剣の弟子
お待たせしました。
太原に急報が届いてから一週間。ついに紫苑と奉師が出陣の時を迎えた。銀盤宮の城門では、新相国・李志が整然と進む五千の兵を見送っていた。
職責として軍師を送り出す冷静な相国としての顔と、戦地へ向かう我が子を案じる父としての顔。李志は複雑な感情を胸の奥に押し込め、遠ざかる二人の背中をじっと見つめ続けていた。
大通りを埋め尽くす見送りの群衆。紫苑は表情こそ変えなかったが、その胸中は「必ず生きて帰せ」と祈る家族たちの想いに、千々に乱れていた。これから向かうのは、あの獰猛な北狄との決戦場。兵たちに「命を捨てて戦え」と命じねばならない非情な宿命に、奉師もまた、唇を噛み締めていた。
隊列が市街の外れに差し掛かったとき、城門の脇で一人、深く頭を下げる男がいた。万力社の宗興である。紫苑は馬上から一言だけ、低く声をかけた。
「宗興、頼んだぞ」
「大司馬様……ご武運を!」
宗興の張り上げた声が、秋空に響き渡った。
◇
数日の後、隣国・麟国の首都「龍台」に急使が飛び込んだ。
「何っ、北狄が南侵しただと!」
皇帝・秀邦は玉座から身を乗り出し、動揺を隠せない。だが、脩璃が自ら戦場に出ず銀盤宮で指揮を執っていると聞き(急使の報告による誤解だが)、ようやく安堵の息を漏らした。
「……そうか。だが鵬国一国では荷が重かろう。直ちに諸国へ派兵準備を命ずる勅書を送れ!」
秀邦の迅速な決断により、麟国からは麟脩晟を大将とする一万の精鋭が、鵬国へ向けて進軍を開始した。
◇
その頃、騒乱の兆しすら知らない崑国の脩璃は、散歩中に剣を交える音が聞こえるのに気づいた。茂みから覗くと、そこには華鳳にしごかれ、泥まみれで倒れ伏す阮の姿があった。
阮は、想い人であるオユンに振り向いてもらうため、恋敵でもある華鳳に「強くなりたい」と弟子入りを志願したのだという。
「いい熱意だね、阮」
ひょっこり現れた脩璃に、阮は慌てて飛び起きたが、商家の主と思い込んでいる脩璃の申し出――「僕が基本を教えてあげる」という言葉に、思わず面食らってしまう。
「いえ、修様。商家の若旦那に剣術は……」
「人を見た目で判断しちゃいけないよ」
脩璃は木刀を構え、阮にかかってくるよう促した。阮が意を決して上段から打ち込んだ瞬間、脩璃の姿が霞んだ。気づけば阮の喉元には、鋭く木刀の先が突きつけられていた。
「格に入りて格を出でざる時は狭く、格に入らざる時は邪路に走る。格に入り、格を出でて初めて自在を得べし……。いいかい阮。ただ振り回すだけじゃ、天才肌の華鳳には追いつけないよ」
脩璃の底知れない実力に目を見開いた阮は、その場に平伏した。
「修様! どうか、ご指導願います!」
「よろしい。我が家に伝わる『宗円流』の極意、伝授してあげよう」
かくして、亡き師・宗円から受け継いだ技を、脩璃は初めて弟子へと伝えることになった。
◇
一方、隠密の赤は崑国への道中、商業都市・臨光へ立ち寄っていた。臨光尹・斉門瓢へ明玉の密旨を伝えるためだ。
「我らに関所などあって無きがごとき」
不敵に言い残し、赤は文字通り影となって消えた。
だが、その間にも北の脅威は膨れ上がっていた。テゥルク率いる二万の後方――南下を続ける単于の本隊は、周辺部族を吸収しながら巨大化し、その数は実に「十五万」にまで達していた。
大地を塗り潰す黒い津波が、防波堤たる柏陽長城へと、刻一刻と迫っていたのである。
次回の更新は1月14日(予定)です。




