いざ、四書房へ!
父である皇帝からの勅書を手に、脩璃は翌日さっそく「四書房」へと足を運んだ。
広大な宮城内を歩くこと三十分。目の前に現れたのは、一辺百メートルはあろうかという巨大な四階建ての楼閣だった。
ギィィ……と重厚な音を立てて扉を開くと、ひんやりとした空気と共に、墨と古い木材の香りが鼻をくすぐる。
「君、ここは子供が遊びに来る場所じゃないよ。迷子かな?」
声をかけてきたのは、一人の若い守蔵吏(官吏)だった。悪気のない親切心からの言葉だったが、お供の梅花にとっては看過できない。彼女の顔が瞬時に沸騰した。
「無礼も――」
「――っと、ストップ」
叫び出す寸前、脩璃がその口をぴしゃりと手で覆う。もがく梅花を片手で制しながら、脩璃は懐から一巻の絹を取り出した。
「第五皇子、麟脩璃です。陛下の許しを得て参りました」
掲げられた勅書を見た瞬間、若者の顔から血の気が引いた。
「たっ、大変失礼いたしましたぁぁ!!」
見事な平伏。それを見た周囲の官吏たちも、雪崩を打つように床に跪く。
「皆さん、作業を続けてください。邪魔をするつもりはありませんから」
脩璃が愛想笑いを振りまいていると、奥から白い髭を蓄えた老人が慌てて駆け寄ってきた。図書令(長官)の鄭桃里である。鄭は若い部下の無礼を平謝りしていたが、脩璃はそれを気さくに流し、本題へと切り込んだ。
「鄭図書令、例の『アレ』は役に立っていますか?」
「おお、アレでございますね! ええ、脩璃様のおかげで、記録のあり方が劇的に変わりました!」
二人の言う「アレ」とは、他でもない『紙』のことだ。二年前、竹簡の重さと物流コストの悪さに辟易した脩璃が、前世の知識を総動員して製法を伝授したものだ。今や朝廷主導で量産が始まり、情報の「ペーパー化」が進んでいる。
「竹簡に比べ、保管場所が十分の一で済みます。ただ……筆で書き間違えると、削って直せる竹簡と違い、紙が丸ごと無駄になってしまうのが難点でして」
「なるほど。修正液(消しゴム)か、あるいは……一気に刷り上げる『印刷機』が必要か」
「いんさつき……とは?」
「あ、いや、独り言です」
(危ない、また余計な仕事を増やすところだった。これ以上『残業』を増やすと現場に恨まれるからな)
脩璃は慌てて口を噤み、鄭の案内で書庫の見学を始めた。
三階に上がり、高く積み上げられた竹簡の山を通り過ぎようとした、その時だ。
ドササッ! と激しい音を立てて、竹簡の束が崩れ落ちた。
「あいたたた……。またやっちまった」
崩れた山の中から這い出してきたのは、ボサボサ頭の少年だった。服は質素だが、その瞳には隠しきれない知性が宿っている。
「こら自誠! また読書に夢中で山を崩したな!」
鄭の叱責に対し、自誠と呼ばれた少年はケラケラと笑いながら頭をかいた。
「なんだ鄭のじいさんか。……おっ、そのチビは新しい雑用係か? いい服着てんなぁ」
その瞬間、書庫内に冷気が走った。
「無礼者ッ! 度重なる狼藉、断じて許さん!!」
ついに梅花が爆発した。腕まくりをして自誠の首根っこを掴み上げる姿は、もはや夜叉の如き迫力だ。
「ははは! 梅花、それくらいにしておけ。美人がそんなに鼻息を荒くしてたら、台無しだぞ」
「……っ! も、申し訳ございません……」
脩璃がからかうように言うと、梅花は途端に顔を赤くして俯いた。
(……それにしても、この少年。図書令に物怖じせず、こんな場所で本を読み耽っているとは。……掘り出し物の『人材』か、それともただの厄介者か)
脩璃は、怯えながらも不敵な笑みを消さない自誠を見つめた。
どうやら、四書房での日々は、単なる読書だけでは終わらなそうであった。




