紹にて
破玉の「緑」が紹で潜入調査を行っていた頃、脩璃たちは常陽に到着していた。
城門では、信が首を長くして一行を待っていた。明玉の姿を認めるや否や、彼は弾かれたように駆け出した。
「姫様! ご無事で何よりです!」
馬の手綱を握る信の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。明玉は馬を降り、再会を喜んだ。
「信、ありがとう。貴方が囮になってくれたお陰よ」
感極まる明玉の横で、脩璃もまた馬を降り、信に向かって丁寧に頭を下げた。
「君が信だね。自分を犠牲にして明玉を守ってくれてありがとう。僕からも礼を言うよ」
皇子からの予期せぬ謝意に、信は仰天し、その場で地面に額を擦りつけた。
「し、知らないこととはいえ、ご、ご無礼をいたしました!」
慌てふためく信に、明玉と貫がクスクスと笑い声を上げる。
「まあ、最初はそうなるよな。俺もそうだったし」
貫が肩をすくめて言い、常陽の空気はようやく和らいだ。
一行に信を加え、再び行程を進める。道中、脩璃のあまりに世俗離れした「皇子像」に、貫は驚きの連続だった。自ら野営の準備をし、慣れた手つきで絶品料理を振る舞う皇子。
「皇子様、せめて準備くらいは俺にお任せを……」
恐縮する貫を、華鳳が笑い飛ばす。
「気にすんな、貫。坊にとってはこれが『普通』なんだ。大人しく坊のメシを楽しみに待ってろ」
固定観念がガラガラと崩れ去る音を聞きながら、一行は四日後、いよいよ国境の街・紹へと差し掛かった。
街の手前、街道を外れた小川で休息をとっていた際、脩璃は一人草むらへと歩み寄り、低い声で呼んだ。
「……破玉の者はいるか」
「ここに」
揺れる草むらから、緑が音もなく現れる。
「紹の様子は?」
「刺客の気配はございません。ですが、部群従事に黒い噂がございます。賄賂、そして流民の人身売買です」
報告を受けた脩璃の眉間に、深い皺が刻まれた。
「明玉。急ぐ旅だけど、少し時間をくれるかな。少々、『掃除』が必要なようだ」
遠く紹の街を眺める脩璃の瞳には、冷徹な光が宿っていた。
◇
紹に入った脩璃、明玉、貫の三人は、陽明と華鳳を別行動にさせ、敢えて目立つように街を歩いた。その予想は的中する。
宿に落ち着いた直後、廊下を騒がしい足音が埋め尽くし、扉が蹴破られた。
「密入国者を匿っているとの報があった! ――ほう、お前たち、あの時逃げ出した流民だな!」
槍を突きつける兵士たちに、脩璃たちは抵抗せず縄を打たれ、官舎へと引き立てられた。
官舎の庭。縄打たれた三人の前に、部群従事が現れた。その手には、かつて明玉が手放した「翡翠の櫛」が握られている。
「これはお前の物ではないのか?」
明玉が息を呑んだのを見逃さず、男は下卑た笑みを浮かべて彼女の顎を強引に持ち上げた。
「いい顔をしている。これなら高く売れそうだ」
汚らわしいものを見るような明玉の視線。その時、脩璃が小憎らしいほどの笑みを浮かべて言った。
「はい、言質取りました。部群従事という地位にありながら、賄賂を受け取り、人身売買にまで手を染めた。相違ありませんね?」
男は鼻で笑い、「知ったところで何ができる」と兵士に斬り捨てを命じた。
しかし、その背後から陽明が姿を現す。
「私の名は晏陽明。尚書令・晏応明の子にして、常陽州牧・晏慈明の弟。そして――ここにおわす麟国第五皇子、麟脩璃様の臣である!」
その声を合図に、破玉の者たちが影から飛び出した。一瞬にして兵士たちが昏倒し、三人の縄が解かれる。
「……尻尾を出さなかったらどうしようかと思ったけど、随分と罪を重ねたね」
手首をさすりながら立ち上がった脩璃に、部群従事は腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。
「坊、囚われていた民も全員解放したぜ」
華鳳も合流し、掃除は完了した。脩璃は震える部群従事を見下ろし、「後は州牧の判断に任せるよ」と吐き捨てた。
◇
翌朝、一行は常陽に早馬を出し、新たな役人の派遣を要請すると、慌ただしく鵬国へと出発した。
その夜。紹の牢獄に、一人の黒ずくめの男が忍び寄った。
「おお、助けに来てくれたのか!」
縋り付く部群従事に、男は無言で不気味な笑みを返した。
翌朝発見されたのは、喉を一突きされ、絶命した部群従事の変わり果てた姿だった。証拠を消し去るための、明鵠の刺客による始末。
動乱の火種は、もはや国境を越え、目に見えぬところで激しく火花を散らし始めていた。
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