れて、止まらない。衝動のままに口付けてしまって、それを拒否されなかったのを良いことに理性を忘れるなど、確かにケダモノではないのだからと怒られて然るべきだろう。



「すまない、レジーナ。調子に乗ってしまったようだ」

「いえ、あの、アラン様…」

【んまあ、珍しい。王様、表情筋が仕事してるわヨ】

「む」



 アランの笑顔を初めて見たレジーナは、驚きのあまりまた固まってしまった。喜んでいることも悲しんでいることも分かりやすいアランではあるが、これほどにはっきりと表情を顔に乗せているのを見るのは初めてであった。この美しい顔が笑顔で歪むと少しばかり幼く感じるのだな、とレジーナはぼんやり見惚れてしまった。

読んで頂きありがとうございました。


 キスシーンを見られてもレジーナは何とも思ってなさそうですが、それは束ねの書が魔道書だからです。人に見られたらアウトだけど、束ねの書が魔道書だから恥ずかしくない。いちゃいちゃしてる所をペットに邪魔されるような感覚です。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

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