突撃!玄相国
明玉は麟国からの国書を大切に懐へしまい込むと、拳を握りしめた。
「よーし! それじゃ、予算を分捕ってくるわ!」
勇ましく振り返って駆け出そうとした瞬間、襟元を後ろからグイと引かれた。
「ゴホォッ!?」
およそ深窓の令嬢らしからぬ音を漏らし、明玉の身体が急停止する。首を絞められた苦しみに悶える彼女をよそに、奉師が平然と告げた。
「明玉様、それは私の役目ですぅ〜。これでようやく……フッフッフ……」
奉師が浮かべたその表情に、明玉は襟を引かれた怒りも忘れて、背筋に冷たいものが走るのを感じた。彼がこういう「悪そうな顔」をする時は、決まって質の悪い企みを練っている時だからだ。
「……あんた。何を企んでるのよ」
「いいですか明玉様ぁ。これでようやく、あの明鵠を滅ぼす土台ができるのですぅ〜。一挙に追い落とすなど下策中の下策。まずは手駒を切り崩し、外堀を埋め、ジワジワと力を削いでいくのです。ヒッ、ヒッ、ヒ……」
不敵な笑みを深くする奉師に、明玉はドン引きして半歩後ずさった。
「あ、つい没頭してしまいましたぁ〜。いやはや、久々に楽しい仕事ができそうです♪」
ウキウキと鼻歌交じりに去っていく相国の背中を見送りながら、明玉は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
◇
最初の目的地にたどり着く頃、奉師は完璧に「いつものふざけた顔」を作っていた。
(さて、まずはこの泥船から解体していきましょうかねぇ〜)
彼が向かったのは、農業を司る「司農」であった。
「やぁやぁ皆さん、精が出ますねぇ〜」
わざとらしい声を上げ、屯所をズカズカと突き進む。相国を止める度胸のある官吏などおらず、彼はそのまま司農卿の部屋へと踏み込んだ。
「相国はいりま〜すぅ〜」
「……また貴殿か。相国殿、見ての通り私は忙しいのだ。用件は手短に願いたい」
そこにいたのは、明鵠の虎の威を借る肥満体の官吏だった。奉師は嫌悪感を微塵も見せず、机の上に一枚の地図をパッと広げた。
「ここから、ここまで。全部開墾しますぅ〜」
「はあ!? 何を馬鹿な。そのような予算も計画もない!」
「それがですねぇ、司農卿。今やらねば、貴方は立場を失うか、最悪は死罪になりますぞぉ〜」
奉師の真顔での宣告に、司農卿の頬がピクリと引き攣った。
「……ど、どういう、理由ですかな?」
奉師は声を落とし、司農卿の耳元で囁いた。
「実は内緒なのですが……麟国の皇子が入婿されることが決まりました。あちらの皇帝からは『準備万端整えよ』と厳命が下っています。もし皇子が入国された際、農地が荒廃しているのを目にされたら? 麟国への侮辱とみなされ、明鵠様は面目を潰される。……その時、誰が真っ先に首を跳ねられるか、お分かりですねぇ?」
司農卿の顔がみるみる土気色に変わる。奉師はさらに追い打ちをかけた。
「そういえば、貴殿の部下が租税を横領していた件、明鵠様の耳に入りかけているようですよぉ〜?」
「な、なるほど分かった! 租税確保のためにも、この開墾は国家の最重要案件だ。即刻承認しよう!」
脂汗を流しながら、司農卿は震える手で承認の璽を計画書に叩きつけた。
奉師はこうして各部署を回り、明鵠の「恐怖」と麟国皇子の「権威」を巧みに使い分け、滞っていた施策を次々と通していった。
◇
執務室に戻った奉師は、資料に没頭していた明玉の目の前に、承認済みの書類をドサリと落とした。
「おわぁぁぁぁぁ!?」
飛び上がって驚く明玉を、奉師は満足げに眺めた。
「明玉様、ほらねぇ〜。言った通りでしょうぉ?」
書類を確認した明玉は、目を見開いた。予算不足で頓挫していた計画が、すべて正式に許可されていたからだ。
「これ……本当に全部通したの!?」
「まずは第一段階といったところです。これらの施策は各部署の内部裁可で進められる規模ですので、あの明鵠の耳には入りません。認可した者たちも、口を滑らせれば自分が死ぬと分かっていますから、墓場まで沈黙を守るでしょう」
奉師は不敵に微笑み、窓の外の荒れた領土を見つめた。
「今後一年、これらを完遂させることを第一とします。皇子が到着される五年後には、この国に『反撃の基盤』を作っておかなければなりませんからねぇ〜」
明玉は、横に立つ相国の横顔を見て、改めて恐怖――いや、頼もしさを感じるのだった。




