第四話 初仕事は地獄の始まり
第四話です。
この世界で生きるからにはまずはお金だ。
住む場所はあるとしても元手になるものがなければ元の世界に帰るどころではない。
ナナは気にしないでと言ってはくれているが……同年代の女の子の家に転がり込んだ上に金銭面までの面倒を見てもらうなんて情けなさすぎるので断った。
その代わりに、彼女は知り合いのツテで働き口を紹介してくれるというので、その親切に甘えて俺はこの都市、パワルワでの新生活を始めることになった。
「ユーマ、もうすぐ着くよ」
「結構近いんだな」
ナナに案内され、俺を短期間だけ雇ってくれるという店へと向かう。
そこまでの道中は……まあ、大荷物を片腕で担ぐおばあちゃんがいたり、車も真っ青なスピードで爆走する郵便配達員だったり、そんな混沌とした日常風景が広がっていたけども。
「な、なんだか緊張するね……!」
「なんで君が緊張するんだ……?」
特徴的な赤い髪を揺らしながらそわそわとするナナ。
むしろ、初仕事で緊張するのは俺の方かと思うんだが……。
「だって、ユーマの初仕事だし、うまくできるか不安なんだけど……私、お店で見てていいかな!?」
「君は俺の母親か。大丈夫だって。カフェの接客だろ? そこまで難しいことじゃないし、心配いらないぞ」
心配性だな。
たしかに俺のこの世界では力的には弱いが、さすがに接客で命の危険に晒されることはないはずだ。
……ないはずだよな?
「あ……あそこだよっ!」
ナナが指さした方を見れば、街の通りにオシャレな雰囲気のカフェがあるのが見える。
まだ開店していないのか、扉は閉じているようだ。
「ここ、いつも食べに来てるんだー」
「へぇ、それで……」
「うん。……あ、すみませーん」
閉じた扉からナナが声をかけると、すぐに扉が開かれ優し気な印象の男性が出てくる。
「よく来てくれたね。話は家内から聞いているよ」
「はいっ! あ、彼がユーマです!」
事前に話は伝わっていたようで、にっこりと微笑んだ男は紹介された俺へと向き合う。
「やあ、君がユーマ君だね。僕は店長のグラン。ナナから話は聞いているよ」
「イズハラ・ユーマです。短期間の手伝いになりますが、よろしくお願いします」
グランさんにお辞儀をする。
俺が信頼を損なえば、それは仕事を紹介してくれたナナにも迷惑がかかるということになる。
なので、絶対に粗相なんてするわけにはいかないし、するつもりもない。
「じゃあ、早速おおまかな仕事について教えるから中へどうぞ」
「はい。えぇと、ナナは……」
「私がいるとユーマが集中できなさそうだから、家に戻ってるよ。……頑張ってね?」
天使かな?
応援してくれるナナに心を揺り動かされながら、首を振って我に返った俺は今一度気持ちを入れ替える。
さあ、この世界で自立していくためにまずは最初の一歩を踏み出していこう。
俺に与えられた仕事は元の世界の飲食店のバイトとそう変わらないものであった。
接客に、料理を運んだり、テーブルの上の皿を片付けたりそういうものだ。
「とりあえず、今日一日で慣れてみるといいよ」
「了解です!」
「はは、いい返事だ。その調子で頼むよ」
カフェが開店してから間もなく、一人の客が入ってくる。
ややぎこちなく接客をしてから、空いている席へと移動させた俺はそのまま注文を受ける。
「ダローレを一つ」
なんじゃそれ。
ニュアンス的にコーヒーっぽい何かだと判断した俺は、困惑を顔に出さないように徹する。
「ダローレをおひとつでよろしいですか?」
「ああ、あとは、オムレツをよろしくね」
「ダローレ一つ、オムレツ一つですね。かしこまりました」
オムレツの名前は同じなのか……?
あれか? 言語翻訳的にオムレツはこの世界にあるけど、ダローレなる飲み物は元の世界にもないって感じなのか?
新たな謎に首を傾げながらも、俺は店長に注文を伝える。
「店長。ダローレ一つ、オムレツ一つです」
「いつものメニューだね」
最初の客への対応は今のところパーフェクトと言ってもいいだろう。
最早、欠点を見つけることができないくらいにちゃんと接客できてしまっている自分の才能が怖くなってしまっているが――、
「ハァッ!!」
「ん!?」
今、店長のいる厨房で気迫に満ちた声が聞こえたような……き、気のせいか?
首を傾げながら店内と厨房を繋ぐ窓口から中を覗き込もうとすると、すぐにオムレツの載せられたお皿と、ダローレなる紅茶のような香りを立ち上らせる飲み物が出てくる。
「はっや……!?」
「ユーマ君。トレイはとなりにあるから、それを使って運んでね」
「は、はい」
あれから一分も経っていない気がするんだけど、とんでもない速さでできたなぁ。
感嘆としながらトレイを近くの棚から引っ張り出そうとしたその時、俺の腕に尋常じゃない負荷がかかる。
「ッ、……!?」
おっっっも!!!?
重さにして5キロ以上はあるトレイの不意打ち気味な重さに落としそうになりながら脂汗をかく。
この世界の日常品が普通の重さとは異なっていることをすっかり忘れていたぁぁぁ!?
「も、もしかして……」
トレイをなんとか持ち直しながら、俺はオムレツの載せられた皿に手を添え――その重さを察する。
皿もコップもやっぱり重すぎる……!!
ただの皿とコップなのに、トレイと合わせてとんでもねぇ重さだ。
「ユーマ君? どうかした?」
「い、いへぇ、なんでもありまへん……」
「そ、そう?」
厨房から心配げに覗き込んでくる店長に引き攣った笑みを返す。
お、俺がここで働かせてもらえるのはナナがここを紹介してくれたおかげだ。
こんなところで、ヘマをするわけにはいかねぇ……! ナナへの恩義もあるが、この俺のプライドにかけてここで負けたくねぇ……!!
「……」
なるべく手を震わせないように皿とコップを乗せたトレイを両手で持つ。
重さにして30キロを優に超えるそれを、なんとか客の前へと運ぶ。
前腕に猛烈な負荷がかかり、指と腕の筋肉に逐次電撃が流れているような刺激と負荷がかかり続ける。
「お待たせしました……!」
「おお、ありがとう」
「ごゆっくり……!」
皿とコップを置き、丁寧に応答してからその場を離れる。
客と厨房に背を向け、トレイを棚に戻した俺は、弛緩する両腕を掲げて引き攣った笑みを浮かべる。
「たった一度でこの様か……俺も、弱くなったもんだな……」
いや、かっこつけてる場合じゃねぇ!?
なんで客に料理運ぶだけで米袋一つ分運ぶ体力を消費しなきゃいけねーんだ!?
こんなの一日続けたら――、
「こんにちわー! マスター!!」
「やっぱ、一日の始まりはダローレだよな」
「マスター、いつものー」
からんからーん、と鈴を連続で鳴らしながら店内に足を踏み入れる沢山の客。
店内で、接客をしなければいけないのは俺ただ一人。
加えて言うなら今は朝の七時頃、この仕事の終わりは、午後の十七時頃。
「嘘だろ……?」
絶望のあまり、俺はそれ以外の言葉を口にできなかった。
地獄の職業体験の幕開けです。
次回、職業体験日記回。
次話は、本日中に更新いたします。