蓮は泥より出でて
お待たせしました。
示現は静かに、だが重みのある声で続けた。
「賢志様から『蓮』の姓を賜った際、こう仰せられました。『蓮は泥の中から美しい花を咲かせる。泥の中に捨てられるように王宮を追われたお前だが、今は立派に育ってくれた。同じ境遇にある斉賢の、良き相談相手になってやってくれ』と……」
憎しみの対象でしかなかった父の、知られざる慈愛。斉賢はただ、言葉を失い立ち尽くしていた。
一方、脩璃は冷静に、核心を突く問いを投げた。
「崑王の想いは分かりました。ですが、なぜそれが、我々を鵬国から呼び寄せたことに関係するのですか?」
「……我々を動かしていた背後には、鍾国がいたのです」
その言葉に、脩璃の全身が緊張に強張る。
「当初、賢志様は拒まれました。しかし鍾国の執拗な干渉に抗いきれず、表面上は従うふりをせざるを得なかったのです。その目的は、北狄の侵攻に合わせて鵬王を崑国に足止めすること。そして、北狄の侵攻そのものに、鍾国の影が絡んでいることが判明いたしました」
示現が語る、鍾国と麟国の古き王位継承にまつわる暗部。衝撃的な内容に脩璃と陽明が顔を見合わせる中、一人だけ視線を逸らし、よそよそしく振る舞う者がいた。華鳳である。
「華鳳様、いかがされました? 顔色が悪いようですが……」
阮の問いに、華鳳は「……いや、少し船酔いしただけだ」と短く返した。いつになく余裕のないその横顔に、阮は微かな違和感を覚える。
沈黙を破ったのはオユンだった。
「……ならば、我が父は鍾国という国に踊らされているというのか?」
「「父上!?」」
示現と魯の顔が引き攣る。脩璃は慌てて、わざとらしく頭を掻きながら子供のふりをした。
「あ、実はこのオユンさん、北狄の単于の娘さんなんです。旅の連れにちょうどいいかなと思って……エヘ」
(……この期に及んで子供のふりか!)
一行の心のツッコミを無視し、脩璃は真剣な眼差しで示現へ向き直った。
「賢志様は、自らの命を賭して鍾国の陰謀を暴き、次代の斉賢様に自立した崑国を譲る決意をされました。私が諫めても『私は家族に何もしてやれなかった。せめて王としての生き様をこの命で示したい』と……。そして最後に仰せられました。『牡丹は富貴、蓮は隠君子。ならば我は秋に薫る菊の如く、その残り香を斉賢に残そう』と」
その遺志に、斉賢は拳を固く握りしめ、一筋の涙を零した。
「……すまん、示現。今は、何をどうすべきか整理がつかない。少し時間をくれないか」
俯く斉賢を、示現はただ静かに見守るしかなかった。
◇
その頃、昆命の街を赤が疾走していた。ある酒家に潜り込むと、そこにいた青の前に座る。
「雛鳥が孵ろうとしている。全員、船へ向かわせろ。一人も残すな」
「全員だと? ……ふん、俺たちの主ときたら、どこまでもお人好しだな」
青は呆れたように笑いつつ、その瞳には誇らしげな光を宿していた。
「了解だ。今すぐ全員に繋ぎをつける!」
二人の影は、喧騒の中へ瞬時に溶け込んでいった。
◇
港には、汗明の命を受けた千の増援部隊が到着していた。指揮を執る将軍は、転がる屍の山を越え、楼船の前に立ちはだかる魯の軍勢を睨みつけた。
「指揮官を出せ! お前たちは誰の所属だ!」
「なんじゃ、俺に用か」
魯は斉賢たちに一礼すると、悠然と接岸した部隊の最前線へ降りていった。
「我らは義挙に参加した軍である! 命令によりお前たちを捕縛する、大人しく従え!」
「ほう、命令とは誰の?」
「皇太子(賢帥)様だ!」
「皇太子殿下は陸軍の総大将。水師の我らに指図を受ける筋合いはないな。……して、用件は何だ?」
「第二皇子とその一派を引き渡せと言っているのだ!」
「知らんな。お主の勘違いではないか?」
「しらを切る気かッ!」
「知らんものは知らん。帰れ帰れ」
魯の豪快な「とぼけ」に、将軍の顔が怒りで真っ赤に染まっていく。海を背にした不敵な水軍と、血気盛んな反乱軍。一触即発の睨み合いが始まった。
〝蓮は泥より出でて泥に染まらず〟これは北宋の学者 周敦頤の『愛蓮説』の中の一文です。また、賢志が語った〝牡丹は富貴の人、蓮は隠君子〟というのも同じくここから材をとりました。
私事ではありますが、 本作中において賢志をまるで父の様に慕っていた示現と同じ様に、私が仰ぎ見ていた恩師が今年の1月にご逝去されました。
先生がニコニコされながら愛蓮説のこの一文を私にお話しされていたのを今でも鮮明に思い出します。
駄作ではありますがこの中で恩師の遺徳を偲びたいと思い、このお話を入れさせてもらいました。
この場をお借りして先生の冥福を心よりお祈りいたします。
次回の更新は4月15日???(予定)です……。




