雨のあと
陽明の胸で泣き崩れてから、どれほどの時間が経っただろうか。
空から落ちてきた一滴の雫が、やがて激しい雨へと変わった。脩璃の血に汚れた心を洗い流そうとするかのように。
「脩君。……この子らを、このままにしておいていいのですか?」
陽明が、雨に濡れた脩璃の肩を強く抱いた。
「彼らの無念に寄り添うより先に、今は安らかに眠れる場所を作ってあげませんか」
陽明は脩璃を離すと、小屋にあった鍬を取り出し、大樹の根元を掘り始めた。その背中を追い、脩璃は震える手で涙を拭った。
脩璃の心は、深い悲しみと自己嫌悪の渦の中にあった。
(……俺は、人を殺した。復讐に任せて、命を奪った)
平和な日本で育った宇都宮隆としての倫理観が、目の前の凄惨な現実と、自身の残虐な行為を拒絶していた。だが、叩きつける雨の冷たさと、泥に塗れて鍬を振るう陽明の体温が、彼を現実へと繋ぎ止めた。
「……ありがとう」
脩璃もまた鍬を手に取り、泥だらけになりながら穴を掘った。絞り出すような感謝の言葉に、陽明は堪えきれなくなったように大粒の涙を流し、ただ黙々と土を撥ねた。
五人の小さな墓を作り、その上に石を置いた頃。華鳳が部下を連れて戻ってきた。
泥塗れの二人を見た華鳳は、何も言わずにその肩を叩いた。そして数歩下がり、雨の中で膝を突き、正式な軍礼である抱拳礼を捧げた。
「中郎軍侍郎・重華鳳。第五皇子・麟脩璃様をお迎えに上がりました」
その言葉に、陽明が息を呑んで脩璃を見た。
「こ、皇子様……?」
「陽明さん、身分を隠していてごめんなさい。……でも、あなたに救われた。ありがとう」
脩璃は力なく微笑み、覚悟を決めた足取りで華鳳のもとへ歩んだ。
◇
華鳳の馬の背に乗せられ、脩璃は宮城へと向かっていた。
華鳳がわざと居並ぶ兵たちの前で自分の官職と皇子の名を宣言したのは、これが「私的な連れ戻し」ではなく、正式な「罪人の確保」としての体裁を整えるためだと、脩璃には分かっていた。
(……待っているのは、父上からの詰問と、重い罰だ)
「坊。……恐れているのか?」
背後からの問いに、脩璃は冷たい雨を顔に受けながら答えた。
「自分で選んで、踏み出した道だ。……多くの命を失わせた責任は、俺が取らなきゃいけない」
◇
宮城の門内では、梅花が雨に打たれながら立ち尽くしていた。
馬上の脩璃の姿を認めると、彼女はなりふり構わず駆け寄った。
「脩璃様! お怪我は!? その血は……っ」
「大丈夫だよ、梅花。これは僕の血じゃない」
自分を案じて泣き崩れる梅花の肩を優しく叩き、脩璃はそのまま、皇帝・秀邦の待つ奥宮へと歩を進めた。
◇
一方、自宅に戻った陽明もまた、父・応明に事の次第を報告していた。
子供たちが惨殺された件では眉を動かし、偽金の存在には鋭い光を宿した応明だったが、脩という少年の正体が「第五皇子」であると聞かされた瞬間、さすがに絶句した。
「父上。脩璃様は、このままでは済みますまい」
陽明が拝礼し、必死の面持ちで訴えた。
「どうか、父上の力で彼を救ってください! あの才能を、あのような悲劇で終わらせてはならないのです!」
「ならぬ。過ちは過ちだ。皇子とて、国法を乱せば罰を受けるのは当然よ」
応明の厳しい叱責に、陽明は食い下がった。
「では、彼をこのまま宮城に閉じ込め、朽ち果てさせることが国のためだと!? 彼は、誰よりも民の痛みを知り、この国の不備を埋めようとしたお方なのです!」
その言葉を聞いた応明は、ふっと笑みを漏らした。
「……お前、変わったな」
驚く陽明を背に、応明は家宰に参内の準備を命じた。
部屋を出ようとする父の背中に向かって、陽明はこれまでで最も力強い声で言い放った。
「父上! 私は、本日をもって元服し、第五皇子・麟脩璃様に仕えとう存じます!」
応明は足を止めなかったが、廊下を歩きながら独り言のように呟いた。
「……雛が、いよいよ飛び立つか」
その声には、息子への誇らしさと、これから始まる激動の予感が混じっていた。




