かたや上奏。こなた謀略。
少し遅れました。
脩璃が応明の私塾に通い始めて、一年が経とうとしていた。
ある日、応明は二人に一つの課題を課した。これまで議論を重ねてきた「貧民救済の施策」を、正式な国家事業とするための「上奏文」にまとめ上げよ、というものである。
現代の知識を持つ脩璃にとっても、それは容易なことではなかった。単なる理想論ではなく、予算、人員配置、反対勢力への根回し……国家運営という巨大な歯車を動かす難しさを知るほどに、父・秀邦がいかに巨大な存在であるかを痛感する日々であった。
一ヶ月後。提出された上奏文『貧民救済の方策』を目にした応明は、満足げに口角を上げた。
「……よろしい。これならば、今すぐ朝議に出せますな」
五日後の朝議。第五皇子・麟脩璃と、その側近・晏陽明は、居並ぶ大臣たちの視線に晒されていた。
「これより、脩璃が提出した新事業について協議する!」
秀邦の宣言とともに、議論の火蓋が切られた。配布された上奏文の写しを見た大臣たちは、その異様なまでの完成度に息を呑んだ。通常の上奏文のような抽象的な記述は一切ない。そこにあるのは、精緻な予算表と工程表――現代で言うところの「完璧な事業計画書」であった。
「……これは、本当に皇子お一人の作なのですか?」
疑念をぶつける大臣たちに対し、脩璃は一歩も引かなかった。貧困層を労働力として社会に還流させることが、いかに国力を底上げするか。論理的かつ情熱的に説く。陽明もまた、現場目線の補足で大臣たちを唸らせた。
四時間に及ぶ激論の末、大臣たちの疑念は驚嘆と称賛へと変わった。
「余はこの施策を『可』とする。直ちに実行せよ!」
秀邦の高らかな裁可が下り、百官は一斉に平伏した。別室へ移った後、秀邦は我が子の頭を撫で、秀史は「お前たちの惚気合い(褒め合い)には付き合いきれん」と苦笑した。麟国の未来を担う、小さな、しかし確実な一歩であった。
◇
一方、北方の鵬国。
奉師が進めていた「隠れ計画」が第一弾の成果を出し始めた頃、ついに敵が動いた。権力者・明鵠からの呼び出しである。
「玄相国。聞けば、何やらコソコソと動いているようだが?」
開口一番、明鵠が蛇のような視線で牽制する。
「なんのことでしょうぉ〜?」
しらばっくれる奉師に、明鵠が歯ぎしりをした。
「開墾に水路造営、商人の処分……儂の耳に入らぬとでも思ったか!」
「ああ、それですかぁ。各部署の長らが、麟国の皇子を恐れて勝手にやったことでしてぇ。……『明鵠様の承認を得るまでもない』と鼻で笑っておりましたよぉ」
奉師の「焚き付け」は完璧だった。
「……なんだと!? 儂を差し置いて、どいつもこいつも!!」
大噴火を起こした明鵠に、奉師は畳み掛ける。「私は止めたのですがねぇ。彼らは叔父上よりも、未来の婿殿の方が大事なようで……」
数日後、奉師の狙い通り、凄惨な結果がもたらされた。
独断で計画を進めた(と思い込まされた)各部署の責任者たちが、次々と処刑されたのである。殺されたのは、皮肉にも明鵠の息がかかった小悪党ばかり――奉師が相国になる前から巣食っていた「組織の毒」であった。
自室に戻った奉師は、いつにも増してドス黒い笑みを浮かべていた。
「……おや明玉様、そんなに引かないでください。これでようやく、叔父上の手足がもげたのですから」
明玉は奉師と目を合わそうとしなかった。彼の計略は、敵に「味方の有能な部下」を自ら殺させるという、最も残酷で効率的な粛清であった。
空いた重要ポストには、人事権を持つ奉師によって、新たな人材が次々と送り込まれた。彼らは表向き明鵠に従うフリをしながら、裏では明玉と奉師に絶対の忠誠を誓う「実務部隊」である。
「これで五年後、皇子をお迎えする『盤面』が整いましたねぇ」
奉師の瞳の奥に、暗く、冷徹な光が宿った。麟国の「光」の成長に対し、鵬国の「影」もまた、着実に牙を研ぎ澄ませていた。




