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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

千羽さんの短編集

静謐な個室

作者: 千羽稲穂

 分厚く長細い扉を押して、小さな隙間を作ると、白く柔らかい肌をした少女が姿を現した。彼女は今にも息を吹き返さんばかりの美しさを保ち、静かに眠っている。わずかにあいた隙間を窺うだけでも彼女が目を見張るほどの美しさを携えているのがわかる。


 だからこそ、私は今日も昨日も霊安室に忍び込みこうして少女の遺体を愛でる。


 手を差し伸べてみた。頬に指を絡ませてするすると輪郭をなぞる。すると白い表皮が淡く青く輝きを見せる。薄くまとうオーラを鑑みて目を潤ませた。言葉に出来ないほどのあまりの感動を覚えると、口から言葉を発せなくなるように、私の双眸から覗く彼女の姿に心底胸をうたれていた。


 たった一体の少女である。それなのに、ここにあるべくしてあるようにしか見えない。


 息を吐きかけると煙がつくられる。


 凍える霊安室にいくつも並べられた棺、その中でもひときわ目立つ位置の静謐な個室に少女は眠っているのだ。そこに体を預け、ひたすらに少女を目に刻み付ける。


 金色の糸を束ね、重い蓋に飾り付けが施されている。そこに不格好な私が体の重心を委ねている。分不相応だ。だが、彼女が物言わぬ者だからこそ、私は傍にいれ、平等にこの場に居合わせることができるのであろう。


 乾き、日照りにやられ、ぼろぼろになった手。頬はこけ、髪は何日も洗っていない。そのため蠅がたかっている。手から垂れ下がる鎖。汚れている布のみしか身に着けていない、この私が少女のような価値のある死体に触れていることすら、本当はあってはならないことなのかもしれない。

 それでも、今ある出会いに感謝をしてしまう。


 もっと少女の姿を眺めようと、棺の蓋をずらす。そーっと、そーっと、この先一生眠りから覚めない彼女を起こさないように、眠りの邪魔をしないように。そうして暴かれた少女の全身を見て、私は大粒の涙を頬に伝わせてしまう。だがその涙を少女の上に落とさぬよう手の甲でぬぐい、そうしてようやっと全てぬぐえた時に再び少女と相まみえた。


 白く薄く、そして青白い羽織を身にまとい、手を組み、白百合を周辺に着飾りながら、口を閉じている。長いまつ毛は青い反射光を先に宿らせて、光の粒を一滴落とす。濡羽色の艶のある髪をそっと撫でると、絹のようにするすると滑らかに指が通る。触れた途端香るのは百合の甘い香りだ。指先で鼻をなでるように戯れる香りにひとたび幻想を脳内に抱かせる。香りに弄ばれながら、私の手は少女の頬から喉へと伝っていく。どんどん下へ。組まれた手に私の片手を重ねる。冷たい温度を手から脳へと伝わせて、もう一方の動かない手を再起させる。


 生まれた時から動かない手だったはずなのに、一瞬ぴくりと反応を示した。同時に手首に絡みつく鎖をじゃらりとしならせる。その鎖を少女の組まれた手を中心に巻く。すると絡まれた手から私の手へと鎖が伸びる。ぐいっと手を引くと持ち上がり、手を下ろすと彼女の手は下がる。そのさまが滑稽で数度同じように動かしてしまう。すると少女の手が弛緩し、組まれた腕が外れていった。組まれている手の形は変わらないが両手に隙間が生まれる。そこに私は手を這わせて人差し指と中指で薬指を掴んだ。こきっと音を鳴らし、上に指は伸びていく。それに私は自身の舌を当てる。ピンクの柔らかい舌が氷のような指をとらえる。粘り気のある唾液が指を彩る。それはある種の銀の輪。それが彼女の指に収まっていく。薄い青の煙が指を浸す。それを見届けると舌をしまい、少女の手を元に戻した。絡みついた鎖をほどき、手をまた下へと伝わせる。生白いシーツを思わせる布の上から少女の肌を感じ取る。ふっくらとした尻、弾力ある太もも、きゅっとしたくるぶし、足の形を手で象り、布の下へ手を入れる。今度は逆にくるぶしから尻へかけて手の歩みを進める。そこで少女の足に凹凸を感じる。それは人間にはありはしない凹凸だ。人形の継ぎ目を思わせる。陶器製の足が布の下には広がっていた。


 偽物の足、されど少女を支えてきたであろうしめやかでしたたかな足である。その艶めく足に触れる。指でとんっと叩くだけでも砕けそうな脆い足を、壊れないぎりぎりの範囲で手でなめまわす。息が漏れる。先ほどより一層濃い霧を周囲に立ち込めさせる。少女の白いワンピースは一層青白く光る。ゆっくりとゆらめく火のように。うっとりと目に火を映した後、私は少女のスカートをめくった。最初は太ももまで。片足の陶器製の義足があらわになる。私の動かない手の先に熱を認める。その指が今度は第二関節まで熱を移し、間接を折り曲げる。肩から下の棒っきれだった腕がしびれを切らす。喉の奥にこみ上げる青い火を抑えつつ、目頭に力を入れながら、少女のゆくすえを促す。


 ワンピースのスカートをさらにたくし上げてみた。義足の全体像があらわになった。関節は銀製。しかしその他は陶器。顔を近づけ匂いを嗅ぐ。人の死の匂いがした。陶器に織り交ぜられた鉄分に少女にはない人間の気配を感じる。


 そう、これは人骨をもとにして作られた陶器であった。すなわち少女がこの義足をしているということは幾人もの人を殺めている、と推測できる。だからこの義足は罪の肌だ。


 私だけ少女の秘密を知ったことにより、少女の特別であるという心地よさを一層感じずにはいられない。


 顔を陶器にうずめる。そこから少女の顔を見上げると、さらに少女のまつ毛が長く見えた。さくらんぼのようなふっくらとした唇を奪いたいとすら思えてくる。少女の秘め事を全て知ってしまった今、私はそれをせざるにはいられない衝動に駆られる。

 すぐに顔を起き上がらせて、小さな唇を見つめ、瞬間奪う。


 重ねた固い唇と繋がる。


 離す。息を吐きだした。甘辛い味を舌の中で転がす。


 私の動かない手が力強く手を握っている。動かない手をスカートの裾へ落として、掴ませた。今度は鮮明に感覚が湧き立ち、くしゃっとスカートを握る。力加減がうまくいかない。血が沸騰している。熱が手のひらから腕の第二関節まで伝う。スカートを下ろすときにはもう、動かない腕は自由に動かせていた。ゆっくりと運転させてみる。だが細い腕がそんないきなり動くはずもなく、疲れてうなだれる。少女を動かない腕で愛でようにも力が足りない。私は仕方なく、少女の頬を動く方の腕で撫で、髪を手ですき、頭を撫でて、個室を閉じた。


 私の火照った頬を手のひらで抑えて、唇を人差し指で撫でた。口角が意図せず上がっている。体に力がみなぎっている。重たい鎖が軽く思えた。軽い足取りで霊安室をあとにする。その前に振り返り、少女の棺を見返す。青白い炎が淡く少女の棺を覆っているように見えた。その炎の一部が私に憑き、心の奥底から温める。そこにある炎を感じ、体に力を入れる。明日を歩む決心をした。

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