忘れていた大事なこと
正月休みなどという概念はこの世界にはない。年賀の挨拶が終われば、翌日からは再び政務の嵐である。
脩璃は新たに監察官の長・御史大夫に任じた陽明らと書類の山に挑み、明玉は新産業「木綿」と「瑠璃」の 視察に東奔西走していた。
そんな折、相国府の次官へ昇進した自誠が、顔色を変えて部屋に飛び込んできた。
「脩璃様、大変だ! 麟国の皇帝陛下から親書が届いたぞ!」
差し出された手紙を広げた瞬間、脩璃の顔から滝のような汗が流れ落ちた。
「……忘れてた……」
「脩璃様ぁ~、一体何をお忘れでぇ~?」
奉師がニヤニヤと問い詰めると、脩璃は声を絞り出した。
「……結婚式だ」
「あ……」
陽明も絶句した。忙しさにかまけ、二人は国家間の最重要儀礼である「婚儀」を完全に失念していたのである。
父・秀邦からの手紙にはこうあった。
『約束の年齢だ。二ヶ月後、各国使節を引き連れて秀史を向かわせる。準備しておけ』
◇
その夜、脩璃は恐る恐る、食事中の明玉に切り出した。
「あの、明玉……婚儀のことなんだけど」
明玉は器を持ったまま固まった。みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。
「し、脩璃は……その、どのような式を望んでおられるの?」
モジモジと伏し目がちに尋ねる明玉に対し、脩璃はズル賢くも「明玉はどうしたい?」と質問で返した。乙女心を壊さぬよう配慮しつつも、実は自分もノープランだったからだ。
「わ、私は……その、脩璃と一緒になれるなら、形式にはこだわりませんわ」
明玉の言葉に、脩璃はふと背後の瑠璃の器を見て、閃いた。
「……なら、こういうのはどうかな?」
翌日の朝議は一変して「結婚式企画会議」となった。
脩璃のアイデアはこうだ。婚儀を隠れ蓑にした『鵬国博覧会』の開催である。
各国から賓客が集まるこの機会に、瑠璃や木綿、文房具といった鵬国の独占技術を売り込み、国威を知らしめる。明玉もその趣旨に賛同し、重臣たちも湧き立った。
「派手な行列は不要です。その分、返礼品や宴の酒器をすべて最高級の瑠璃で揃えましょう。衣装もすべて最高品質の木綿で。万福、料理は任せたぞ!」
李志が国力を考慮した質実剛健な運営を説き、万福は銀盤宮に泊まり込んで新作メニューの開発に没頭した。
◇
二ヶ月後。麟国の旗を掲げた騎兵隊が暁を通過した。
馬車の中で揺られる皇太子・秀史は、驚きに目を見開いていた。以前は穴だらけだった街道が、屯田兵の手によって見事に補修されていたからだ。車窓に広がる整備された田畑を見て、彼は弟の手腕を改めて確信した。
太原に到着した秀史を、相国・奉師が出迎えた。
「我が弟がご迷惑をおかけしてはおりませぬか?」
「滅相もございません。王は英明であらせられ、我ら一同、麟国皇帝陛下に深く感謝しております」
李志に釘を刺された奉師は、いつものふざけた調子を封印し、完璧な礼節で秀史を案内した。
銀盤宮の謁見の間。脩璃は玉座でソワソワしていた。形式的な挨拶の間は王としての威儀を保っていたが、それが終わるや否や、脩璃は駆け下りて秀史に飛びついた。
「兄上! お久しぶりです!」
「お前、またデカくなったな!」
秀史は笑って弟を受け止め、その成長を喜んだ。
「そうだ。お前たちに会わせたい者たちを連れてきたぞ。さあ、こちらへ」
扉が開き、現れたのは――母・鶯妃、そして梅花と黄花だった。
「かわいい坊や! 会いたかったわ!」
鶯妃は小走りに駆け寄るなり、脩璃と明玉の二人を圧死せんばかりの勢いで抱きしめた。
「鶯妃様、お二方が苦しんでおられます……!」
慌てて梅花が割って入る。ようやく解放された脩璃の後ろで、黄花がクスクスと笑いながら控えていた。
懐かしい顔ぶれが揃い、鵬国の寒空の下、銀盤宮には温かな春の陽気が満ち溢れた。




