交渉と牌
翌日。脩璃は勇んで庖厨所へ乗り込んだが、相棒の万福はいつもの笑顔を見せず、何やらまごまごしていた。
「……どうした、万福。新しい料理の材料を確認したいんだが」
「あの、脩璃様。実は……庖人長(料理長)から『食材の使用制限』が出ていまして。自由に材料が使えないんです」
(……あ、予算オーバーか)
心当たりはあった。醤油の開発、タレの試作。貴重な食材を湯水のように使えば、現場の台所事情が火の車になるのは当然だ。
「わかった。まずは『資金調達』から始めるとしよう。稟議を通すのは課長の仕事だからな」
脩璃が向かったのは、宮中の財政を司る役所「少府」だ。寵児たる皇子の出現に官吏たちが騒然とする中、現れたのは少府丞という恰幅のいい中年男性だった。
「これは脩璃様、何用でございましょうか」
「新しい料理を作りたいのですが、予算が足りなくて。少しばかり融通をお願いしたいのです」
丁寧に頭を下げた脩璃に対し、少府丞は毅然とした態度で首を振った。
「皇子といえども、決まった予算を動かすことはできませぬ。それが道義というもの」
(うん、いい役人だ。だが、こっちも仕事なんだよ。トップダウンの決裁には逆らえまい?)
脩璃は懐から、黄金色に輝く「皇后牌」をスッと差し出した。
「――っ!? 皇后牌だと!?」
周囲の空気が凍りついた。少府丞の額から滝のような汗が流れる。
「皇后様より、甘味の開発を直々に命じられております。これでも……予算は動きませんか?」
「……失礼いたしました! すぐに他部署の予備費から調整いたします!」
慌てて部下を走らせる少府丞。彼が語ってくれたところによれば、この牌はかつて、病んだ皇帝に代わり皇后が国を救うために用いた「非常大権の証」だという。
「とんでもないものを預かっちゃいましたね……」
梅花が引きつった顔で囁く。
「本当だよ。ちょっと困るなぁ……。ねえ、梅花。これ持っててくれない?」
「嫌ですよ! 不敬罪で私が処刑されます!」
そんな冗談を言い合う二人に、少府丞がこっそり耳打ちしてきた。
「ところで脩璃様。新作ができたら、ぜひ……小官にもご相伴させていただけますかな? あの『タレ』には、家族一同痺れたものでして」
(……やっぱり。胃袋を掴むのが一番の外交だな。これで少府(財務局)に太いパイプができたぞ)
予算を勝ち取り、意気揚々と庖厨所へ戻った脩璃は、数日をかけて二つのスイーツを完成させた。一つは、卵の力だけでふんわりと焼き上げた「カステラ」。もう一つは、濃厚なクリームをたっぷり詰め込んだ「シュークリーム」。
この世界にはベーキングパウダーなどない。ひたすら人力で卵を泡立てる万福たちの涙ぐましい努力の結晶だ。
「……っ!? しゅ、脩璃様、これ、ふわふわです! 天国の食べ物みたいです!」
試食した梅花の目が、これ以上ないほど大きく見開かれる。 万福と料理長も、その未知の食感に「……これは、料理の概念が変わる」と絶句していた。
「よし。あとは皇后様へのお披露目だ。……さて、どんな反応が返ってくるかな」
黄金の牌の重さを、改めて右手で感じながら、脩璃はニヤリと笑った。




