軍師
お待たせしました。
主不在の銀盤宮では、王妃・明玉が代理として政務を執り行っていた。柏陽長城の戦火が上がってから一週間――ついに北狄侵攻を伝える早馬が太原へと滑り込んだ。
一報はまず大司馬・紫苑のもとへ届けられた。近頃の紫苑は、内政の安定に目を細める穏やかな老人として過ごしていたが、その報を聞いた瞬間、彼の眼光は鋭い剣のごとき輝きを取り戻した。
紫苑は官吏たちをなぎ倒さんばかりの勢いで廊下を突き進み、明玉の待つ謁見の間へと踏み込んだ。
「明玉様! 北狄が南侵してまいりました。儂はこれより柏陽長城へ向かいまする!」
床に膝をついた紫苑から放たれるのは、老人のそれではない。数多の戦場を潜り抜けた武人の、圧倒的な覇気であった。
「紫苑殿、それは真ですか!」
奉師が竹簡を投げ出し、詰め寄る。紫苑は彼を鋭く一瞥した。
「小僧、お主は輜重の手配を急げ! 儂は小僮(わっぱ:脩璃)と練り上げた『緊急動員計画』を発動させる。明玉様、ご裁可を!」
「……許可します。大司馬・岳紫苑、直ちに対処せよ!」
明玉の凛とした声が響く。紫苑が即座に背を向け立ち去ろうとしたその時、奉師が両手を広げてその行く手を阻んだ。
「どけ、小僧! お主に構っている暇はない!」
「いいえ、退きませぬ! 紫苑殿、どうかこの玄奉師も、柏陽長城へ連れて行ってください!」
驚愕が走った。内政の要である相国が、前線へ行くと願い出たのだ。紫苑が怒鳴りつける。
「馬鹿者が! お主がいなくて誰が兵站を支えるというのだ!」
「この命、一度は脩璃様に預けたもの! 国の危機に命を賭して報わずして、何が臣下ですか! 伏して……伏してお願いいたします!」
額を床に打ち付ける奉師。その姿に、紫苑は絶句した。かつて明鵠の専横に耐え、泥を啜りながら国を想い続けてきた青年の、魂の叫びがそこにあったからだ。
「……じゃが、内政はどうする」
紫苑の問いに、奉師は真っ直ぐに顔を上げ、隣にいた父・李志を示した。
「代わりはおります。我が父、玄李志です!」
騒然とする一同を制し、紫苑はぽつりと零した。
「なるほどのぅ……。先王様の予言通りか」
紫苑は語った。先王・紫明は、いずれ来る明鵠との決戦に備え、逸材であった李志をあえて地方へ遠ざけ、牙を隠させたのだと。
「李志、お主はいずれ相国となるはずの『奥の手』であった。だが、運命とは皮肉なもの。息子の方が先にその座に就いてしもうた」
紫苑は明玉に向き直り、決断を委ねた。明玉は静かに瞳を閉じ、やがて鋭い眼光とともに宣言した。
「……相国・玄奉師を解任し、新たに玄李志をその任に就ける!」
驚く李志を、紫苑が諭す。
「李志よ。いつまでお主の荷を息子に背負わせるつもりじゃ。今こそ、お主が立つ時ぞ」
奉師もまた、父の目を見て言い放った。
「断ずべきに断ぜざれば、かえってその乱を招く! 父上、ご決断を!」
李志はついに覚悟を決め、深く頭を垂れた。
「……玄李志、先王様と明玉様のご意志に従いまする」
これにて内政の憂いは断たれた。紫苑は不敵に笑い、奉師に新たな官職を授けた。
「玄奉師。お主に新設の『軍師』の座を命ずる。儂の知恵袋として、北狄を共に討つぞ!」
李志は、息子が密かに太学で「兵法」を修めていたことを知り、驚きに目を見開いた。奉師は誇らしげに答える。
「父上に叱られてから考えたのです。本当にこの国に必要な力は何かと。それが、いつか来る侵略を阻む兵法でした!」
「玄奉師、汝を軍師に任ずる。大司馬と共に柏陽長城へ向かい、北狄を挫け!」
「臣・玄奉師、謹んで拝命いたします!」
こうして、太原の地からも最強の増援が動き出した。老将と若き智将。二人の天才が、北の戦場へと駆け抜けてゆく。
いつもご覧いただきありがとうございます。
当初は、とりあえず書いてみるか!、と軽い気持ちで書いていましたが、私の想定よりも多くの方が読んでいただいていることに驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。
年末にかけて私事多忙につき、年内の更新はこれにて終わりになります。次回の更新は年始元旦にできればと考えていますが、どうなりますか……。
皆様 covid19(コロナ)で大変な折、どうぞお気を付けください。
皆さまと元旦に再会できます様に。




