呼び出し
開発した「タレ」が後宮の調理場を席巻し始めた頃。
脩璃のもとに、実母である鶯妃から呼び出しがかかった。
この国では、皇子の養育は専用の侍女が行うのが伝統だ。実母とはいえ、頻繁に顔を合わせるわけではない。元・三十九歳の脩璃にとっても、執務(という名の趣味)を邪魔されずに済む今の距離感は、決して悪くないものだった。
「母上、お呼びにより参上いたしました」
頭を垂れ、丁寧な礼を取る。
チラリと見上げた鶯妃の顔は、実の息子ながら緊張するほどの絶世の美女だ。だが、その口が開くと同時に、優雅な雰囲気は霧散する。
「まぁ! ようやく会いに来てくれたのね。母様が呼ばないと来ないなんて、薄情なんだから!」
鶯妃は駆け寄るなり、脩璃の頬を柔らかくつねった。
「あはは、母上、痛いです。勉学が忙しくて……」
「もぅ、そんな可愛い顔で見つめられたら、怒るに怒れないじゃない!」
ぎゅっ、と力いっぱい抱きしめられる。
(……落ち着け。中身はアラフォーなんだ。美人のパーソナルスペースに侵入されて動揺するなど営業失格だぞ。鼻血を出したら一生の恥だ!) 必死に理性を保とうとするが、顔が真っ赤になるのは止められない。それを見ていたお目付け役の梅花が、口元を抑えてクスクスと笑っていた。
鶯妃は完璧な美貌を持ちながら、その中身はかなりの「天然」である。
息子をひとしきり可愛がって満足すると、彼女は思い出したように言った。
「実はね、皇后様があなたに会いたいとおっしゃっているの。今から一緒に行きましょう」
「えっ、皇后様が? 今からですか?」
皇后・桃氏。第一夫人である彼女は、後宮を束ねる女傑として名高い賢夫人だ。そんな大人物からの急な呼び出しに、脩璃の背筋が伸びる。
豪華な装飾が施された皇后の居室。一番奥の玉座に近い席に、桃氏は座っていた。鶯妃に続いて脩璃が最上級の礼を捧げると、桃氏は鈴を転がすような声で笑った。
「丁寧な挨拶、痛み入ります。さすがは我が国の『神童』。鶯妃の自慢通りね」
「才能だけじゃありませんのよ。ほら、見た目もこんなに可愛いんです!」
鶯妃は再び脩璃を抱きしめて見せびらかす。皇后も「あら、私だって抱きしめたいわ」と席を立ち、脩璃を柔らかな腕の中に包み込んだ。二人の美姫に代わる代わる抱擁され、脩璃の脳内CPUはオーバーヒート寸前だ。
「ふふ。こうして見ると、まだまだ可愛い子供なのだけれど……。脩璃君、例の『タレ』、私もいただいたわよ」
桃氏が椅子に座り直し、ふっと「統治者」の眼差しを見せた。その瞳には、神童の価値を見極めようとする鋭い光が宿っている。
「驚いたわ。あんなに食欲をそそる調味料、食べたことがない。……そこでお礼と言ってはなんだけど、一つお願いがあるの」
「……僕に、ですか?」
「ええ。私たち、甘いもの(甘味)に飢えているのよ。いつも同じような菓子ばかりで退屈なの。何か、今まで見たことも味わったこともないものを作れないかしら?」
(なるほど。スイーツ市場の開拓か。娯楽の少ない後宮において、食のレジャー化は最大のブルーオーシャンだな……)
脩璃は即座に脳内カタログを検索し始めた。この世界にある食材、そして前世で親しんだあの味。
「承知いたしました。皆様が満足されるものを、思案してみます」
「頼もしいわね。……では、第五皇子脩璃にこれを託します」
侍女が恭しく差し出したのは、鈍く黄金色に輝く「皇后牌」だった。それを見た梅花が小さく息を呑む。後宮内はもちろん、朝廷でも皇后の代理としての権威を示す、極めて重い牌だ。
「これを持っていれば、私の命で動いている証拠になります。自由に動きなさい」
(お礼を言うついでに、超特急の『予算』と『決裁権』を与えられたようなものだ……!)
黄金の牌を握りしめ、脩璃は心の中で軍師のごとく不敵に笑う。
(いいだろう。後宮の女官たちを、砂糖と卵の魔法で虜にしてやる!)
こうして、史上最大のスイーツ開発プロジェクトが幕を開けた。




