梅花の想い
時は、秀史が鵬国への使者に決定された直後まで遡る。
麟国の後宮、皇后・桃氏の部屋に、鶯妃の宣言が響いた。
「というわけで、母として私も鵬国に参りますわ!」
「気持ちは分かるけれど……陛下がなんとおっしゃるか」
「分かりましたわ皇后様! 陛下がお許しになれば行ってもよいのですね!」
言うが早いか、鶯妃は衣の裾を翻して走り去った。その後、彼女が半ば強引に秀邦の承諾を取り付けたのは言うまでもない。
麟国の宮中が使節団の準備で活気づく中、侍女の梅花はどこか上の空だった。
「梅花、この衣装はどうかしら? あの二人より目立ちすぎるかしらね」
悩む鶯妃の問いかけに、梅花は「そうでございますわね……」と心ここにあらずな返事。いよいよ痺れを切らした鶯妃が目の前でパン!と手を鳴らした。
「ハッ! ……申し訳ございません、鶯妃様」
「ここ数日、様子が変ですよ。……急にどうしたの?」
梅花は意を決したように俯き、声を絞り出した。
「あの……鶯妃様! どうか私も、鵬国へ連れて行ってはいただけないでしょうか」
「理由を聞かせて頂戴。脩璃に会いたいだけ?」
「いえ、その……」
言葉を濁す梅花。だが、鶯妃の鋭い女の勘を誤魔化すことはできなかった。
「ねえ、梅花……ひょっとして、あの方?」
梅花の顔が、見る間に耳まで真っ赤に染まる。それを見た鶯妃は、優しく彼女を抱き寄せた。
「幸せになってほしいのよ。ようやく心を寄せる人ができたのだから、私が味方になってあげるわ」
梅花は涙をこらえ、その懐で正直な想いを打ち明けたのである。
◇
婚礼の儀が滞りなく終わり、使節たちが宿舎へと引き上げた夜。明玉の部屋では、梅花が甲斐甲斐しく衣装の片付けをしていた。
「梅花さん、本当に助かったわ。あなたの手際の良さは、うちの侍女たちも見習わなくてはね」
「恐れ多いことです、明玉様」
落ち着いた様子の梅花に、明玉はそっと問いかけた。
「……本当は、このままここに残りたいのでしょう?」
梅花の手が止まった。勢いよく向き直り、「よろしければ、私を置いてくださいませ!」と迫る梅花に、明玉は苦笑した。
「麟国で何かあったの?」
「……いえ。ただ、自分の手に負えないことが起きた時、不思議とあの方のことが頭に浮かんだのです」
それはかつて、脩璃が独断で行方不明になった時のこと。独りで何でもこなしてきた梅花が、初めて他人に頼らざるを得なかった時、真っ先に駆け込んだのが華鳳の元だった。
「無事に帰ってきた脩璃様よりも先に……その後ろで手綱を握る華鳳様の姿を見てしまったのです」
俯く梅花に、明玉はウィンクをして言った。
「なら、今すぐ行ってきなさい。夜食を届けるという体裁でね!」
◇
城門付近では、篝火を掲げた兵たちが夜警にあたっていた。
「将軍、異常ありません!」
「よし、通常警備に移行せよ」
馬上から指示を出す華鳳に、一人の侍女が近づいた。
「おや、梅花の嬢ちゃんか。こんな夜更けにどうした」
「あ、あの……夜食をお持ちしました」
「おっ、助かる! 腹が減ってたんだ」
下馬した華鳳は、手渡された包みを頬張った。「うめえ! さすが万福だな」
「……私が作りました」
「えっ、あ、ああ! そうか、いやあ旨いぜ!」
照れ隠しのように、華鳳は懐から古びた絹の小袋を取り出した。かつて謹慎中の脩璃の世話をした際、梅花が贈った守り袋だ。
「この小袋、まだ大事にしてるぜ」
「……まだ、お持ちだったのですか?」
「当然だろ。……ん、なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
梅花の指が、華鳳の頬に伸びた。そっと食べかすを取りながら、彼女は震える声で尋ねた。
「華鳳様……私はこの鵬国にいても、構いませんでしょうか。……あなた様は、困りませんか?」
「俺? 別に困らんぞ。坊や鶯妃様がいいって言えば、好きにすりゃあいい」
百戦錬磨の直感も、恋心という領域においては完全に「圏外」らしい。
「そうか。もう遅い、早く休めよ! 飯、ご馳走さん!」
颯爽と夜の闇へ消えていく背中を見送りながら、梅花の指先には、まだ彼の頬の熱が残っていた。
◇
数日後、秀史と鶯妃の帰国の日。
馬車の中から梅花を見つめていた鶯妃は、小さく頷いた。梅花もまた、贈られた玉の簪を握りしめて頷き返す。
馬車が城門を出る直前、鶯妃が華鳳を手招きした。
「華鳳。……梅花を泣かせたら、承知しないわよ!」
窓をピシャリと閉め、走り去る馬車。残された華鳳は、頭を掻きながらキョトンと立ち尽くすばかりであった。
その夜、銀盤宮の屋根裏では、破玉の忍たちが密談を交わしていた。
「……あの二人、見てて焦れったいぜ」
「華鳳殿、察しが悪すぎだろ」
「これ、脩璃様に報告すべきか?」
「一大事といえば、一大事だよなぁ……」
彼らにとっても、主君の婚礼以上に悩ましい「戦い」が始まろうとしていた。




