それぞれの葛藤
お待たせしました。
勅命を聞き終えた斉賢は、現実を受け入れられず、白璧と国璽を握りしめたまま甲板に座り込んでしまった。
国璽がここにある――。それはすなわち、父・賢志がすでに退位を決断し、すべてを自分に託したことを意味していた。
「あのクソ親父が……なぜ、俺に……」
震える声で呟く斉賢の傍らで、示現もまた、溢れる涙を堪えきれずにいた。だが、彼はすぐに涙を拭い、表情を引き締めた。
「感傷に浸る時間はございません。魯都督、直ちに鵬国へ出航を!」
だが、その言葉を脩璃が遮った。
「待ってください。私の部下たちを、一人残らず連れて帰らねばなりません」
「しかし、それでは追手が……!」
「示現殿、いや、蓮殿。私のために命を懸ける者たちを見捨てることは、王としての責務に背きます。彼らと共に帰る。それが絶対の条件です」
脩璃の揺るぎない覚悟に、魯大都督が応えた。
「蓮殿、しばしの間なれば、我が水軍が盾となりましょう。――全軍、戦闘準備! 銅鑼を鳴らせ!」
けたたましい音が響き、五百の精鋭が甲板を埋める。盾を連ねた防御陣が港に展開され、赤が脩璃の元へ駆け戻った。
「二時間……二時間だけ持ち堪えてください。必ず全員を呼び戻します」
「頼んだよ、赤。君たちが命を懸けるなら、僕も共に懸けよう」
赤は熱いものが込み上げるのを堪え、再び戦場へと消えていった。
◇
その頃、阿望宮は地獄と化していた。内通者の手引きにより、賢帥の反乱軍が最終防衛線を突破したのである。
血の滴る剣を手に、汗明は賢志の私室の扉を蹴破った。
そこには、死を目前にしながらも悠然と椅子に腰掛ける賢志の姿があった。
「……何が望みだ、賢帥」
遅れて入ってきた賢帥が、声を震わせて父に退位を迫る。だが賢志は、冷ややかに鼻で笑った。
「退位せよ、だと? ……ふん、我はすでに退位しておるわ」
「何だと!? では、国璽はどこだ!」
汗明の叫びに、賢志はニヤリと笑みを浮かべた。
「既にある者の手に渡った。……斉賢だ」
「父上! やはり、あいつを……!」
賢帥が絶望に打ちひしがれたその時、背後から王妃が飛び出し、血に染まった短刀を賢志の脇腹へ突き立てた。
「……王妃……愚か者が……」
床に崩れる賢志。駆け寄る賢帥の手を、賢志は微かに、だが慈しむように撫でた。
「我が役割も、これで終わりだ。……やっと会えるな、牡丹……」
かつて愛した妃の名を呟き、賢志の瞳から光が消えた。
狂ったように叫び声を上げる王妃。その狂乱を、汗明は無表情に見つめていた。
「天誅」
一閃。汗明の剣が王妃の喉を裂き、彼女の叫びを永遠に断ち切った。
「汗明、貴様ッ! 母上まで……!」
激昂し、汗明の胸ぐらを掴む賢帥。だが汗明は、蛇のように冷たい声で囁いた。
「賢帥様。この謀反を王妃の暴走とし、それをあなたが鎮めたことにするのです。王位に就くための『大義名分』が必要でしょう? 斉賢を逆賊として処断するためにも」
賢帥の力が抜ける。王になるという野心と、親殺しの罪悪感。彼はその暗い葛藤に飲み込まれていった。
そこへ、港からの急報が入った。
「港に不審者が侵入! 現在交戦中です!」
汗明の目がぎらりと輝いた。
「天啓だ。直ちに全兵力を差し向けろ。生死は問わぬ、斉賢の手にある『すべて』を奪い取れ!」
血の匂いが立ち込める玉座の間で、汗明のどす黒い野望が完成へと近づいていた。
次回の更新は4月1日(予定)です。




